第19話:文字と声で広がる世界
「あら、どうしたの、譲司?」
「えっ……?」
夕食を家族で一緒に食べている時、僕は突然母さんから尋ねられた。悩んでいるようだけど、一体何があったのか、と。
何でもない、と返そうとしたけれど、父さんからも同じように、ずっと複雑そうな、何か心に抱えているような顔をしながら食事をしていた事を指摘された。
無意識のうちに、今日の放課後からずっと考え続けている事が、表情に出てしまっていたのだ。
何かあったのなら気軽に相談してほしい、という優しい母さんの助言を受けた僕は、様々な経験を得ているはずの人生の大先輩として、両親にあの事――梅鉢さんから招待された、『鉄デポ』について、相談してみる事にした。
「特別なネットのサークル?」
「う、うん……友達から誘われて……。も、勿論全然危険じゃないし、信頼のおけるところだよ。それに、僕の『特別な友達』が、そこで待っているって言っていて……そ、それで、入ろうかどうか……悩んでいるんだ……」
どのように言葉を繋げば、『鉄デポ』と言う場所が安心、信頼のおける場所だと納得してくれるか苦慮しつつ、僕は何とか相談内容を口に出すことが出来た。しかし、それに対して父さんや母さんが最初に見せたのは、きょとんとしたような表情だった。
もしかして、父さんや母さんは僕の説明で納得してくれなかったのではないか。ネットのサークルなんていう危ない場所なんて絶対に反対、友達の誘いだからという言葉こそ一番危険、絶対に許さない――そんな事を言われ、怒られてしまうかもしれない。
悩んだ挙句あまりにも下手な相談内容になってしまった事を、僕は口に出してから後悔する羽目になった。
ところが、父さんや母さんが見せたのは、そんな僕の予想とは全く異なる、意外な反応だった。
「……ああ、そうか!父さん、譲司はネット世界の『文通サークル』みたいなものに入りたい、って考えてるのよ」
「あーなるほど、そういう事か!それなら納得だ。うんうん、面白そうじゃないか」
「……えっ、えっ……?」
文通と言う言葉は、一応僕も知っている。ネットが発達する前から盛んに行われ、今も各地で楽しんでいる人がいるという、リアルな手紙のやり取りだ。
でも、それだけであっという間に僕の言いたい事をだいたい納得してしまうというのは、正直驚きだった。
「か、母さんも父さんも……分かってくれたの?」
「ええ。昔も似たような事をやってたからね。実は私も、結構文通を楽しんでいたのよ」
「そ、そうなの……!?」
母さん曰く、若い頃は雑誌に文通相手、昔で言う『ペンフレンド』を募集する欄があり、昔から賑やかで明るかった母さんは積極的に自分の名前や住所を記載しては、各地に文通を楽しむ仲間を増やしていたという。
勿論、すぐに返信が途絶えてそれっきり、という人も多かったようだけど、中にはそれがきっかけで交友関係が築かれ、遠く離れた場所に住んでいても互いに趣味や嗜好を共有し合える間柄になれた人もいた、と母さんは楽しそうに語ってくれた。
いつも野菜を贈ってくれるおばさんも、そんな文通がきっかけで仲良くなった人だというのは、僕にとって初耳だった。
そういえば、僕が時々読む20世紀後半、昭和から平成初期の鉄道雑誌にも、巻末に文通相手やサークル仲間を募集する欄があり、そこに堂々と住所や名前が掲載されていた。
個人情報の保護が叫ばれている今の世の中だと考えられない話だ、という僕の言葉に、母さんは勿論父さんも大いに納得してくれた。
「譲司の言う通り、住所や名前を晒すリスクは確かにあったし、『顔が見えない相手と手紙をやり取りするのは危険すぎる』なんて大人はうるさかったわね」
「確かにそうだったな。有名人とかへの『成りすまし』も、ネットが発達する前の文通時代からあったんだぞ」
「そ、そうなんだ……」
でも、そんな不安や恐怖があったとしても、『文通』――住所と名前以外は見ず知らず、でも自分の事を受け入れてくれるはずの誰かと思いを伝えあう時間はとても楽しかった、と母さんは語った。行く事が難しい遠い場所の光景、何日もかかるであろう名所案内。手紙の中に寄せられる様々な言葉や写真のお陰で、自分の中の世界が一気に広がった、と。
「良い思い出だけしかない、といえば噓になっちゃうけれど、今振り返ると、面白かった思い出の方が多かったのは間違いないわ。譲司、新しい世界に触れるのはとっても楽しい事よ」
父さんも大いに頷いたその言葉に、僕は背中を押された気がした。
今までの僕は、ずっとひとりで鉄道趣味を楽しみ続けていた。本心では誰かとそれを分かち合いたいという気分を抱えながらも、勇気が振り絞れなかった。でも、黒髪美女の梅鉢さんと出会い、共に趣味を共有し合った時から、僕の世界は少しづつ広がり始めた。ギャルの幸風さんと出会った時も、また少しだけ広げることが出来た。
そして今、僕は文字通り、未知の世界に足を踏み入れようとしている。少々危なっかしい形だけど、そこには僕の事を楽しみに待っている人がたくさんいるという。こんなちっぽけで情けない僕に、期待をかけてくれる人がたくさんいる、と梅鉢さんは既に教えてくれている。
きっとその場所は、『楽しい』はずだ。
「……ごめん、母さんに父さん、僕のために気を遣ってくれて……」
自然に恐縮の言葉が出た僕を、母さんも父さんも笑顔で見つめてくれた。
「ま、どうするか最後に決めるのは譲司次第だ。危ない事に巻き込まれない限りは、父さんたちは譲司の考えを尊重するよ」
「それに、ネットを使いこなしている譲司なら、私たちよりネットリテラシーとか言う今時のルールはしっかりしてるでしょ?信頼してるわ、譲司」
「う、そ、そう言われると……」
ちょっと不安かも、と言いつつ、僕は自然に自分の頬が緩んでいるのを感じた。きっと、両親が僕の事をずっと応援してくれているのを改めて認識できたからかもしれない。
「ただし、そのネットサークルとやらに夢中になりすぎて、宿題をサボったりするのは駄目よ。学生の本分は勉強なんだから」
「そうだぞ、母さんのように文通や長電話に夢中になって、勉強や宿題を忘れるようになっちゃ……」
「ちょっと、その事は言わないで!説得力が無くなっちゃうじゃない」
「いやいや、大事な事じゃないか、母さん?」
「もう、意地悪なんだから……」
まあまあ、と宥めつつ、僕は改めて素敵な両親の応援に、心の中で感謝した。
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そして翌日、僕が『鉄デポ』――特別な鉄道サークル、安全が保障されているというクローズドSNSに入会する決意を固めた事を伝えた途端、梅鉢さんは大喜びの表情を見せてくれた。
「嬉しい!これで譲司君ともっともっと仲良くなれるわ!やった、『鉄デポ』仲間がまた1人増えちゃったわ!」
「ぼ、僕も楽しみ……色々な鉄道オタクの人たちがいるんでしょ……?」
「ええ、古今東西、色々な人たちが、譲司君が来るのを今か今かと待って……あっ……」
その時、梅鉢さんは何かを思い出したような表情を見せ、直後に大慌てて僕にある事を伝えた。
この『鉄デポ』、確かに様々な鉄道オタクと交流が出来る素敵な場所なのは間違いないが、その交流のメインは、あの時母さんや父さんが楽しそうに語っていた文通のような『文字』ではなく、マイクを通した『自身の声』。つまり、『鉄デポ』はいわゆる『ボイスチャット』が主体だというのだ。
「そ、そうだったの……!?」
「本当にごめんなさい、伝えるのをすっかり忘れていたわ……」
「そうか……だから、梅鉢さんと幸風さんは実際に会う前から互いの声を知っていたんだね……」
「そういう事よ。どうする?文字チャットだけでも楽しめるし、実際そうやって参加している人も多いけれど……私としては……いえ、何でもないわ……」
梅鉢さんの問いに、僕はしばらく悩んだ。
『鉄デポ』に参加したい、という思いは絶対に揺るがないし、撤回なんて考えていない。ボイスチャットと大げさに言っても、要は父さんや母さんたちの時代でいう『電話』みたいなものだ。でも、僕の声が本当に『鉄デポ』で待つ人たちに受け入れられるのだろうか。いつも肝心なところで噛んだり言葉が詰まってしまったり、情けない事ばかりやっている僕でも大丈夫なのだろうか。
とはいえ、皆が声でのやり取りを楽しんでいるのに、文字だけで参加するも少し寂しいし、何よりその言葉を聞くに、梅鉢さんは僕と声での交流を望んでいるようだ。
でも、今回は早く決断がついた。折角『鉄デポ』と言う新しい世界へ足を踏み入れるのだから、文字だけに留まらない交流をしてみたい。何より、それが梅鉢さんにとって一番嬉しい判断だろう、と僕は結論付けたのだ。
「……分かった、ボイスチャットにも参加してみるよ」
「本当!?ありがとう!やったぁ、これで譲司君の美声が皆に披露できるわ!」
「そ、そんな、僕の声なんて……って、しまった、機材が……」
「機材?ボイスチャット用のマイクが無いってこと?」
「う、うん……ごめん……」
こちらも肝心な事を忘れたまま勢いで言ってしまい、若干申し訳ない気持ちになった僕は、マイクが付いたヘッドホンのような、ボイスチャットに必要な機材を次の休みに購入し、その後に登録してみる、と告げた。すると、梅鉢さんはある提案をした。
「ねえ、だったら一緒に家電量販店へ行かない?私も見てみたいものがあったの」
「……え、という事は……デート?」
「ふふ、そうなるわね」
勿論、その嬉しい誘いを僕が断るわけはなかった。
こうして僕は、梅鉢さんと共に、より広い世界へ旅立つための準備をする事となった……。
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