第4話

 早朝、人目を避けるようにして、村はずれにテントを張る人形遣いの元に駆け付けました。


「ここに居ると危険です。正気をなくした村人たちが、あなたのテントを焼き払いに来るかもしれない。どうぞ、私の家にいらしてください。狭いけれど、あなたにお貸しする部屋くらいはありますから」


 人形遣いは目を丸くして、空色の瞳を不思議そうに瞬かせました。少し癖のある金色の髪が朝日を受けてきらきらと輝きます。


「君は僕のことを何とも思わないの?」


「あなたみたいな素晴らしい技を持っている人に、傷ついてほしくないの。どうかお願い。私についてきて?」


 彼は納得いかないという顔で私を見つめていましたが、しばらくしてからこくりと頷きました。


「わかったよ。お言葉に甘えさせてもらおう」


 そうして、魅惑の人形遣いは私の家にやってきました。私は、彼が村から出て行かないように、夜には滞りなく広場で芝居ができるように、彼の手助けをすることにしました。でも、私が心配しなくても、彼は村から出て行く気はないようでした。


 広場には一日中、夢見心地の娘たちがうっとりしたまま座り込んでいました。

 それは本当に異様な光景でした。彼女たちの周りには大勢の家族や恋人たちが疲れたような、複雑な表情を浮かべています。

 そんな中、彼らと距離を置き、一人で広場の隅にある木の幹に背を預けて佇む青年がいました。


 短い黒髪と、凛とした深緑色しんりょくいろの瞳を持つ、背の高い青年です。彼は愁いを帯びた瞳を、広場の中央で座り込む、栗色の巻き毛の少女に向けていました。彼はエヴァンといって、巻き髪の少女、プリシラの恋人でした。


 空が橙色に染まり、あと少しで夜の帳が完全に下りるだろう頃、私はおずおずとエヴァンに近づきました。


「なぜ、行かないの?」


 いつ見ても、エヴァンはプリシラの傍ではなく、広場の隅にいるのです。エヴァンは幹から背中を離し、私を見下ろしました。


「なぜ、か……プリシラには俺が見えないんだ。あの茶褐色の瞳には、俺の姿は確かに映る。だけど、全然見てないんだ。まるで魔法だよ、リラ。こんなのどうかしてる」


 深緑色の瞳に暗い影を落とし、エヴァンは、眉を寄せました。


「魔法?」


「ああ。昔、よく聞いたろう? 深い森に棲む魔女の話に、不思議な術を操る魔法使いの話。まるであれだ。あの人形遣いは、村中の娘という娘を……リラ、お前は大丈夫なのか?」


 温かくて優しい深緑色の瞳が、まじまじと見つめてくるので、私は居た堪れなくなり、さっと顔を背けました。エヴァンの目は、深い森の色をしていて、時々吸い込まれそうになるのです。ずっと見ていたいような、それでいて、逸らさないといられないような、そんな気持ちになるのです。


「わ、私は……私だって、人形遣いは凄いなって思うわ。でも……」


 その後の言葉が続かず、目を伏せました。


「そう、か……何はともあれ、無事なら良いんだ」


 エヴァンは心底ほっとしたように息をつくと、おもむろに浅黒い腕を伸ばし、私の頭の上に手を置いて、わしゃわしゃと掻き混ぜました。エヴァンはいつも私を子ども扱いします。ふたつしか変わらないのに、いつもいつもお兄さん面です。昔はそれが、煙たくて嫌でした。


「また、子ども扱いして……」


 耳まで赤くなるのを感じながら、どうにかそう言うと、エヴァンは快活に笑いました。


「お前はいつまでも変わらないでいてくれよ? 俺の可愛い、リラ」


 エヴァンは、更に私の髪を掻き回します。せっかく櫛を入れた自慢の黒髪が、無残にも鳥の巣みたいになっていることでしょう。私は、尚も撫で続けるエヴァンの手に自分の手を伸ばして、がしりと掴みました。昔とは比べ物にならないほど大きな手。けれど、触れた肌の温かさは昔と少しも変わらない。そのぬくもりに接した指先から、全身に何か熱いものが駆け巡って、思わず顔が歪みます。


 胸の奥がきゅっと痛くなって、私は思わず手を離し、一歩、二歩と後ずさりするようにエヴァンから離れました。


「……変わらないなんて無理だよ、エヴァン」


 私はエヴァンの顔をまともに見ることができず、そのまま背を向けて、早足で広場を後にしました。

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