第6話:破られた鉄路
『絶対零度の美少女』でいなければならない事情を聞いた事がきっかけで、梅鉢さんと僕の仲が深まってから、数日が経った。
僕たちは以前と変わらず、昼休憩や放課後といった空き時間に会っては、2人で鉄道の話で盛り上がり続けていた。
キハ40系気動車、廃止されたローカル線、タブレットやスタブによる閉塞、そして東海道新幹線開業前の東海道本線の特急・急行列車。
今まで様々な本やネットで知識を得ていた僕に負けず劣らず、梅鉢さんの鉄道知識も豊富で、得意分野の国鉄型気動車に限らず様々な話題を共有する事が出来た。
「こだま、つばめ、はと、富士におおとり、それにひびき……」
「東海道新幹線が走り出す前の東海道本線、昼間に走る特急列車だけでも凄い豪華なラインナップね」
「しかも『ひびき』以外は凄く豪華な『パーラーカー』っていう車両を連結していたんだっけ」
「私のその頃に生まれて乗ってみたかったわ……東海道新幹線開業後も残っていたけれど、結局全部他の車両と同じ外見や内装に改造されて1両も残っていないのが惜しいわね」
「山陽本線に転属したけれど、利用客が激減してしまったみたいだからね……」
「商売やってる上では仕方ないのかしら……」
そんな感じで鉄道の話題で盛り上がっているうち、そろそろ午後の授業が始まる時間が近づいてきた。
再び苦しい時間を耐え続けなければならない事になるけれど、僕には梅鉢さんとの友情がある。
それに、放課後また会えば、この話の続きを楽しむことが出来るのだ。
「そうだ、放課後は直接図書室に集まらない?確か東海道新幹線開業前の優等列車をまとめた本があるはずよ」
「た、確かに……分かった、そうするよ」
「ありがとう!じゃ、放課後はこの踊り場じゃなくて、図書室の前で会いましょう」
こうして、僕たちは一旦別れ、互いの教室へと向かっていった。
そして放課後、掃除を終えた僕たちは約束通り図書室の前で再会し、一緒に扉を開いた。また互いに共有する趣味の話題を楽しむために。
ところが、鉄道の本がある棚へ向かおうとした僕たちを止める声が聞こえた。
「2人とも、そっちに行っても何の本もないよ」
「「えっ……?」」
その方を向いた僕たちの視界に映ったのは、悲しそうな顔を見せる図書室のおばちゃんだった。
挨拶をしたのち、一体何が起こったのか尋ねた僕たちに返ってきたのは、予想もしない内容だった。
「……えっ……鉄道関連の本が……?」
「全部破損した……?本当ですか……!?」
「そうなんだよ……全く、あんな事をやらかす生徒がいるとは思わなかったね」
「生徒って……一体何が起きたんですか?」
そして、おばちゃんは僕たちに、鉄道の本がすべて読めない状況になってしまった経緯を語ってくれた。
今日の昼休憩、僕と梅鉢さんは屋上へ向かう踊り場に集まり、鉄道の話で盛り上がっていた。そのため、図書室へ立ち寄る事はなかった。
だがその間、普段僕たち以外に誰も立ち寄る事が無かった図書室に、賑やかな声をあげながら複数人の生徒が立ち寄った。
そして、彼らは鉄道関連の書籍が多数置かれている棚の方に近寄った後、信じられない行動をとった。
『うわ、これが鉄オタが読んでるっている気色悪い本か!』
『こんなのあったら図書室が汚れちゃうよ~♪』
『あたしたちが処分しないと♪』
そう言いながら、彼らは次々に鉄道の本を破り捨て始めたのだ。しかも、不穏な声を聞いて慌てて駆け付けたおばちゃんたちの目の前で、彼らは水筒の中に入っていたお茶やジュースを次々に鉄道の本にぶっかけ、びしょびしょに汚していた、というのである。
その結果、図書室に置いてあった鉄道の本はほとんどが破損し、到底陳列しておくことが出来ない状況になってしまったのだ。
当然おばちゃんは烈火の如く怒り、担任にもこのことを伝えておく、と説教しようとしたのだが、生徒たちは『ごめんなさーい』『反省してまーす』と口だけで言ったものの、図書室から追い出した後、彼らの下品な笑い声が廊下に響き渡っていた、という。
つまり、この生徒は意図的に鉄道の本を破損させるためだけに、わざわざ図書室を訪れたのだ。
「……何よそれ……ふざけるにも限度があるわ……!」
「そうだろう?本を滅茶苦茶にして大笑いする生徒がいるなんて、思いもしなかったよ、全く!」
大切な鉄道の本を滅茶苦茶にされた事に憤りを見せる梅鉢さん、本を大切にしない生徒がいる現実に苛立ちを隠せない図書室のおばちゃん。
そんな2人と、本が一切入っていない棚の一角を見比べているうち、僕の心に途轍もなく嫌な予感がよぎった。
「……あ、あの……尋ねたい事が……」
「ん、どうしたんだい?」
「もしかしてその生徒たち……男女でやって来ていませんでしたか……?」
「確かにそうだったね……あ、そうだ、もう1つ思い出したんだけど……」
そして、おばちゃんはもう1つ、非常に腹が立った出来事を教えてくれた。
あの後、おばちゃんは生徒が図書室の本を滅茶苦茶に破損させた事実をその生徒の担任へと訴えた。皆が読む図書室の本を滅茶苦茶にするという事はどれほど酷い事なのか、しっかり言い聞かせて欲しい。そして改めて謝罪に来て欲しい、と。
ところが、一応担任は『分かった、善処する』とは言ったものの、その言葉はそっけなく、面倒臭い、なぜそのような事をしなければならないのか、という意思が表情から見え見えだった、というのだ。
そして、結局今の時間になっても本を破損させた生徒たちは謝罪に来ず、担任も全く動かずじまい、という訳である。
「前からこの学校は変だと思ったけれど、ここまでおかしいとはねぇ……」
「本当ですよね……本を大切にしないとどうなるか、一発分からせてやりたいほどです……」
怒りを通り越して呆れの感情も見え隠れする梅鉢さんの一方、僕は予感が的中しかけている事実にぞっとしていた。
生徒が幾ら横暴を続けても、どれだけ暴れ続けても、一切我関せずの態度で無視し、しかもそういった狼藉を働く生徒の方をかばい続ける。それはまさしく、自分のクラスの教師と全く同じ行動だった。
それに、生徒たちが破損させたのは『鉄道の本』――僕の趣味に関わる本だけ。
つまり、図書室に押し寄せて本を滅茶苦茶にした犯人は間違いなく――。
「……!」
――この学園の理事長の息子、稲川徹君を始めとする、僕をいじめのターゲットにしている生徒たちだ。
「……どうしたの、譲司君?顔色が……」
「……ご、ごめんなさい……!」
そして、気が付いた時、僕の口から出たのは謝罪の言葉だった。
梅鉢さんが慌てて指摘した通り、僕がやらかしたわけでは決してない。図書室のおばちゃんもその事を信じてくれるのは、驚き魔混じりの表情からも分かった。
それなのに僕はおばちゃんに対して頭を下げて謝ってしまった。相手のターゲットは間違いなく僕自身。僕が拠り所にしている鉄道の本を滅茶苦茶にすることで、僕の心を苦しめようとしているのだ。
でも、それは僕だけではなく、同じく鉄道オタクである梅鉢さんも同時に痛めつけてしまっている。
ただでさえ『絶対零度の美少女』となって懸命に学校の雰囲気に耐え続けている梅鉢さんまで、これ以上僕の周りで起きている事態に巻き込みたくない。その思いが、僕の体や心を『謝罪』という形に動かしてしまったのだ。
勿論、そんな本心など明かせず、僕は何とか頭を下げた理由を取り繕った。
「そ、その……昼休憩に僕が図書室に来ていれば……本が破られたり濡らされたりするのを止められたかもしれないって……」
「……それなら、私も責任があるわ。譲司君だけのせいじゃない」
「で、でも、あそこで話そうって言ったのは僕だし……」
「いいえ、それを言うなら……」
「2人とも落ち着いて。大丈夫、心配ないよ」
動揺する僕たちを、図書室のおばちゃんは優しく笑顔で宥めてくれた。
元々これらの鉄道の本は、この学校に多額の寄付をしてくれるという大金持ちの人が、生徒のためを思って寄付したものがほとんど。理事長を経由してその人に掛け合えば、新しい本を購入してもらえる可能性はある、と。
この状況になってようやく知ることが出来た、意外な真実だった。
「そうだったんですか……全然知らなかった……」
「そうね……それならきっと……」
「……どうしたの、梅鉢さん?」
「ううん、何でもないわ。それなら大丈夫かもしれない、って思ったの」
「ただ、何とか説得できたとしても、新しい本を用意するまでに時間がかかりそうだね。悪いけど、その間は……」
「大丈夫です……鉄道の本が無くても、僕たちはこの図書室が大好きですから……」
「私もそうです。心配しないでください。また訪れますよ」
「そうかい。ありがとう、2人とも」
そんな話をしているうち、気付けば下校時間が近づいてきた。僕たちはおばちゃんたちに一礼し、図書室を後にした。
破損した本と同じ本を新しく取り寄せる事は出来る、と聞いて一安心はしたものの、僕に対するいじめが図書室にまで及んでしまった事に対する不安だけはどうしても頭を拭えなかった。
もし、本当に僕以外の人たちまで本格的にいじめに巻き込むような事態が起きた時、僕は梅鉢さんを守れるのだろうか。僕たちは無事でいられるのだろうか。
そんなことを考えつつ、僕は梅鉢さんと共に学校を後にした……。
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