第8話:デート・オン・ザ・トレイン

(……うぅ……やっぱり早すぎたかな……)


 待ちに待った、梅鉢さんとの図書館デートの日、僕は待ち合わせ場所である広場に予定時間よりも数十分早く到着してしまった。

 予定よりも早めに到着して相手を待っていれば好感度はきっとアップする、と父さんや母さんはアドバイスしてくれたけれど、それにしては急ぎ過ぎたかもしれない。これからの空き時間、どうやって暇をつぶして過ごそうか、なんて考え始めた時だった。


「おはよう、譲司君!もしかして待っちゃったかしら?」

「あ、う、梅鉢さん……!」


 『絶対零度の美少女』という異名が全く感じられないほどの元気な声をあげて、今日僕と行動を共にすることになる梅鉢さんがやってきたのだ。

 僕が既にいたのを見て、てっきり遅刻したと思ってしまった、と謝る梅鉢さんと共に、僕たちは時計やスマホを見て、2人とも結果的に予定よりもかなり早い時間に集合していた事を確認し合った。


「あはは……結局2人とも、予定よりかなり早く到着したって訳ね」

「予定時間、早めにセットしておいた方が良かったかな……」

「まあ、私も譲司君も、これからが待ちきれなかったから早く来たんだし、結果オーライよ」

「そ、そうだね……」


 そんな事を言いながら笑顔を見せる梅鉢さんにつられて温かい気持ちになった僕は、梅鉢さんの今日の装いをじっくり眺めていた。

 鉄道の事にしか興味がない僕にとって、ファッションは何もかも未知の分野。半袖や長袖、それくらいしか知識がなかったし、服の種類なんてほとんど分からない。それでも、初めて見た梅鉢さんの私服は、僕にとってとても魅力的なものに感じた。

 何とかその気持ちを伝えないと、と足りない知識を振り絞って、ようやく僕の脳裏に言葉が浮かんできた。

 今の梅鉢さんの衣装は、濃い赤色のロングスカートに黄色がかった小麦色の服という、どこか大人っぽいような色合い。そして、この色の組み合わせは僕にとって非常に見覚えがあるものだった。そして、僕の口から出たのは――。


「う、梅鉢さん……そ、その服の色……キハ58形気動車そっくりだね……」


 ――梅鉢さんの衣装を『鉄道車両の塗装』に例える、というものだった。


 折角頑張って選んだであろう衣装をよりによって鉄道車両に例えるなんて、もしかしたら失礼な事を言ったかもしれない、と一瞬不安に思った僕だけど、それが杞憂であったことは、梅鉢さんが更に嬉しそうな表情を見せてくれた事で明らかになった。


「本当!?流石譲司君、分かってくれて嬉しいわ!」


 そう、僕に負けず劣らず鉄道について詳しい梅鉢さんが一番大好きな鉄道車両は、日本全国で活躍した急行用気動車・キハ58形なのである。


「スカーレットに小麦色、国鉄急行型気動車の標準塗装。本当は色彩も実際の車両と同じ『クリーム4号』と『赤11号』に揃えたかったんだけど、ちょっとだけ違うのよね……」

「で、でも似合っていて……とても素敵だと思う……」

「本当?良かった!譲司君が認めるなら安心ね!」

「え、え、そ、そんな大役を……」


 同じ鉄道オタクのお墨付きほど嬉しいものはないわ、という梅鉢さんの言葉に、つい緊張してしまった僕の心がほぐれた気がした。

 そして、梅鉢さんもまた、僕の衣装を褒めてくれた。そのカラーリング、東海道・山陽新幹線で活躍していた100系新幹線の塗装で合わせてきたわね、と。

 家族以外の誰かと一緒に出掛ける、しかも異性と一緒にどこかへ行くなんて初めてで何を着れば良いか分からず、手持ちの比較的しわのない綺麗な襟付きの白いシャツと、普段から外出時に着ている青色のジーンズ。

 正直言って『ダサい』と言われてしまう事も覚悟していた服装だけど、鉄道オタクの梅鉢さんから色合いを評価された事で、どこか僕の肩の荷が下りた気がした。


「あ、ありがとう……」

「ふふ、今日のように、様々な鉄道車両の色合いで服を着てみるというのも面白いかもしれないわ」

「そ、それもそう……かな……梅鉢さんのように何でも似合う人なら、それも良いと思う……」

「あら、譲司君だってきっと似合うわよ。だって今日の服装、100系新幹線のようにスマートで譲司君にぴったりじゃない」

「そ、そう……?そ、そういってもらうと……嬉しい……」


 そんな事を言っているうち、本来予定していた、図書館の最寄り駅へ向かう列車が到着する時刻が近づいてきた。

 駅前広場から離れた僕らは駅の改札にICカードをタッチさせ、共に同じ行き先へ向かう事を記録させた。

 そして、ホームに到着した僕たちは、直後にやってきた電車に乗車した。

 両開きの4扉、全長20m。車内の座席配置は中央の通路側に向いた、通勤・通学など多客時の輸送に適している『ロングシート』。日本のあちこちの都市でよくみられる、典型的なスタイルの電車だ。


「あ、空いている席見つけた!譲司君、一緒に座りましょう!」

「う、うん……」


 僕たちが見つけた空き席は、丁度車内の隅っこ。隣の車両を結ぶ貫通幌が近くにある箇所だった。

 そして、見上げた壁には、乗車しているこの車両の番号や製造年が記されていた。僕たちが生まれるよりも前から活躍を続けている、この鉄道路線ではだいぶベテランの域に達してきた車両だ。


「平成○年製の……この番号は第5編成ね」

「という事は1次車……最近置き換えが始まったタイプだね……」

「そうよね、この前も第3編成が営業運転から離脱したって話を聞いたし……」

「この編成も数日後には廃車されるのかな……」


 そう考えると、ある意味自分たちはついているかもしれない、という梅鉢さんの言葉に、僕は大きく頷いた。

 勿論他のお客さんの迷惑にならないよう小声だけど、僕たちは車内でも鉄道トークに花を咲かせた。互いに自慢の鉄道知識を出し合い、それを尊重しながら盛り上がる。今までずっと心の底から鉄道について語り合える仲間を見つけることが出来なかった僕にとって、本当に幸せな時間だった。

 

「20m車だから地方鉄道への譲渡は難しいかしら」

「うーん……で、でも、20m級の電車が活躍している場所もあるから……埼玉とか富山とか」

「そっか、確かに……このタイプも数編成ぐらいは他所で活躍できると嬉しいわね」

「そうだね……」

「あ、そういえば富山と言えば、最近別の鉄道会社から譲渡された特急型電車が……」


 そんな感じで更に会話が盛り上がっていた時、僕たちの乗っていた列車はとある駅に到着した。

 まだ図書館の最寄り駅ではなかったので僕たちはそのまま席に座っていたけれど、僕たちの周りには席に座れず立ちっぱなしの人たちが少しづつ増えていた。

 流石、休日でもたくさんの人が利用するだけある、と何故か感心してしまっていた、その時だった。

 僕の視界に入ったのは、たくさんの人たちに混ざってこの電車に乗り込んできた、1人のおばあさんだった。

 背中の荷物は重そうで、歩くのもゆっくり。そんなおばあさんが近くに立った時、僕の体は咄嗟に動き出していた。


「あ、あ、あの……!」


 そして気づいた時、僕の口は僕の心が動くよりも先に言葉を発していた。


「よ、良かったら……こちらの席、どうぞ……!」


 その声を聞いたおばあさんは、少し驚いたような表情を見せた。


「あら、いいのかい?折角座っていたのに申し訳ないよ」

「あ、あ、で、でも……」

 

 おばあさんにやんわりと断られてしまい、困惑してしまった僕に、梅鉢さんが助け舟を出してくれた。


「いえ、私たちは次の駅で降りますので、お気になさらず」


 その言葉を聞いたおばあさんは、僕が座っていた場所にゆっくりと腰かけた。そして、荷物を膝に置いた後、おばあさんは満面の笑みを見せながら僕たちに感謝の言葉をかけてくれた。


「ありがとう、素敵なお二人さんだねぇ。これからデートかい?」

「で、で、デート……!?え、えーと……」

「はい、私たちで一緒に図書館へ行くんです」

「そうかい。二人とも勉強熱心で偉いねぇ」


 相変わらず褒められる事に慣れていない僕は、おばあさんの言葉を聞くたびに頬が真っ赤になっていく事を感じた。

 とても嬉しい気分を表現したいけれど、梅鉢さんのようにすらすらと言葉に出ない。それがもどかしくて、少し情けなく感じてしまった。そして同時に、梅鉢さんはやはり凄い人だ、と感じた。

 

 やがて、列車は図書館の最寄り駅へと到着した。

 おばあさんに見送られながら扉を降り、改札で精算を済ませ、図書館へ向かう道を進もうとした時、梅鉢さんが僕に思いもよらない言葉をかけてきた。


「……車内の譲司君、とっても格好良かったわ」

「……えっ……!?」


 そんな事はない、おばあさんとにこやかに会話もできなかったし、緊張しきって言葉も詰まってばかりだった、と慌ててその言葉を否定してしまった僕に、梅鉢さんはもっと自分に自信を持っても大丈夫だ、と語ってくれた。


「先におばあさんが困っている事に気づいたのは譲司君でしょ?」

「う、うん……」

「私、多分譲司君が動かなかったら、おばあさんに席を譲るという行動が出来なかったかもしれない」

「そ、そうなんだ……」


 でも、僕はただ目の前に困っている人がいるから動いただけ。鉄道オタクとして、鉄道絡みで困っている人を見て放置しておくなんて絶対に出来ない。ただそれだけでしかない――僕は、梅鉢さんに正直に本心を伝えた。僕は全然偉くもないし、褒められる立場でもないかもしれない、と。

 その時、梅鉢さんは何かの言葉を口にした。その声はあまりにも小さく、僕の耳には届かなかった。

 だけど、確かなのはその『言葉』が決して悪口ではない事だった。その証拠に、梅鉢さんの口元は、嬉しそうに、そして楽しそうに緩んでいたからである。


「それじゃ譲司君、今から市の図書館へ一直線よ!」

「う、うん……!」


 そして、僕の意識は梅鉢さんの言葉よりも、これから待つであろう、図書館での楽しい時間へと移っていった……。

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