第43話 無為はきっと──。


 木々がざわめき、強い風が吹いた。私の腕を掴んでいたはずの手が離される。

 男がいた場所には、刀が振り下ろされていた。


 ちりーん、ちりーん、と風鈴の音が少しうるさいくらいに鳴っている。

 

「────っっ」

 

 ちりーんという音とともに、一瞬で私は白樹の腕の中にいた。

 

「遅くなって、すまない」

 

 言葉は出なかった。

 もう二度と会えないかもしれない。そう思っていたからなのか、安堵からなのか……。目の前がぐしゃぐしゃだ。顔が見たいのに、ぬぐっても、ぬぐっても、こぼれ落ちるものは止まらない。

 

「あー、白龍はくりゅうの愛し子か。……面倒だな。でもなぁ、花嫁とこの国の人間は殺さないって約束しちゃったもんなぁ。仕方がない。ほら、花嫁。行くよ」


 無為は、私を手招きする。自分の足でさっさと来いと言っている。けれど、白樹が来てくれた今、私は彼についていく気はない。

 白樹の腕の中で、私は首を横に振った。


「何? お前も僕を拒絶するの?」


 お前も、とは誰のことを指しているのだろうか。今まで全く感情を映さなかった無為の瞳には、怒りが見える。


「人間は勝手だ。当然のように、約束をたがえる。ならば、お前との約束も反故ほごにしよう。この国は、もう終わりだ」


 そう言うと、無為は指を鳴らそうとした。


「だめ!! 風よ、木よ、無為を止めて!!」


 鋭いほどの風が吹き、木の枝が四方八方から無為へと襲いかかる。


「花、一人でも大丈夫か?」


 耳元で囁かれた言葉に頷けば、一瞬だけ強く私を抱き締めたあと、白樹は駆け出した。

 ちりーん、ちりーん、と鳴り続けているので、何か力を使っているのだろう。


 キンッという音と共に、白樹の刀と無為の短刀が交わる。そのスピードはどんどんと加速していき、残像が見えるのみ。私の目で追うことは、もうできない。



「花様!!」


 その隙に恋々が獣を蹴散らし、私のところへ来てくれた。あちこちから、血が流れている。


「守れず、申し訳ありません。お側を離れるべきではなかったんです」


 恋々の声は、後悔が滲んでいる。それでも、周囲への警戒は解いていない。白樹と無為に視線を向けつつ、いつ穢れが来ても対応できるようにしてくれている。


「ううん。あれは、不測の事態だから」

「いえ、あとで殺しておきます」


 止めないとな……とは思いながらも、穢れに寄生された人たちを助けに恋々と向かう。白樹が戦ってくれている今、私は私で浄化をするべきだと勝手に判断した。

 戦ってくれている白樹を見守るべきかもしれない。足手まといにならないよう、逃げるべきかもしれない。

 けれど、それではだめなのだ。守られることが、私の仕事じゃない。



 足元にいる、春さんの顔。そっと、春さんの瞳を閉じさせて、離れ離れにされてしまった体のところへと連れていく。

 救えたと思った。けれど、結局は私のせいで死んでしまった。

 手を合わせる。謝罪はできなかった。言ったところで、春さんには伝わらない。だって、もうこの世にはいないのだから。


 木に捕らえてもらった、討伐隊の人たちを浄化する。誰も消えない。救えた。そのことが嬉しい。

 けれど、洋さんと春さんともう一人。名も知らない彼は、二度と目を覚ますことがない。


 白樹は今も戦ってくれている。余裕がないのか、無為は白樹が来てくれたあとは、誰も殺せていない。今のうちに、みんなを逃がそう。そのためにも、早く浄化を終わらせないと……。


 あぁ、どちらが優勢なのだろう。白樹は大丈夫なのだろうか。

 どうか、どうか、白樹が無事でありますように……。何で、私はこんなにも無力なのだろう。力が欲しい。白樹と共に戦える力が……。



「あと三人だね。浄化が終わったら、討伐隊の人たちには逃げてもらおう」

「花様も逃げましょう」


 そう言う恋々に「逃げないよ」とだけ、答えた。


 万が一、なんか考えたくもない。けれど、もしも白樹が負けたなら、私は無為についていく。

 そして、何年かかろうと、何十年かかろうと、無為を消す。それは、白樹の仇を取るためではない。私のためについていく。私たちの罪を償うために。

 私の予想が正しければ、無為はきっと──。



 討伐隊の人たちの浄化が終わり、彼らに撤退してもらった。亡くなった三人も一緒に。彼らを大切に想う人たちが別れを告げられるように。

 習さんと、習さんにボコボコにされた大さんも、ここを去った。

 残ったのは、四人だけだ。


「恋々も、逃げて」

「いえ。私もここにいます」


 キンッキンッという音と、白樹と無為の残像を見る。時折、刀と短刀が交わり、押し合いになって止まる。


「……押されてる?」


 押し合いになった姿は、白樹にゆとりがないように見えた。

 何か、何かないのか。そう思うけれど、目で追えてもいない私にできることは思い付かない。


 白龍様、白樹を守って……。


 困った時の神頼み。都合が良いとしか思えないが、私を連れてきた張本人なのだから、困った時くらい助けて欲しい。

 強く、強く願う。白樹がいなくなったら、私は白龍様を恨むだろう。私をこの世界に連れてきたことを──。


「……えっ?」


 今の今まで見えていなかった、無為の中にある黒い穢れ。あれは、穢れと言ってもいいのだろうか。体の中を血がめぐるように、無為の体の中では穢れがめぐっている。


 予想は当たっていた。

 無為は、人間の負の感情で作り上げられた存在だ。


 

 

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