第5話:絶対零度の孤独
無性に梅鉢さんに会いたくなって、教室の中を勝手にこっそり覗いてしまった事。
誰も寄せ付けないような冷たい雰囲気を醸し出しながら、1人で黙々と弁当を食べ続ける梅鉢さんの姿を見てしまった事。
そして、その姿を見た瞬間、恐怖を抱いてしまった事――。
「……ごめん、梅鉢さん……僕、とっても失礼な事をやっちゃったかもしれない……!」
――今日の昼間の行動を、僕は包み隠さず正直に語り、梅鉢さんに頭を下げて謝った。
きっと、その行いを最低な事と見做した梅鉢さんに、僕は怒られ貶され、そして嫌われるかもしれない。そのような恐怖を抱きながらも、自分が起こしてしまった行いだけはどうしても謝らないといけない、と僕は感じていた。
ところが、そっと顔を上げた僕の瞳に映ったのは――。
「……だったら、私の方こそ失礼な事をしてしまったわ。ごめんなさい」
――逆に僕へと謝る、梅鉢さんの姿だった。
「えっ……わ、悪い事をしたのは僕の方……」
「ううん、和達君は何も悪くない。折角私の所へ遊びに来てくれたのに、全く気付かないままあんな態度を見せてしまった私に責任があるわ。こっちこそ、許してくれる?」
「う、うん……全然大丈夫だし、全て許すよ……」
逆に謝られるとは思ってもおらず、つい困惑してしまった僕は、恐る恐る梅鉢さんに尋ねてみた。
どうして、あのような冷たい雰囲気のまま、一人寂しくご飯を食べていたのか、と。
そもそも、誰もが見惚れる美少女である梅鉢さんのスペックなら、友達に囲まれたり仲間と話していたりしても良いはずなのに、どうしてずっと1人でいるのを好んでいたのだろうか――僕はつい梅鉢さんの内面が気になってしまったのだ。
そして、人差し指を顎に当てて悩むようなしぐさを見せた梅鉢さんは、あっさりとその理由を語った。
「……私、この学校が大嫌いなの」
「……えっ……?」
「和達君も気づいているかもしれないけれど、この学校には目に見えない『順位』がある。所謂『スクールカースト』ね」
「……うん……確かに、そういうのはある……」
運動部で華々しく活躍する生徒が上位、文化部で大人しいオタクたちが下位。そんなスクールカーストがこの学校、自分たちの教室の中に存在することは、僕も十分把握していた。
実際、クラスの中で上位のカーストに属する、『陽キャ』と呼ばれる人たちが、アニメや漫画、VTuberなどにハマっているオタクたち=『陰キャ』の事を面白おかしく話題にする光景は何度も目にしていた。
梅鉢さんは、そういう光景を見る度に不快な気分になっていた、と自身の思いを伝えた。
他人の趣味や嗜好を受け入れられない、というのは仕方ないかもしれないけれど、エスカレートして犯罪者扱いしたり馬鹿にしたりするような発言や行動だけはどうしても我慢ならなかった、と話を続けながら。
「……でも、一番酷かったのは、『陽キャ』たちに馬鹿にされているオタクたち、言い方がアレだけど『陰キャ』な連中も、更に別の趣味を貶している光景を目にした事ね。しかも、そのターゲットが……」
「……もしかして、『鉄道趣味』……?」
僕の予想が当たっていた事を、梅鉢さんは頷きで示してくれた。
「昔、家にある本で読んだことがあるの。日本では鉄道趣味がアニメオタクや漫画オタクのような多くのオタク層から下に見られる傾向にあるって。でも、流石にこの学校ではありえないだろう、って考えてた。正直、甘かったわ……」
鉄道オタクは自分たちより馬鹿ばかり。鉄道オタクは気色悪い。子供が出来ても鉄道オタクには絶対に育てたくない。
僕がクラスで何度も浴びせられている罵声を、梅鉢さんもまた自身のクラスで何度も耳にしてしまったというのだ。
幸い、僕と違って容姿端麗、頭脳明晰、そして自身の趣味を積極的に明かしていない梅鉢さんが明確ないじめのターゲットになる事はなかった。だけど、その心は深く傷つけられた。
だからこそ、梅鉢さんは『絶対零度の美少女』と呼ばれる程、この学校の生徒――鉄道趣味を最下層と見做す人たちの相手をする事を諦めたのかもしれない。
梅鉢さんは、この学校そのものに失望したのだ。
「……でも、私はそれでもこの学校に行かなきゃいけない。ボイコットする訳にはいかないの。この学校に行くって、私が決めてしまったんだから」
「……そうなの……?」
「ええ……父は止めようとしたけれど、最終的に入学を選んだのは私だった……」
父の忠告を聞いておくべきだったと悔やんでも、人生の分岐器を誤った方向に操作してしまった事を嘆いても、今となってはどうしようもない。
最早自分に出来るのは、皆から『絶対零度の美少女』と呼ばれながら、延々と続く虚しい時間を過ごす事しかないと思っていた――梅鉢さんは、そう言い終わった後、深いため息をついた。
その横顔には、学校や自分の選択に対する怒りや憤りよりも、諦めや悲しみに近い感情が垣間見えた。
僕には、梅鉢さんがどこまでも続く暗いトンネルの中を、出口の光が見えないまま走り続ける列車のように感じた。
「……あっ……なんか、ごめんね。私の愚痴に付き合ってくれちゃって……」
「う、ううん、大丈夫……」
「そっか……」
しばらく続いた静かな時間は、そろそろ下校時間が近づいている事を教えてくれる梅鉢さんの言葉で破られた。
また明日、この場所で会おう、と言いながら梅鉢さんが階段を降りようとした、その時だった。
「う……梅鉢さん!」
「……えっ?」
僕の口から、思わず大声が出てしまったのだ。
自分でも予想していなかった行動に一瞬顔を真っ赤にしてしまった僕だけど、なぜ梅鉢さんを呼び止めたのか、すぐに理解できた。今、自分の気持ちを伝えないと、梅鉢さんはずっと『絶対零度』のまま、これからも過ごし続ける事になってしまうかもしれない。あんな怖くて恐ろしくて、寂しくて悲しいまま、懸命に耐え続ける梅鉢さんは見ていられない。だから、僕にできる事は――。
「……ぼ、僕は……梅鉢さんと、これからも友達でいたい!」
――確かに、僕のような存在は梅鉢さんと比べるとあまりにもちっぽけかもしれない。友達になる資格なんてないかもしれない。
それでも、梅鉢さんを一人ぼっちになんてさせたくない。大切な鉄道オタク仲間、大切な話し相手、そして大切な『友達』として、これからも一緒にいたい。
「……う、梅鉢さん……その……」
気づいた時、僕の顔は夕陽にも負けない程に紅くなっていた。
気恥ずかしさや興奮で立ちすくんでしまった僕を見つめながら、梅鉢さんは優しい笑顔を見せ、僕の手を優しく握った。
「……ありがとう、『譲司君』」
その短い言葉に込められた、僕の思いを受け取ってくれた事実に安堵した直後、僕は違和感に気づいた。
「……えっ……譲司……君?」
「特別な思いを抱く『友達』は、下の名前で呼び合う。本で読んだことがあるの」
「そ、そうなの……!?」
もしかして苦手だったか、と尋ねる梅鉢さんの言葉を聞いた僕は、慌てて首を横に振って否定した。
容姿端麗、頭脳明晰、更には大の鉄道オタク。そんな素晴らしい友達から、特別な友達だと認定される――『友達の資格が大いにある』事をばっちり示してくれて、嬉しくないはずはないからだ。
「……全然、大丈夫……下の名前で呼んでいいよ」
「本当!?やった!凄い嬉しいわ!ね、ね、譲司君も私を下の名前の『
「う、うーん……ご、ごめん、ちょっと照れくさくて今は……」
「あらら、残念……分かったわ。でもいつかは、下の名前で呼んで欲しいものね」
「うん、善処します……」
楽しみにしているわ、と笑顔で語った梅鉢さんは、そのまま僕に手を伸ばし、途中まで一緒に帰りましょう、と誘ってくれた。
まだまだいっぱい鉄道の話を語り尽くしたい、とわくわくした声で語りながら。
「……僕も、まだまだいっぱい語りたいな……」
「決まり!じゃあ、行きましょうか!」
そして、屋上へ向かう階段の踊り場を去る時、梅鉢さんは満面の笑み――憂いや悲しみが抜け落ちたような、心からの笑顔を見せながら、僕にこう言ってくれた。
「私たち、これから良い『総括制御の連結運転』が出来そうね」
二人三脚、力行も制動も電気回路も協調し合いながら、同じ線路の上を走り続ける。
確かに、梅鉢さんの言う通りかもしれない……。
「……うん!」
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