第19話 後悔と青空


 地下から戻る時、白樹は私を歩かせてくれなかった。私を抱えたまま、白樹は一言も話さない。私もまた、話す気分ではなかったので無言だった。

 空気を察してなのか善くんとあっくんも話さず、輪さんも元々必要以上には話す人ではない。

 仁さんは別れを告げたいと、地下に残ったのでここにはいない。


 まるでお通夜のような雰囲気の中、一人の叫び声が静寂を破った。



「んまー!! どうしちゃったの? 花ちゃん、傷だらけじゃないの。痛かったでしょう……」


 ドクターが男性陣を追い出して、せっせと傷の手当てをしてくれる。消毒が傷に染みて、生きてる証だなって思ったら、それすらも申し訳なくて……。


「ドクター、誰も助けられなかった」


 涙は出なかった。代わりに、弱音が出た。


「浄化の力があれば助けられるなんて、ただの思い上がりだった」


 ドクターは励ますも慰めるもせず、ただ頷いてくれた。「花ちゃん、お疲れ様」という言葉が泣きたくなるほど、ぎりりと胸を締め付ける。


 たくさん力を使ったのだから、ゆっくり休むようにと言われ、ドクターは部屋を出ていった。



 部屋で一人。まるで世の中から隔離されたかのように静かだ。


 ドクターに疲れてしまって休みたいから、明日まで誰も部屋に入ってこないようにして欲しいと頼んでしまった。

 きっと心配をかけてしまうだろう。恋々れんれんは大騒ぎかもしれない。それでも一人になりたかった。



 組紐を編む。助けてという律さんの声が聞こえる。

 組紐を編む。呻くような声が頭から離れない。

 組紐を編む。身体を何度も鉄格子に叩き付けていた姿が脳裏に焼き付いている。


 組紐を編む。ただただその作業を繰り返す。部屋にむせ返るほどの金木犀の匂いが充満していく。

 空気の入れ換えをしなければと窓の方を見れば、憎らしいほどの雲一つない青空だ。


 彼等は青空をもう一度見上げることなく、薄暗い地下で人生を終えてしまった。

 教えてもらった、一人一人の人生を思い出す。もっと早く会いに行っていたら……という後悔は消えない。生涯、消えることはない。



 窓を開け、再び組紐を編む。少し寒いくらいの空気がちょうどいい。


 浄化した人は穢れと共に消えてしまった。それだけ穢れてしまっていたということなのだろうか。

 それとも、穢れた時点で既に手遅れだったのだろうか。


 穢れは、生きているものに寄生をする。

 その生き物が殺されると、また別の生き物へと寄生先を変える。

 白樹や善くん、あっくんの刀ならば穢れを殺すことができるけれど、穢れに寄生された者の魂も消滅。

 魂が消滅すると、もう生まれ変わることもできない。だから、穢れに寄生された人を殺すこともできない。

 寄生されたが最後、命尽きるまで薄暗い、少ししか灯りのない地下で、鉄格子の中で生きていく。自我を失いきることもできず、時々正気に戻るという生き地獄。


 どこをとっても、救いがない。浄化は救いだと仁さんは言ってくれた。

 だけど、本当に? 私には分からない。それは、正解なのだろうか。

 

 同じ思考をただ繰り返し、組紐を編み続ける。気が付けば、部屋の中は薄暗かった。

 少し寒いくらいだった空気は、暖かいものに変わっている。何故? と疑問を持つ前に、換気のために開けた窓からひんやりと冷たい空気が流れ込んで来て、思考がそちらへと向いた。


「窓、閉めないと」


 立ち上がり、窓辺に近付く。ぶるりと寒さに震えた。もうすぐ冬が来る。 

 パタリと窓を閉め、ランプシェードの明かりを付ける。その明かりを頼りに組紐を編もうとして、残りの糸が残りわずかなことに気が付いた。


「誰にもバレずに取りに行くには、やっぱり夜中かな」


 糸は欲しいけれど、誰にも会いたくない。気持ちの整理をつけて、笑顔で会いたいのだ。

 明日にはできるだろうか。できなくても、引きこもっているわけにはいかない。

 穢れを……凶暴化した獣を直接浄化する。そうすれば、穢れに苦しむ人は減るはずだ。白樹は止めるだろうけど、絶対についていく。



「とりあえず、残りの糸は使いきっちゃおうかな……」


 そう呟いた瞬間、私の手元から組紐用の丸台が消えた。


「いつまで続けるのかと思えば、少しは休憩しろ」


 呆れたような声。ランプシェードの明かりが頼りの、昼間よりも薄暗くなった室内。白樹は小さく溜め息を吐きながら、私を見た。

 一体、いつの間にいたのだろう。私しかいないはずなのに部屋が暖かかいのだから、もっと早くに気が付くべきだった。


「一緒に夕食をとろう」

「ううん。私は──」

「腹が空いていなくても食え。生きるのには必要なことだ」


 白樹は私の手を取って、室内を移動する。すると、そこには既に食事が用意されていた。


「いつからいたの?」

「真理花が組紐を編んでいる時だな」


 それは、ずっとやっていた。本当にいつからいたのだろうか。部屋が暖かいから、結構前からいたのかもしれない。


 いつものストライプ柄のソファに座らされ、温かいお茶のカップを握らされる。


「温かい……」


 白樹は私の膝にブランケットをかけると、不自然なほどピッタリと隣に座った。


「一人になりたいと聞いているのに、すまない。俺が誰かと……真理花といたかった。食事さえきちんととってくれたら邪魔はしない。一緒にいてくれないか?」

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る