第3章

第17話:鉄オタ、撮り鉄、自浄作用

 それは、いつものようにお昼の弁当をたった1人、教室で静かに食べ終え、席を立とうとした時だった。

 梅鉢さんが待っているであろう、屋上へ続く階段の踊り場へ向かおうとした僕を呼び止めたのは――。


「あのさぁ、和達君・・・?ちょっといいかなぁ?」


 ――わざとねちっこく、異様に優しい口調で僕の苗字を言う、クラスの権力ピラミッドのトップにして学校の理事長の息子である稲川徹君と、彼の取り巻きの生徒たちだった。

 進行方向を塞がれてしまい、彼らの言葉に従うしかない僕は、恐る恐る何の用かと尋ねた。

 すると、稲川君は手元にあったスマホをゆっくりと取り出し、そこに映し出されている動画を僕に見せた。


「この動画、電車にとぉっても詳しい君なら、見覚えあるよな?」


 その言葉通り、僕はこの映像にとても見覚えがあった。僕が情報収集用に登録しているSNSでも、嫌と言うほど流れてきた。

 とあるレアな列車が、名撮影地として有名な場所を通過しようとしていた時、線路の中に『撮り鉄』――様々な鉄道写真の撮影を趣味としている鉄道オタクたちが乱入し、あろうことか列車の運行を妨害してしまった、という内容だ。

 そして、犯人の悪質な撮り鉄たちは、列車が止まったのを見るや否やその場を離れ、どこかへ逃げ出してしまっていた。その一部始終が、動画にしっかり映されてしまっているとも知らずに。


「で、この悪い鉄道オタクはどうなったか、みんな知ってるよなー?」

「知ってる知ってる!警察に捕まったんでしょー?」

「そうそう、立派な『犯罪者』になっちゃったんだよねー♪」


 わざわざ周りで言わなくても、僕もこの事件がどうなったのか、先日発表された続報でしっかりと目にしていた。

 線路に侵入し、ネットを中心に悪い意味で大きな話題になった撮り鉄たちが警察に捕まり、名実ともに『犯罪者』になってしまった事を。

 相変わらず世の中には悪質な鉄道オタクが絶えない。せめて僕だけでも、そんな風にならないようにしないと、と気を引き締めた事は覚えている。

 でも、稲川君たちは、そんな僕の思いなど知る由もなく、まるで嘲り笑うように言葉をつづけた。


「これってさぁ、君と同じ『鉄道オタク』だよねぇ?」

「そうそう、あたしたち、この動画見て、稲川君と一緒に凄い嫌な気分になったんだよね」

「こういう悪い事をする『犯罪者』って許せないよね、関係に俺達にまで被害を与えるんだからさ」

「全くだよ。ほんと、撮り鉄、いや『鉄道オタク』って犯罪者だよね」


 何が言いたいのか、最初僕には理解できなかった。確かにあの動画を見て嫌な気分になった人もいるだろう。僕だって、同じ鉄道オタクとして、列車を自分のわがままで止める行為は許せなかった。

 でも、何故それらの感想を口々に僕の目の前で言うのだろうか。どういう意図があるのだろうか。


「……そ……それで……ど、どうしたの……?」


 恐る恐る尋ねた僕に、いかにもわざとらしい、嬉しそうな表情を見せながら、稲川君はこういった。


「いやぁ、鉄道オタクとして、俺たち一般人を不快にさせた事を謝ってほしいんだよね」

「……えっ……?」


 つい、口から批判的な言葉が出てしまったのも無理はないだろう。

 確かに撮り鉄=『鉄道オタク』が稲川君たち一般人を不快にさせてしまったのは間違いない。でも、どうしてそれに関する謝罪を、僕自身がしなければならないのだろうか。あの撮影地にもいなければ、そもそもあんな悪質な連中を許せない、という意見を持つはずのこの僕が。

 そんな不満や困惑は、いつの間にか僕の表情にも出てしまっていたようで、稲川君たちクラスの権力ピラミッドの上位にいる生徒たちはこの僕、『鉄道オタク』という概念に対して口々に文句を言い始めた。


「うわっ!こいつめっちゃ不満そうな顔してる」

「あーあ、やっぱりアレだな、鉄道オタクって『自浄作用』が全然無いよな」

「自分たちの仲間が迷惑かけても、お前みたいに知らん顔!」

「あの動画でも、撮り鉄たちはだーれも危険行為している連中に注意も何もしてなかったよな~」

「ほんとほんと、稲川君が言った『鉄道オタクは犯罪者』って意味がますます理解できちゃう」


「いいのかな~、和達君?このままだとみーんな『鉄道オタク』が『弱者』で『犯罪者』で『社会不適合者』だって思っちゃうぜ~?」


 次々に耳に入り続ける誹謗中傷。でも、ここでムキになって反論しても何の意味もないどころか、逆に嘲り笑われ、更に酷い言葉を浴びせられてしまう事は嫌と言う程認識していた。

 だから僕は、何も言わず、何も聞かず、懸命に悪口に耐え続けた。何を言われても無視し続ける事にした。

 ところが、そんな僕の行動を目にした稲川君は――。


「……へぇ、こんだけ言っても俺たちの忠告を無視するんだ」


 ――そう言いながら、ゆっくりと僕の席に近づいた。そして、机の横にぶら下げていた僕の鞄を、乱暴にひったくったのである。


「か、返して……!」


 予想していない事態に慌て、必死に返却を訴える僕だったが、そんな言葉を聞いて稲川君たちが素直に渡すわけはなく、そのまま鞄を教室の窓へ近づけていった。このまま稲川君の腕力で鞄が投げられてしまうと、教室の外はおろか、学校の外にも飛び出してしまうかもしれない。

 どうすれば良いか分からず、ついおろおろする仕草を見せてしまった僕に、『にちゃぁ』という効果音が似合いそうな笑みを見せながら、稲川君はこう言った。 


「ほら、ちゃんと謝らないと、君の鞄がどっかへ飛んじゃうかもしれないぞぉ~?」

「そうそう、稲川君は力がめっちゃ強いし、加減も出来ないからねー♪」

「ま、鞄にとってもそっちの方が幸せかもしれないけどな」

「『自浄作用』も何もない、キモくてダサい鉄オタなんかに使われるより、よっぽどましだよな~」

「ほーら、でんちゃっちゃ君、ちゃんと謝らないと鞄が泣いちゃうぞ~♪」

 

 稲川君の言葉に合わせて、取り巻きの男女も次々に僕をはやし立て続けた。

 自浄作用がない鉄道オタクが悪い。きもくてダサい鉄道オタクが悪い。犯罪者の鉄道オタクが悪い。何もかも鉄道オタクが悪い。謝れ、謝れ、今すぐ謝れ。

 四方八方から次々に投げつけられる言葉の槍に、僕は全ての進路を塞がれてしまった。最早、僕に出来るのはたった1つの行動だけだった。


「……ご……ごめん……なさい……」


 なんとか言葉を紡ぎながら、僕は謝罪の言葉を述べることが出来た。

 でも、それを受けた稲川君たちは一斉に顔を見合わせた後、何か言ったのか、何も聞こえなかった、と一斉に伝えてきたのである。

 もっとクラスの全員に聞こえるように言え、もっと誠意を込めて謝れ、と更に罵声が飛ぶ中、稲川君が僕に対してある提案をした。これなら、誰が見ても絶対に『謝罪』に見える素晴らしい方法だ、と。


「ど……土手座……?」

「そう、土手座。日本古来の素晴らしい謝罪方法。知ってるよなぁ、和達君・・・?」

「なるほど、これならちゃーんと『自浄作用』が出来てるって言えるよね」

「流石稲川君、頭いい!」


 皆が稲川君をわざとらしく褒め称える一方で、僕は全身が震え、真っ青になっているのを嫌と言う程感じていた。

 僕の中にも、『鉄道オタク』であり続けたい、というプライドのようなものが残っている事が、僅かだけど実感できた。それを稲川君たちに汚される事を、僕は何よりも恐れていたのだ。

 だが、結局僕が出来たのは、周りを取り囲むクラスの生徒たちを見て、恐怖に震え続けながら、早く土手座しろ、とまくしたてる声に対して必死に抵抗する事だけだった。

 そして、最終的にその懸命の努力は――。


「早くしろよ、この◯◯◯◯屑鉄が!俺たちの命令が聞けないのか、あぁん!?」


 ――聞くに堪えない、文字にするのも嫌な差別用語をまくしたて、憤りを露わにした稲川君の前に、無駄に終わった。

 その言葉を聞いた瞬間、僕はプライドを守るよりも、自分の身と心を守るため、無様な姿を見せる、という選択肢を選んだのである。


「ごめんなさい!!!僕が悪かったです!!!許してください!!!」


 そう言って頭を下げ、土手座をする僕を見て、稲川君たちは爆笑していた。

 そしてその声に混ざり、スマホのシャッター音も幾つか聞こえた。鉄道オタクの土手座という決定的なシーンを、エンターテイメントとして楽しむために。


「いやぁ、たーっぷり誠意は伝わったぜ、鉄道オタク君♪」

「これで俺たちもストレスがすっかり消えたって訳だ♪」

「あ、ちゃんと写真や映像にも記録しておいたから安心してね~♪」

「これで鉄道オタクにも自浄作用があるってみーんな理解してくれたよ♪」


 そして、稲川君は乱暴に僕の机へ向けて鞄を投げ飛ばした。何とか受け止めるのには成功したものの、中身はかなりぐちゃぐちゃになってしまった。

 やがて、次の授業が近づいている事を示す放送が鳴り響いた。それを聞き、稲川君を始めとする生徒たちは、まるで何事もなかったかのように自分の席へ戻っていった。

 

「……はぁ……」


 気づいた時、僕の口からは大きなため息が漏れていた。


 正直なところ、稲川君を筆頭としたクラス全員からのいじめに関して、僕は若干諦めの感情を抱いていた。確かに怖いし辛いし、時には悔しい事もある。でも、何かしら行動を起こしたとしても、結局待っているのは僕が皆から更にいじめられる結末だけ、というのが嫌と言う程分かっていたからだ。

 僕一人が耐えれば、僕一人が被害を受け続ければ、少なくとも他の人――図書室のおばちゃんや梅鉢さん、そして僕の家族への被害は最小限に抑えられる。僕だけが苦しめばみんなが守られる。そう考えていた。

 

 そんな僕にとって、いじめ以上に不安だったのは、結果的に昼休憩中に梅鉢さんと踊り場で会う、という約束をすっぽかしてしまった事であった。


(……梅鉢さん……怒ってなければいいな……)


 どうせ放課後もまた、いつものように稲川君たちに掃除を押し付けられる事になるだろう。

 早く終わらせて、今度こそ梅鉢さんに会って、今回の一件を謝らないと。でも、どうやって謝ればいいんだろう。

 そんな苦しい気持ちを心に秘めながら、僕は次の授業が始まるチャイムを耳に入れた……。

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