第9話

 エヴァンはまっすぐ私を見つめます。深緑色の瞳には甘やかな光が煌めきました。


「リラ……俺は」


 エヴァンの手が、私の方に伸びます。私はときめきそうになる胸を隠すように、籠を抱き込みました。


 そのときです。


「リラ! 一体、僕に何を飲ませた!?」


 綺麗な金髪を振り乱しながら、血相を変えた人形遣いが広場に現れました。彼は寝間着姿のまま、私を睨みつけています。


「恋の媚薬!? あれは本当だったのか!?」


 人形遣いは、鼻息荒く駆け寄ってきて、私の両肩を強く掴むと揺さぶりました。エヴァンが急いでそれを引きはがし、私を守るようにその腕の中に匿いました。


 彼の腕は太く、その胸は逞しく、眼前で怒りを隠さない人形遣いのことも忘れ、エヴァンのぬくもりに浸ってしまいます。


「恋の媚薬って?」


 緊迫した状況に、プリシラも顔を上げ、きょとんとして私と人形遣いを交互に見ています。私は傍にエヴァンのいるという安心感で、気を強く持ち、口を開きました。


「森の魔女、アリシアさんから頂いたの。アリシアさんは恋の媚薬って言ってた。けれど、彼女の説明したのは、こうよ」



 森に住む魔女であるあのおばあさんはこう言ったのです。



——これは恋の媚薬。でもね、あなたの知っているものではないかもしれないわねぇ。これは、恋する者たちの心を、その恋に正直にする薬なのさ。時として人は嘘をつく。自分の心にもね。だから、真に自分の恋にまっすぐ向き合えるように、私はこの薬を作ったのさ。



「だから、私は受け取ったの。そして、みんなに飲ませた。もちろん、私自身にも」


 私は知っていました。


 プリシアが本当はエヴァンを好きではないということを。


 人形遣いが、私を好きでもないのに、気持ちを向けさせようとしていることを。


 そして、私がエヴァンを好きなことを。



「リラ、お前……」


 エヴァンの手が弛みます。私は覗き込むように見つめてくるエヴァンを見上げました。深緑色の瞳に問うような色が滲んでいます。


「私ね、あなたが好きなの。エヴァン……ずっと想いを伝えたかった。けれど、勇気がなかった。あなたは私をいつも妹扱いする。だから、言えなかった。そうしたら、あなたの隣にプリシアが……」


 視界が歪み、私は俯きました。


 二人が仲良さそうに並んでいる姿が眼裏に蘇り、胸がぎゅっと締め付けられたのです。

 すると、エヴァンの手が私の肩に掛かり、くるりと向かい合わせにさせられました。

 そして、彼の腕は私の後頭部に当てられ、ぐっとその厚い胸に押し付けられました。反対の腕が背中に回り、力がこもります。

 子供の頃に抱き寄せられた時より、何倍も大きく、男らしくなったエヴァン。

 けれど、その温もりや匂いは、昔と何も変わらない優しさで私を包み込んでくれました。


「泣くなよ、リラ。お前の涙には弱いんだ。大丈夫。俺はお前といる。これから、ずっと」


 その言葉に、目の端から涙がぽろぽろと流れていきます。


「ああああ! そういうことかっ! だからこう……むしゃくしゃするのか! リラ、許さないぞ! 僕は大陸中巡って、力を集めていたんだ! あの方の為に。僕の愛おしいあの方の為に! なのに、どうだ! 僕は今すぐあの方の元に戻りたくなってる! あの方の顔を見たくて、その声に震えたくて。よくもやってくれたな!? 僕は帰る。仕事を投げ出して帰るんだぞ? 大目玉だ! だけど、その怒声すら今の僕には震えるほどの喜びを感じさせてくれるだろう! いつか仕返ししてやるからな!」


 人形遣いは一気にまくしたてると、金色の髪を掻きむしってから、身を翻すようにして広場を走り去りました。


「私も行きたいわ……ヒューのところに。夜中じゃなければ、今すぐ行くのに。でも、この身なりじゃ無理ね」


 人形遣いの後ろ姿を見たプリシラはそう言いながら、自分の衣服を見下ろし、自嘲気味に笑いました。

 そして、手をついてどうにか立ち上がると、少しよろけます。私とエヴァンは彼女を両側から支え、一歩一歩ゆっくりと広場を出、彼女の家を目指しました。


 ふたつの月が、私たちの行く手を優しく照らしてくれています。

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