第25話:帰ってきた鉄路
昼休憩や放課後に梅鉢さんと出会い、鉄道談義で盛り上がる。
夜になると勉強をしたり、『鉄デポ』にログインして画面の向こうにいる沢山の仲間たちとボイスチャットを交わす。
そして、学校で過ごす時間はずっと――。
「という事で、今日もよろしくな、クズ鉄くん♪」
――理事長の息子である稲川君を始めとしたクラスの生徒に『鉄道オタク』だという理由でからかわれ、嘲り笑われ、面倒ごとを全て押し付けられる。
僕の日常は、相変わらず何も変わらないまま流れ続けていた。
その日も、僕はいつものように稲川君たちに教室の掃除を全て押し付けられた。
反論しようものなら何をされるか分からないし、例え担任に訴えても、「和達君が先に全ての掃除をやってくれると言ってくれた」「和達君はとても親切な生徒だから責めないでやってほしい」という稲川君たちの偽りの言葉を全く疑っていないせいで、僕の話を全く信じてくれない。
そして、こんな光景を梅鉢さんに見せるなんて猶更無理。梅鉢さんに心労を負わせることなんて、絶対にしたくない。
結局今日も、僕はたった1人で時間をかけて広い教室の掃き掃除、拭き掃除、そして机の整理をする羽目になった。
「なんか最近、あいつの顔見るとますますムカつかない?」
「分かるぜ、あの鉄ヲタ野郎、最近マジ調子に乗ってるよなー」
「ニヤニヤ顔とかマジ気色悪いよね。あたしじんましんが出そうだったし」
懸命に僕が掃除をしている教室の外で、稲川君は取り巻きの男女と僕の話で盛り上がっていた。それも、わざわざ聞こえるような大声で。
「まあ、こんなクズ鉄なんかよりもナガレくんの方がマジ素敵だもんねー!」
「分かるー!ナガレくんイケメンだし格好いいし!あんなキモい鉄オタよりも遥かに存在価値あるよね!」
「全く、お前たちみんなナガレくんの事好きだな~。俺の事もたまには褒めてくれよ~♪」
「も~、稲川君もマジイケメンだって~♪」
そして、彼らの話題の中心は、『ナガレ』というイケメン動画配信者に変わっていった。勿論、単に盛り上がるだけではなく、敢えて僕と比べる事で、鉄道オタクの気色悪さを卑下する事も忘れていなかった。このクラス、この学校では鉄道オタクは権力ピラミッドの最下位である事を突き付けるような言葉が、次々に僕の耳に入り続けた。
でも、幸いそれは永遠に続くものではなく、やがて稲川君たちは騒がしく教室を後にした。
(ふぅ……)
今日も無事、彼らの誹謗中傷、幾多ものいじめに耐えきる事が出来た事に、僕は安堵のため息をついた。
そして、気付いた時には教室の掃除もほぼ完了していた。いつの間にやら、1人で掃除する事にもすっかり慣れていたようである。
(よし……!)
鞄を背負い、僕が向かった先は、『鉄道オタク』仲間である梅鉢さんが待っている場所、学校の図書室だった。
普段は屋上へ向かう階段の踊り場で会う僕たちだけど、今回はとても嬉しい知らせがあると聞き、直接図書室へ赴くことになったのだ。
そして、図書室の扉を開いた僕は、待ち構えていた梅鉢さんに手を握られ、とある場所へと案内された。それは、僕と梅鉢さんが初めて出会い、互いに鉄道オタクである事を知り合い、交友関係を築いた場所――。
「……見て、譲司君!」
「……わぁ……!」
――鉄道に関する書籍がずらりと並ぶ、棚の一角だった。
「ふふ、2人が喜んでくれて本当に良かったよ」
「お、おばちゃん……!本当にありがとうございます……!」
「私も、本の修復に尽力して頂き感謝します」
優しく声をかけてくれた図書室のおばちゃんに僕と梅鉢さんが頭を下げたのには大きな理由があった。この棚に置かれていた鉄道の本は、以前全てズタズタに破壊され、水をかけられ、散々に破られた事があったのだ。そして、その犯人は稲川君たち僕をいじめ続ける生徒たちだった。
結局犯人はお咎めなしなのは、あの後もずっと僕へのいじめが続いている事からも残念ながら明らかだったけれど、本についてはおばちゃんが理事長と掛け合い、新品と交換してもらう事を約束してくれた。そして、ついにその努力が実り、この図書館に僕たちが訪れる理由の1つにもなっていた鉄道の本が、全て新品に交換されたのである。
「ここだけの話だけど、理事長は知らぬ存ぜぬで通そうとして厄介だったよ。たかが本ぐらいでいちいち騒ぐな、なんて言われてさ。あたしがもっと若かったら怒って大暴れしていたかもね」
「おばちゃんの気持ち、とても分かります……でも、無事全ての本が帰ってきて良かったですね」
「ま、理事長や学校はビタ一文も出さず、新たな本の代金は全部『スポンサー』に支払わせるという結果になっちゃったけどね」
うちの学校は何を考えているんだか、わざわざ支援をしてくれる人たちに対してあまりにも失礼過ぎるのではないか、というおばちゃんの愚痴に梅鉢さんと共に賛同する中で、僕はその言葉からある事を思い出していた。
おばちゃんが言う『スポンサー』とは、この学校に多額の寄付を続けているというとある大金持ちの人。その人が、生徒のためを思って多数寄付してくれたのが、これらの鉄道の本である事を、以前おばちゃんが教えてくれたことがあった。だからこそ、今回の事態を受けてスポンサーの人も重い腰を上げてくれたのかもしれない、と僕は感じた。
「で、でも、スポンサーの人が……無事本を買い替えてくれて……本当に嬉しいです……」
「そうだねぇ。2人の嬉しそうな顔を見てると、スポンサーもきっと買い直した甲斐があったと思うよ」
「ふふ、そうだといいですね」
そんな会話が続くうち、僕はふと気になって梅鉢さんたちに尋ねた。単なる一生徒である僕の立場では、この学校の理事長に出会う事は学校行事を除いてめったにないし、スポンサーに至ってはどんな人なのかすらよく分からない。明らかなのは、僕たちと同じように鉄道が大好きかもしれない、という事だけだ。
「スポンサーって……一体どんな人なんでしょうか……」
「うーん……それなんだけど、あまり表立ってスポンサーだって発表したくない、って聞いた事がある気がするねぇ」
「そ、そうなんですか……」
「きっと何か事情があるのよ、譲司君。あまり詮索しない方が良いかもしれないわ」
梅鉢さんに窘められてしまった僕は、これ以上深く考えない事にした。折角これだけの本を用意してくれた素晴らしい人の尊厳を傷つけるようなことは、絶対にしたくないからだ。
「それよりも、せっかく本が戻ってきたんだし、早速借りちゃいましょう!」
「そうだよ。ここに揃っている本はみんな、2人に読んでもらうのを心待ちにしているからねぇ♪」
「は、はい……分かりました……!」
そして、気持ちを切り替えた僕は、早速梅鉢さんと共にずらりと並ぶ本から今日借りるものを見つける事にした。
ブルートレインに旧型国電、貨物列車に軽便鉄道。それに、海外の鉄道に気動車。久しぶりに見る様々な本に混ざって、今まで蔵書になかった新たな本も幾つか発見する事が出来た。今回、スポンサーの人は破損した本を買い替えるだけではなく、新たな本も追加してくれたようだ。
鉄道オタクの端くれとして感謝しつつ、僕は順調に借りたい本を見つけていった。そして、最後の1冊は何にしようか、と探していた時、偶然ある本が目に留まった。
「絵本もあるんだ……あっ、そ、その……」
つい驚きの感情が声に出てしまった僕に、図書室のおばちゃんは優しく事情を説明してくれた。
確かに僕たちの年齢には絵本は似合わないかもしれないけれど、今時は大人向けの絵本も数多くあるし、深いメッセージが込められているものも多い。きっと『スポンサー』である大金持ちの人は、そういう作者の心を受け止めて欲しいと言う思いで、敢えて絵本を新しく追加したのだろう、と。
「なるほど……ありがとうございます……」
「譲司君、その絵本を借りるの?」
「う、うん……久しぶりに読み直してみるよ……」
そして、僕がその『絵本』を手に取った時、梅鉢さんがある事を思い出したようなしぐさを見せた。
「どうしたの、梅鉢さん……?」
「そういえば譲司君も、『ジョバンニ』っていう名前を持っていたわね」
「……ああ!」
その言葉で、僕も思い出した。手に持っているこの絵本の主人公の名前と、以前に僕が貰った初めてのあだ名にして『鉄デポ』で使っているニックネームは、どちらとも『ジョバンニ』である事を。
「ま、あれはサクラが付けた名前なんだけどね……うーん……」
「ごめん、やっぱり慣れない……?」
「だ、大丈夫よ!慣れるよう頑張るわ……」
「おやおや、何の話かな?」
「な、何でもないです!」
「そうそう、こちらの話ですのでご心配なく……」
どこか楽しそうに尋ねるおばちゃんに、梅鉢さんと共に慌てて詳細を隠しつつ、僕はふと思った。
小さい頃から何度も読んだ事がある、絵本に描かれた銀河を駆ける鉄道に乗り込んだ少年の物語。そして、その少年と共に旅をするのは、彼がどんな目に遭ってもずっと味方でいてくれた大切な友達。
(……梅鉢さんは、僕にとっての『カムパネルラ』なのかな……)
僕の中に生まれた1つの結論は、しばらく僕の心から離れる事が無かった……。
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