第2話:絶対零度の美少女

 長い黒髪に凛とした表情、少し釣り目できりっとした瞳、麗しい唇、そして程良く全体のバランスが取れた美しい肉体を持つ、僕と同じ学年の美少女。

 成績は学年で常にトップクラスを維持し、運動神経も僕以上。時には先生も唸らせる鋭い発言をする時もあるという。

 僕とは別のクラスに通っていて、いつもひとりで過ごすのが日課。普段は無口であまり誰かと話す様子もない。

 そして、昼休憩や放課後になる度に学校の図書室を訪れ、静かに本を読んでいる。


 これが、梅鉢 彩華うめばち いろはさんという女子学生の大まかなプロフィールだ。


 誰も友達がおらず、そもそも本人と話したこともなかった僕が、どうしてここまでよく知っているのかと言うと、クラスの男子や女子が彼女の噂話をするのを頻繁に耳に挟むからだった。

 男子は梅鉢さんの事を『学年で一番、学校でも一、二を争う美女』と持ち上げ、その心を自分のものにしようと努力していた一方で、女子もまた、その顔つきやスタイル、そして成績についてはとても羨ましいと褒め称えていた。

 

 だけど、男子も女子も、共通して梅鉢さんにある評価を下していた。

 『絶対零度の美少女』――それが、この学校の生徒たちが与えた異名だった。


 これまで、梅鉢さんは何度もその美貌に惹かれた生徒から告白を受けてきた。その中には、僕を毎日のようにいじめているクラスの生徒たちも多く含まれていた。

 だけど、どれも最終的な結果は同じ。告白に見事失敗する、と言うものだった。

 梅鉢さんは期待に胸を膨らませる生徒たちを苛立ちの表情で睨みつけ、相手を一切寄せ付けない、二度と近づけさせないような雰囲気を醸し出しながら、冷たい言葉を投げかけるのだ。


 私が貴方の期待に応えてくれると本気で思ってるのか。

 私を貴方のものにしようという気があるなら、諦めろ。

 もっと心を動かす良い言葉はないのか。つまらない。


 その態度や言葉に多くの生徒の心が打ち砕かれ、それでもその美しさを諦められない面々が付けたあだ名が『絶対零度の美少女』。

 あの冷たさも魅力、ますます素敵に見える、という男子の雑談を実際に耳に挟んだ事もあった。

 

 そして、その異名は女子たちの間にもいつの間にか浸透していた。

 梅鉢さんは友達付き合いも悪いらしく、女子からの遊びの誘いもそっけない態度で断り、若干の反感を買っている節があったから、というのがその理由かもしれない。

 結果として、梅鉢彩華さんと言う名の女子生徒は、氷のように冷たく、誰にも交わる事もない、一匹狼な美少女と見做されるようになってしまったのだ。


(う、うう……)


 その日も僕は、そんな梅鉢さんと同じ、図書室と言う空間の中にいた。

 ただ静かに本を読み続ける彼女の近くで、僕は緊張し続けていた。


 いつも一人で何かの本を広げてはじっくりと読み、時にその内容をノートに記載したりしている。

 一体何を読んでいるのだろうか、何を書いているのだろうか。同じ部屋にいる彼女の行動に興味がないわけではなかった。

 だけど、その時の僕には梅鉢さんに話しかける勇気なんてなかった。

 当然だろう、相手は『絶対零度の美少女』。皆から恐れられつつもその美貌や頭脳を褒め称えられる、文字通りの高嶺たかねの花。

 それにひきかえ、僕は毎日いじめを受け続け、顔つきも体力も身長も自信なし。褒められるのは成績ぐらいしかない、冴えなく情けない『鉄道オタク』。

 そんな全くかけ離れた存在同士が友達になるなんて天地がひっくり返ってもあり得ないし、そもそも『鉄道オタク』という、皆から馬鹿にされ貶され続けるだけの趣味しかない僕なんて、梅鉢さんと不似合い極まりない。

 下手すれば、梅鉢さんの名誉を傷つける失礼な存在になってしまうかもしれないのだ。


(……で、でも……)


  ただ、それでも僕は、図書館を訪れる度に姿を見る梅鉢さんの事がどうしても気になって仕方がなかった。

  もし、何かの運命の間違いで、僕と梅鉢さんが仲良くなる、という未来が生まれたら――。


「……いや、ないないない!」

「あら、どうしたんだい急に?」

「え、あ、あ、ごめんなさい……」


 ――そんな妄想につい夢中になってしまい、声まで出してしまった僕は、心配する図書室のおばちゃんに慌てて謝った。

 そんな情けない僕にも、おばちゃんは優しい態度を変えず、下校時刻までゆっくりと図書室で休んでいきな、と語ってくれた。


「そうだ、新しい本がまた加わってるよ。折角だし、読んでいったら?」

「本当ですか?すみません、わざわざ……」

「ふふ、君のように本を大事にする人にいつも読まれて、本もきっと喜んでるさ」

「そ、そうですか……」


 褒められ慣れしていないせいで顔が真っ赤になりつつも、僕はおばちゃんに一礼をした後、図書室の奥、鉄道に関する書籍がずらりと並ぶ棚へと向かった。

 ブルートレイン、旧型国電、貨物列車、軽便鉄道、そして海外の鉄道。今日もたくさんの本が、この学校にある希少な『オアシス』の中で僕を待ってくれていた。

 そして、その中には今まで見た事のない本――おばちゃんが語っていた、新しい鉄道の本が混ざっていた。

 じっくりと読んで、下校するまでの時間を潰そう、と手を伸ばして本を取り出そうとした、まさにその時だった。

 手の甲に、僕とは違う別の柔らかく温かな掌の感触を感じたのは。


 一体何が起きたのか、その掌から延びる腕の方向を向いた僕は、一瞬固まってしまった。


「……えっ……!?」

「あっ……」


 当然だろう、そこにいたのは、あの梅鉢彩華さんその人だったのだから。


「あ、あ、そ、その、ご、ご、ごめんなさい……っ!」


 興奮と困惑、そして恐怖。様々な感情が入り混じる中、僕は慌てて腕を引っ込めた。

 誰もが認める美少女である梅鉢さんの手が触れてしまった状況で、これから一体どうすれば良いのか、訳が分からず立ちすくんでしまった僕に、梅鉢さんはそっとあの本を差し出してくれた。

 国鉄型気動車――現在のJRが発足する前、第二次世界大戦よりもさらに前から開発・生産が行われ続けた、幾多ものガソリンカーやディーゼルカーの歴史や情報が、鮮明な写真や丁寧な解説で分かりやすく掲載されている、鉄道オタク注目の図鑑。

 それを梅鉢さんは決して嫌がる事なく、一切馬鹿にせず、そっと僕に渡してくれたのだ。


 これが読みたかったんでしょう?私に気にせず、受け取って。

 そう語りかけてくれる梅鉢さんの好意を、僕は素直に受け取る事にした。

  

「あ、ご、ご、ごめん……」

「大丈夫よ、気にしないで」


 そして、緊張しながらもなんとか頭を下げて感謝の気持ちを示し、その場を後にしようとした瞬間、僕の耳に、梅鉢さんの言葉が飛び込んできた。


「……ねえ、1つ聞きたい事があるんだけど……」

「えっ……僕……?」


 そして、梅鉢さんの柔らかく潤しい唇から、その一言が放たれた……。


「……君、もしかして、鉄道が好きなの?」

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