第16話:ジェラシー・エクスプレス

 楽しかった時間ほど、あっという間に過ぎるもの。

 太陽が沈み、僕たちも互いの家に帰り、気付いた時には夕ご飯を食べて部屋で明日の予習をしながらのんびりとくつろぐ時間になっていた。

 勉強机の傍にある椅子の上に座りながら、僕は今日の楽しい時間を思い返し続けた。


(本当にいっぱい歩いたな……でも楽しかったなぁ……)


 図書館を離れた後、僕と梅鉢さん、そしてギャルの幸風さんは、3人揃って町の中心部を流れる大きな川岸をのんびりと進んだ。

 芝生や木々が生い茂る、緑あふれるこのルートを是非歩いてみたかった、という梅鉢さんのリクエストに応え、僕と幸風さんは楽しく会話を弾ませながら一緒に歩いたのである。

 勿論、会話の中身は自然に鉄道の事ばかりになった。幾ら話して続けても、僕たちの口からは絶えることがない泉のように、多種多様な鉄道の話題がとめどなく溢れ続けた。

 僕も大概かもしれないけれど、梅鉢さんも幸風さんも、ライトな話題にもディープな内容にも積極的についていくことが出来るほど、豊富な鉄道知識を持っている事を改めて知ることが出来た。

 

 そして散歩の途中、僕たちは美味しそうなスイーツを売っている川沿いの店を見つけた。

 長い徒歩の時間に加え、思いっきり喋り尽くしたことで心地よくも若干の疲れを覚えた僕たちはここで一息つくことになり、全員でお揃いのジェラートを注文した。

 若干時季外れだった事もあってかジェラートの冷たさが全身に染みわたってしまったけれど、友達同士で食べるおやつは格別に美味しかった。


(そうだ、確かここで僕が質問したんだった……アイスとジェラートって何が違うのかって……)


 鉄道と全く関係ない質問だったけれど、僕が抱いていた長年の疑問に、幸風さんは丁寧に解説してくれた。曰く、ジェラートとアイスは含まれている乳脂の割合が違っており、ジェラートの方が少なく味わいがあっさりしているらしい。

 僕が感心する横で、梅鉢さんも同様の表情を見せていた。 


(幸風さんも言ってたけど、梅鉢さんが知らなかったのは少し意外だったな……)


 でも、やはり一番記憶に残ったのは、散歩コースの終点にある公園だった。

 ここは、僕たちが図書館へ行くときに毎回お世話になっている大手私鉄の線路を間近で見ることが出来る場所でもあり、撮り鉄の人から親子連れの人たちまで多くの鉄道オタクが訪れる名スポットなのだ。

 とはいえ、僕も梅鉢さんも写真を撮るのは少し苦手で、よく写真をSNSにアップしている幸風さんも鉄道車両を撮影する機会はほとんどないと苦笑いしていた。

 そのため、僕たちは公園のベンチに座り、通り過ぎる電車をのんびり眺める事となった。

 改めて振り返ると、背も低く冴えない1人の男子が、黒髪の美少女と金髪のギャルに挟まれながら、通り過ぎる電車を見て一斉に興奮して語り合う光景は奇妙に見えただろうし、そもそも普通のデートとは趣が非常に異なっていたかもしれない。

 でも、少なくとも僕にとっては、皆で一緒に引退予定の旧型電車に一喜一憂し、それに代わって活躍する新型車両のデザインに関する議論を重ねたあの時間は、とても有意義だったのは間違いなかった。


(今日は本当に、本当に楽しかった……)


 梅鉢さんも幸風さんも同じ思いだと嬉しい、なんて事を考えていた時、机の上に置いていたスマホが突然震え始めた。

 慌てて画面を見ると、そこには梅鉢さんの電話番号と、着信が入った事を示すマークが表示されていた。


「も、もしもし……!」


 そして、電話の向こうから流れてきたのは、夕暮れ迫る空を見上げながら別れて以来、数時間ぶりに聞く梅鉢さんの声だった。


『よかった、無事通じた!ごめんなさい、こんな夜中に』

「梅鉢さん、どうしたの……?」

『いや、ちょっと……譲司君の声を耳に入れたくなっちゃって……』


 こちらも梅鉢さんと話せたらいいなと考えていたところだ、と返し、色々と言葉を交わし合った時だった。

 突然、スマホの向こうから、妙に緊張したような声で、梅鉢さんがこんな事を尋ねてきたのである。


『ね、ねぇ……この機会に、ちょっと譲司君に聞きたい事があるんだけど……』

「え、ど、どうしたの……?」

『そこまで大したことじゃないけれど……私の友達の「幸風サクラ」、今日会ってどんな風に感じた?』

「えっ……幸風さん?」


 どうして突然友達の印象を答えるよう求めたのか、その理由が分からず素っ頓狂な声を出してしまった僕に、ちょっと気になっただけだから気負わなくても大丈夫、と梅鉢さんは語った。でも、僕はその口調に真剣さを感じ、でたらめかついい加減に答えるのは失礼にあたる、と直感した。そして、少しの間を置いた後、僕は正直に『幸風サクラ』という人の感想を述べた。


「えっと……まず、とっても凄い人だって思った……モデルさんだし、インフルエンサーとしても人気だし……」

『うん……それで……?』

「そ、それと……気さくで明るくて……僕のような人にも優しく接してくれて……それに、鉄道の知識も物凄く多くて……とにかく、一言で表すと……やっぱり『凄い人』かな」


『そう……凄い人、ね……ふうん……』


 文字にしてみるとまるで納得したような雰囲気のようだけれど、僕は梅鉢さんの言葉の響きに一抹の羨ましさや寂しさののような雰囲気を感じた。そして、ようやく僕は質問の意図に気が付いた。


「え、ええと……う、梅鉢さんだって凄いと思うよ……」


 気づいた時には、僕は慌てたような早口で、梅鉢さんの『凄さ』を次々と口にしていた。


「綺麗で素敵だし、僕よりもはっきりと物事を言って格好良いし……それに、気動車とか様々な知識があるし……」

『そ、それなら譲司君だって……』

「で、でも何より……手に届かないようなところにいる幸風さんと仲良くなれたのは、梅鉢さんが魅力的だからだと思うんだ……」

『私の魅力……?』

「う、うん……梅鉢さんが素晴らしさに溢れているから、幸風さんと友達になれたんだと思う……や、やっぱり梅鉢さんは、凄くて……ええと……」


 勢いに任せて褒め称えた結果、僕は息切れしてしまい、自分でも何を言っているか危うく分からなくなる事態になってしまった。

 一気に喋り過ぎた事を謝る僕に返ってきたのは、どこか安心したような、梅鉢さんからの感謝の言葉だった。


『……ありがとう、譲司君。それと、ごめんなさい』

「えっ……?」

『多分もう察してると思うけど、私、サクラに譲司君が取られるんじゃないか、なんて気持ちがちょっぴり湧いてしまったの。あの時は否定したけど……』

「あの時……もしかして、ブルートレインの……?」

『そう。サクラと譲司君が、私以上のブルートレインの知識でとっても盛り上がっていた時。それに、サクラが譲司君にニックネームを付けた時もね……』

「あぁ……僕の事を『ジョバンニ』って……」


 友達であるはずの幸風さんへ不満を抱いてしまったのと同時に、僕に対しても自分を置いてきぼりにしてしまいそうに感じてしまった、と梅鉢さんもまた正直に語ってくれた。その気持ちがどうしても解消できず、こうやって電話をすることで直接僕から幸風さんに対する気持ちを聞きたかった、という訳だ。

 その言葉は、僕が予想していた梅鉢さんの質問の意図とほぼ同じだった。


「大丈夫だよ……梅鉢さんは、僕の特別な友達だから、安心して。だ、だって、僕の事を下の名前で呼んでくれるし……」

『譲司君……そうね、「特別な友達」って最初に言ったのは私だったわね』

「うん……だから、これからも一緒に、楽しい時間を過ごしたいな……」

『ふふ、こちらこそ。何度も言うけど、本当にありがとう、譲司君!』


 いつの間にか、梅鉢さんの声は元の明るい声――僕を始めとする『友達』にだけしか見せない、『絶対零度の美少女』のイメージとは真逆の本当の声に戻っていた。

 そして、僕たちは互いに今日は本当に楽しかった、とお礼を言い合い、また学校で会う約束を交わしながら電話を切った。

 勿論、一緒に過ごした幸風サクラさんにも、僕が感謝の言葉を言っていた事を伝えて欲しい、とお願いするのも忘れずに。


(……梅鉢さんもきっと、僕と同じように色々な思い出に包まれながらお風呂に入ったり眠ったりするんだろうな……)


 もう一度そんなことを考えつつ、改めて予習を始めようとした時、僕の心にある疑問が浮かんだ。

 僕と初めて会った時、レストランで一緒に食事を食べた時など、様々な場面で幸風さんは僕の事を『リア友』=梅鉢さんのリアルな友達と呼んでいた。

 普通の友達ではなく、わざわざ『リアル』という言葉を強調し続けたのは、何か理由でもあるのだろうか。

 それに、ネットで知り合ったとはいえ、梅鉢さんと幸風さんは、顔も声も、実際の名前すら分かり合っている友達なのに、互いの学校などを把握していなかったという、少し奇妙な状態だった。

 一体、この2人はどうやって広いネットの世界で知り合い、交友を深め、僕と言う存在がいる情報を共有しあったのだろうか。

 

(うーん……次会う時に聞いてみようかな……いや、でもいきなり聞いたら失礼かな……)


 気付けば僕は、予習の内容よりもそれらの疑問の方に集中していた。

 でも、結局その日のうちに答えが出る事はなかった。


 そして、この時の僕は全く知らなかった。

 このふとした疑問が、ちっぽけで情けない鉄道オタクの端くれだったこの僕、和達譲司を、より大きく広く、そしてたくさんの『鉄路てつろ』に満ちた世界へ導くきっかけになる事を……。

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