第6話

 人形遣いは、自身の言葉通り、私の家に居座りました。

 そして、広場に出ることもありませんでした。

 すると、広場で座り込んでいた娘たちは、ひとり、またひとりと、我に返ったように、自分の家へと帰って行きました。


 心なしかやせ衰え、足取りはおぼつきませんでしたが、それでも自分の足で帰って行きました。夢から覚めた人のように。

 村人たちは家族が戻ると安心して、悪夢のような人形遣いの存在などすぐに忘れていきました。ひとり、またひとりと、立ち上がる娘たち。広場は元の景色を取り戻しつつありました。


 食材の買い出しに商店通りに行った帰り道。


 広場を横切る時、私はエヴァンの姿を見ました。広場の中央にぽつんと座り込むのは、いつ見ても見事だった巻き毛がすっかり乱れたプリシラです。


 彼女自慢の抜けるような白い肌も今では黒ずみ、お気に入りだった桃色のドレスもすっかり汚れ切っていました。


 けれど、茶褐色の瞳は夢見るようにうっとりときらきら輝いているのです。いつも広場の片隅で木の幹に凭れ、時折腕を組んで佇んでいたエヴァンが、今日はプリシラの前に跪き、彼女の薄汚れた頬を、浅黒い大きな両手で包み込んでいました。そうして、必死な顔で、何かを訴えかけています。


 断片的に聞こえる、その切々とした声音に、心が凍り付いていくような気がしました。


「俺はここに居る」

「戻って来てくれ」


 私は真っ白になる頭を抱え、どうにか歩き出しました。目に映る景色は何の意味も持たず、風で煽られ、頬に打ちつける髪にも気が回らず、近くの木々から降って来る小鳥たちの声には、何の感慨も呼び起こされないのです。 


 気が付けば、薄暗い森の中を歩いていました。私は立ち止まり、周囲を見回します。枝葉が重なり合い、光をほとんど通さない天井。根っこのごった返した湿った土の地面。落ちるままに、散らばった枯葉。どこからか聞こえてくる耳慣れない鳥の声。土と緑の交じり合ったむせ返るほどの濃い森の匂い。


「ここは……魔女の森?」


 幼い頃、魔女アリシアの住んでいると聞いた深い森。そこは魔女の森と呼ばれていました。いつの間にか魔女の森に来ていたのです。振り返ってみても、どこから来たのか見当もつきません。どこを見ても、代り映えのない森の景色が広がるばかりです。私は思わず、手近な木の幹に寄りかかりました。腕から下げた籠がひどく重く感じられます。


「ああ……私、何してるのかしら?」


 先程見た、エヴァンとプリシラの姿が眼裏に蘇り、私はぎゅっと目を瞑りました。胸にじわりと痛みが広がり、鼻の奥がつんと痛んだかと思うと、目頭が熱くなります。


「嫌になるわ。こんな自分が」


 私はふらふらと歩き出しました。当てなどありません。ただ、じっとしていられなかったのです。どれほど歩いたでしょう。目を凝らすと、小さな木造の家が見えました。近づくと、煙突から白い煙が出ています。


 人が住んでいる!


 反射的に駆け出し、飛び付くように戸を叩きました。こんな場所に人が住んでいるわけがない。ここに人がいるとしたら、それは魔女アリシアだ。などという考えは全く浮かびませんでした。


 ひとりぼっちで、知らない森を彷徨い歩いていた私にとって、人の気配がするというだけで、この上なく嬉しかったからです。中から出てきたのは、優しそうな面立ちのおばあさんでした。

 

彼女は深い皺の刻まれた顔に温かい微笑みを浮かべ、疲れ切った私を招き入れてくれました。それから、湯気の立つお茶と甘い焼き菓子を出し、私の話を聞いてくれたのです。

 私は素直に、何もかもを打ち明けました。彼女はうんうんと頷き、私の全てを理解してくれたようでした。


 そうして、部屋の奥から、小さな小瓶を持ってきました。


「これは恋の媚薬だよ。これを使いなさい」


「恋の媚薬?」


「そうさね。一口飲めば、永遠に解けることのない魔法だよ。これを恋する者に飲ませるといい。そうすれば、解決するよ、全てがね」


 私はこわごわとその小瓶に手を伸ばし、受け取りました。小瓶は、琥珀色に輝く不思議な液体で満たされていました。


「絡み合った糸が、どうか解けますように」


 おばあさんはそう言って、優しく笑いました。

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