第5章

第37話:ふたりの弁当計画

 周りから白い目で見られ、鉄道オタクと言う理由でいじめられながら学校での時間を過ごす。

 面倒な事を全て押し付けられ、誰にも頼れないまま1人で雑用や掃除をこなす。

 楽しい光景を心に描きながら、そんな時間を懸命に耐え続ける。


 そんな学校での日常が、これからも絶え間なく続くと思い続けていた、とある放課後の事だった。


「う、梅鉢さん、どうしたの……?」

「あ、ごめんなさい。譲司君が読んでいた本が気になっちゃって」

「こ、この本?図書室で見つけたから……」


 その日も、掃除を終えた僕と梅鉢さんは学校の図書室に訪れ、一緒に本を読みながら会話を楽しんでいた。

 ずっと昔に何か問題が起きたとかなんとか、と言う理由で自習が禁止されていたこの図書室にいるのは、いつも僕と梅鉢さんだけ。

 その事もあって、僕たちが少し賑やかに喋っても、図書室のおばちゃんは優しい笑顔で眺めてくれていた。僕たちが本に囲まれて仲良く語り合う様子を見ているだけで、こちらも幸せになってくる、と言ってくれたこともあった。


 そのご厚意に甘えつつ、僕たちが目を向けたのは、この図書室で見つけた鉄道関連の本――『補機』こと『補助機関車』に関する歴史や写真が余す事無く収録されている貴重な書籍だった。


 『補助機関車ほじょきかんしゃ』というのは、分かりやすく言えば列車と連結し、列車全体のパワーを高める役割を持つ機関車の事。

 例えば、様々な事情で線路の一部が急な坂道、いわゆる『急勾配』を経由する事になってしまい、普通の列車では上り下りが大変な場合、その坂道の区間だけ『補助機関車』、略して『補機ほき』を連結し、坂を登る時の後押しや下る時のブレーキの補助を行う、という訳だ。

 中国やスイス、アメリカなど、世界中で同様の機関車は多数存在するけれど、この本に書かれていたのは日本の『補機』に関するもの。山が多い日本を走る鉄道に、補機は欠かせない存在なのである。


「昔は御殿場線を通る列車にも補機が連結されていたんだね……」

「まだ御殿場線が『東海道本線』だった時代の事ね。特急列車にも連結されていたのよね」

「でも、特に有名なのはやっぱり……」

「ふふ、この本にもしっかりその事が記されてるわね」


 補機が活躍する、もしくは活躍していた各地の区間の中で、特に有名だったのが、群馬県と長野県に跨っていた信越本線の『碓氷峠うすいとうげ』、今は山形新幹線の一部にもなっている奥羽本線の『板谷峠いたやとうげ』、そして交通の大動脈・山陽本線の『瀬野八せのはち』。

 どの区間も古くから急勾配を乗り越えるため、パワフルかつ勾配対策をばっちり備えた機関車が配置されたのが特徴な他、客車列車や貨物列車のみならず、電車や気動車にも補機が連結されていた、と言う点も共通である。

 特に碓氷峠は国鉄・JR通して屈指の難所だった事もあって、補助専用の機関車に加えて碓氷峠の走行に適した電車や気動車も開発されたほど。

 梅鉢さんが大好きな急行型気動車「キハ58系列」の1形式、「キハ57系」もその1つだ。


「この3つの中で、補機が残るのは『瀬野八』だけになっちゃったわね。他は新幹線開通の影響で補機の運用が無くなっちゃったし……」

「碓氷峠はその区間自体が廃止されちゃったからね……」

「でも、まさか最近になって、JRで補機が必要になる区間が新しく誕生するなんて思わなかったわね」

「大阪駅の地下ホームだね……地下へ向かう勾配が急になったから、重量級の貨物列車を通過させるために……」

「瀬野八で活躍する電気機関車、EF210形300番台に新たな『補機』の出番が回ってきたのよね」


 鉄道オタクの間で『うめきた峠』なんて呼ばれているのも納得だ、と僕と梅鉢さんは語り合った。


 列車が日本各地へ安全かつ迅速に人々や物資を運ぶため、それらを助ける個性豊かな『補機』は欠かせない存在。これらの機関車やそれを運転する人々がいてこそ、日本の物流は成り立つといっても過言ではない――この本の後書きに記されていた内容だ。


(列車を助ける機関車、それが『補機』……)


 理由は分からなかったけれど、その文面が、僕にはどこか印象に残った。


「いつか、私たちも一緒に『補機』を見に行ってみたいわね」

「そ、そうだね、梅鉢さん……」


 その後ものんびりと互いの書籍の内容について語り合っていた僕たちだけど、次第に話の種も尽き、しばらくの間互いにじっくりと本を読んだり、互いに見つめ合う時間が続いた。

 そして、借りたい本を選んだり元の場所に戻したりするのに丁度良い時間になった時だった。


「……あっ、しまった!」


 突然声を出した梅鉢さんは、僕の動きを止めるかのようにじっと見つめ、今日の間ずっと言おうとしていたのにすっかり忘れていた事がある、と語り出したのである。それも、どこか真剣な表情で。

 それを見た僕もまた背筋を伸ばし、梅鉢さんの口からこぼれる言葉を一字一句逃さない体制になった。


「譲司君……その……お願いしたい事があるんだけど……」

「お願い……?いいけど……い、一体何……?」


「……明日の昼、私と一緒に『お昼ご飯』を学校で食べない?」


 僕にとって、それは全くもって予想外の提案だった。

 驚きのあまり、図書室の中なのについ大声を出してしまった僕は、何とか口を抑え、言葉の音量を下げる事にした。一体どうして急にそのような事を言い出したのか、と尋ねた僕に返ってきたのは、それは決して急に決めた事ではない、という真相だった。


 少し前、大きな図書館に併設されているレストランを訪れた僕は、梅鉢さんからどうしてリアルで『彩華さん』と呼んでくれないのか、尋問されてしまった事があった。でも、そこで僕は梅鉢さんが特別な友達だからこそ、下の名前で呼ぶ事がまだ照れくさく気恥ずかしさがある、と正直に述べた。僕たちは同じ趣味を共有する親密な関係だけど、考え方まで全て同じとは限らないかもしれない、という思いを、幸いにも梅鉢さんは納得してくれたのだ。


「それなのよ、それ!」

「えっ……それって……?」

「まだまだ私たちは考え方も違うし、互いの事だって知らない事が多い。だから、学校でも一緒にお昼ご飯を食べて、もっともっと『特別な友達』になりたいのよ」

「な、なるほど……」

「それに私たち、外食でお昼ご飯を一緒に食べた事は何度もあるけれど、学校で食べた事は1度も無かったのよね」

「た、確かに……」


 梅鉢さんが触れた通り、今まで僕は昼休憩中、母さんが作ってくれた美味しい弁当をいつも教室の中で1人だけで食べていた。当然、寂しいという気持ちもあったし、梅鉢さんと食べたら美味しいだろうな、と思う事もあった。でも、もし教室から抜け出したとしたら、僕をいじめる連中が『鉄道オタクが逃げ出した』事をネタにからかったり差別的な言葉を並べるだけに決まっているし、戻ってきた後に机や椅子、教科書やノートに何をされるか分からない。だからこそ、僕は教室以外の場所でお昼ご飯を食べる事が出来なかった。


 でも、今回は違った。


「……どうかしら?最終的な判断は譲司君に任せるけれど……」


 こうやって、梅鉢さんと一緒に昼休憩の全ての時間を楽しく過ごせる機会は、本当に貴重だ。もしかしたら、お弁当の中身や好きな食べ物などでより話の花を咲かせることが出来るだろうし、梅鉢さんの狙い通り、僕たちの関係もより親密になるかもしれない。

 そして、もしかしたら、その素晴らしい空気に乗せられる形で、僕ははっきりと梅鉢さんの事を『下の名前』で堂々と呼べるかもしれない。 


 例えクラスの全員から笑われても、机や椅子が乱暴な事をされても、僕は教室を抜け出し、梅鉢さんとお昼ご飯を食べたい。


「……うん、一緒に食べよう……お弁当を……!」

「本当!?やったぁ、嬉しいわ!」


 その言葉を聞いて、梅鉢さんは僕の手を握り、大声で語りだした。お弁当は気合の入れたものを用意する、譲司君にも是非美味しいお弁当のおすそ分けをしたい、それに今回は『特別な場所』への予約も行う予定だ、絶対に普段なら入れない場所だから2人だけの時間を味わえる、明日が楽しみで仕方ない、いっそ早く明日が来ないか――。


「……う、梅鉢さん……」

「……あっ……ご、ごめんなさい、おばちゃん……」


 ――つい興奮し過ぎて大声を出してしまった事に気づいた梅鉢さんは、慌てて図書室のおばちゃんに謝った。僕も一緒にいて注意しなかった身として一緒に頭を下げて謝罪したけれど、おばちゃんは優しい表情で許してくれた。


「いやぁ、お弁当を初めて一緒に食べるなんて、初々しくて素敵だねぇ。まさに青春って感じで♪」

「せ、青春……!」

「そ、そうかしら……」


 そういえば、ずっと前もアイドルの美咲さんが、僕たちのやり取りを見て、まさに『青春』だ、と優しい言葉で述べてくれたことがあった。

 僕にも梅鉢さんにもそういった実感はなかったけれど、第三者の視点から見れば、僕たちはまさに『青春』真っ盛り、と言う感じなのかもしれない。

 それなら、明日はきっとお弁当に、『青春』という美味しい隠し味を加え、更に楽しい時間が過ごせるかもしれない。

 

 僕と梅鉢さんは、改めて互いの顔を見つめ、明日への期待を込めて笑顔を送り合った……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る