第3話:そして、ふたりは出会った
君、もしかして、鉄道が好きなの?
美しく麗しく、そして冷たく近寄りがたい『絶対零度の美少女』である梅鉢彩華さんの口から放たれたその言葉を聞いて、僕は全身が青ざめるような感触を覚えた。
当然だろう、『鉄道が好きなのか』という言葉は、僕の鉄道趣味を笑い、嘲り、卑下するために使われる常套句だったからである。
そして、その後には必ず僕の心を踏みにじるような言葉が待っているのだ。
『うわ出た、気色悪い趣味!』
『なーんだでんちゃっちゃか、うざっ』
『という事は、立派な犯罪者予備軍だね~鉄オタ君♪』
もしかしたら、梅鉢さんも同じように僕の趣味を蔑み、いじめに加わろうとする魂胆があるのだろうか。
そんな最悪の予想が心を駆け巡り、体中に悪寒すら走り始めた僕の瞳に、梅鉢さんの表情が映った。
そこにあったのは、誰とも群れず、誰とも交わらない意思を示すかのような凍てついた心というイメージとは全く異なる、ほのかな温かさすら感じる、僕を安心させるかのような優しい微笑みだった。
その表情には、僕を馬鹿にしたり貶したり蔑んだりする意志は一切見えなかった。
「……う、うん……」
そして、梅鉢さんに勇気づけられるかのように、僕の口から自然に肯定の言葉が出た、次の瞬間だった。
「……そうか……そういう……そういう事だったのね!!」
「……!?!?」
「も、もしかして、この図書室でずっと鉄道の本を借りていたのって、君!?」
「そ、そ、そう……だけど……」
「そうか……そうか、君だったのね!!君も鉄道大好きなのね!!良かった、凄く嬉しい!!」
「え……え……!?」
「私も!!私も鉄道オタクなのよ!!」
「……ええええっ!?!?」
まるで堰を切ったかのように、梅鉢さんが熱く、そして物凄い早口で一気に僕へ語り掛けてきたのだ。
梅鉢彩華と言う名を持つ美少女が、僕と同じ『鉄道オタク』である、という事実と共に。
やがて、彼女が早口でまくし立てる内容は、僕が手に持っている書籍――『国鉄型気動車』に関する本の中身へと変わっていった。
蒸気動車、国鉄初の気動車・キハニ5000形、戦前のガソリンカー、電気式気動車から液体式気動車への流れ、キハ10系から始まる戦後の標準型内燃気動車、急行型や特急型といった優等列車用の車両から小型のレールバス、客車を改造したキハ08形をはじめとする個性豊かな気動車の数々、そして国鉄末期の低コストで製造された一連の車両たち。
それらが余すことなく記されていて、貴重な写真も数多く収録されている。
そして巻末には、これらの気動車に関する詳細なスペックが記されており、資料性も抜群。
「それでね、私は特に気動車が大好きなんだけど、特に推しなのはキハ58系なの!君も鉄道ファンなら知っているでしょう?日本中に導入された気動車!普通列車から急行列車までありとあらゆる運用に使用されたオールラウンダー!北海道仕様のキハ56系も碓氷峠仕様のキハ57系も私鉄の同型車両も、勿論大好きよ!キハ90系やキハ65形のような強化エンジンを搭載した車両たちも仲間外れにするわけないわ!JRになっても結構な数が生き残って、多くの車両がジョイフルトレインにも使用されたりもしたわよね!中には特急列車に使われたり、車体を丸ごと新品に交換した車両もあったり!老朽化やらアスベスト問題やら、様々な理由でもうだいぶ前に全車営業運転から引退しちゃったけれど、今も各地で大事に保存されているのはとっても嬉しい!やっぱりあの素朴さと機能美は本当に素敵で……って……あっ……」
「……」
鉄道オタクである僕は、梅鉢さんが勢いに任せて語り尽くしたであろう内容をすべて理解する事が出来た。
キハ58系――JRの前身、国鉄こと日本国有鉄道が開発した『急行用気動車』。
特急の1ランク下、比較的リーズナブルな優等列車である急行列車用として大量生産が実施され、北海道向けに耐寒仕様の設計がなされたキハ56系や急勾配区間『碓氷峠』用のキハ57系といった派生型と合わせて、日本で最も多く生産された気動車の系列だ。
東北地方から九州地方まで、急行列車のみならず普通列車やかつて存在した準急列車、更にはキハ56系は特急用気動車が完成するまでの繋ぎとして一時的に特急にも使用され、梅鉢さんが言う通りあらゆる運用をこなすオールラウンダーとして長期にわたって活躍した。
分割民営化して以降も多くの急行列車に使われ、引退した車両が各地で保存されているほか、数年前まで第三セクター鉄道で動態保存されていた事例も存在する。
そんな信頼と実績、そして長い歴史に裏付けされた『名気動車』、それがキハ58系だ。
そんな知識を身につけている、大の鉄道オタクである僕が唖然としていた理由は、そういった鉄道知識の数々が、全くそう言うイメージが無かった孤高の美女である『梅鉢彩華』さん本人の口から飛び出したためであった。
そして、当の本人はと言うと、僕のほうを見ながら、今にも沸騰しそうなほど顔を真っ赤にしていた。
「ご……ごめんなさい……つい……」
「う、ううん……ぼ、僕は大丈夫だよ……」
まさか鉄道好きな人がこの学校にいるとは思わず、つい調子に乗ってしまった、ドン引きしてしまったら本当に申し訳ない――頭を何度も下げて謝るその姿も、普段噂されている梅鉢さんのイメージからは全く考えられないものだった。
そんな彼女を何とか宥めながら、僕は勇気を振り絞りながら改めて尋ねた。
「……ほ、本当に気にしてないから……本当だよ……そ、それよりも……」
「そ、それよりも……?」
梅鉢さんも、鉄道の事が大好きなのか。
人から聞かれることはあっても、逆に誰かにそのような質問をするのは、生まれて初めてだった。
緊張を隠せない僕に返ってきたのは、嬉しさのあまりとろけそうな程の笑みと、力強い肯定の頷きだった。
そして、梅鉢さんは――。
「ねえ……君、名前は何て言うの?」
「僕……僕は……和達譲司……です……」
「……そっか。ありがとう、和達君!」
――僕の名前を、力強く呼んでくれた。
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この学校でも指折りの美少女、それも『絶対零度』と呼ばれる程に人付き合いを拒み続ける
そんな、あまりにも都合が良すぎる出来事を経た翌日、僕はいつも通り図書室へと向かった。
もしかしたら、頭の中に刻まれている記憶は、都合よく処理しただけの妄想だったんじゃないか。梅鉢さんと仲良くしたい、という思いが暴走した結果、勝手に生まれた偽者の記憶だったらどうしよう――そんな不安を抱きながら扉を開いた僕を最初に待っていたのは、いつもお世話になっている図書室のおばちゃんだった。
だけど、おばちゃんは普段よりもどこか楽しそうな、そして悪戯げな笑みを見せていた。
「ようやく来たね。お友達が首を長くして待っているよ♪」
「え、えっ……?」
おばちゃんが指をさした方へと視線を向けた僕の視界に映ったのは、黒くて長く美しい髪をたなびかせながら、僕に満面の笑みを見せる、梅鉢彩華さんの姿だった。
「う、う、梅鉢……さん……!?」
「ふふ、待ってたわ。さ、今日も一緒に、鉄道の話をしましょう、和達君!」
間違いなく、それは幻覚でも白昼夢でもなく、『現実』の光景だった。
その事実を目に焼き付けた時、僕の心から少しづつ緊張や恐怖、不安と言った心が消え、代わりに嬉しさと言う感情が沸き上がっているのを感じた。
「……うん……!」
僕と梅鉢さん、2人の『鉄道オタク』の日々は、こうして出発の時を迎えた……。
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