第20話 恋をする


 白樹はぽてりと私の肩に頭を預けた。少し重いけれど、その体温が心地好い。

 一口ひとくち、白樹がくれた緑茶を飲む。温かい。優しさが身体中を巡っていくような不思議な感覚だ。

 

「白樹は、私に少しでも辛い思いをさせたくなかったんだね……」

 

 だから、凶暴化した人のことを言わなかったのだろう。私を守ろうとしてくれていた。

 けれど、それはやっぱり誰かの犠牲の上に成り立っている。

 

「俺のためにそうした。ただの自己満足だ」

 

 そう言う白樹の言葉は、間違いではないかもしれない。

 私は隠してもらうことを望んでいなかったし、知りたかった。けれど、ここに来てすぐに知れば、きっと受け入れられなかった。逃げ出したくなったと思う。

 結局、私は白樹に守られているのだ。


「ありがとう。弱くて、ごめんね」


 あののんびりとした時間は、私には必要な時間だった。その時間があったからこそ、この世界を受け入れられた。

 けれど、それは他の人が苦しむ時間だった。


 世の中、誰かの犠牲の上に成り立つことなんてごまんとある。目を閉じて、見えないふりをするのは簡単だ。

 でも、忘れてはいけない。私の弱さが生んだ結果だ。


 

 白樹に食べるよう勧められ、おにぎりを食べる。中身は私が美味しいと言った梅おかかだった。その他にもだし巻き玉子、おの入った具沢山のお味噌汁、白菜のお漬け物。私が好むものばかり。

 少しでも食べられるようにという気遣いが伝わってくる。

 私は守られている。このお屋敷のみんなに。

 

 

 いつもの半分しか食べられなかった。それでも、白樹はそれでも安心したような表情かおをする。


「……真理花は弱くない」


 いきなり何を言い出すのかと、すぐ隣にある顔を見れば「さっきの話」と白樹は言葉を付け足した。


「凶暴化しても会いたいと言う家族は多い」

「……希望すれば会えるの?」

「あぁ、本人が承諾すればな。自我が戻っている時に聞くようにしている。その中のほとんどが面会を拒否するが、たまに了承する者もいる。だが、実際に会いに来ても、凶暴化した姿を受け入れられる者はいないに等しい」


 地下を思い出す。

 呻き声や鉄格子にぶつかる音。腐敗した臭い。至るところにある血痕。何かが壊れるような、耳を塞ぎたくなるような音が入り交じるあの空間に、足を踏み入れられない人も多いと思う。

 呻き声をあげている、その中の一人が自分の家族だなんて信じたくないだろう。


「俺は、真理花中にすら入れないと思っていた。入ったとしても、すぐに外へ出るだろうと思っていたんだ」


 うん。怖じ気お けづきそうになった。口を開けば吐いてしまいそうで、本当は帰りたかった。

 白樹が私の目を塞いでくれて、逃げてもいいのだと、「帰るぞ」と言ってくれたから踏み止まれた。

 いつまでも守られているのではなく、私も守りたい。強くなりたいと思えた。


「だが、真理花は強かった。俺が真理花を守られるだけの存在だと勝手に決め付けていた。真理花は一人で立てるのにな」


 ごめんな、と白樹は言った。言わなければそんなこと分からないのに。どこまでも優しい彼は、私のためにこの話をしてくれている。


 あぁ、好きだな。そう思った。


 今だってすごく好きなのに、また彼に恋をする。どこまでも想いは積もるばかりで、好きだという気持ちが、愛しいという気持ちばかりがあふれていく。


 私は浄化という身に余る力を与えられたのに、誰も救えなかった。今も私は色んな人の犠牲の上に立っているのに、それでも心はときめいてしまう。

 なんて薄情なのだろう。なんて自分本意なのだろう。


 ごめんなさい。


 あんなに苦しくて、つらくて、申し訳なくて、気持ちがぐちゃぐちゃだったのに、もう幸せを感じてしまった。

 今もまだ耳に呻き声がこびりついているのに、私は笑えてしまう。

 

「白樹。あなたが……みんながいてくれたから、私は立てた。いつも守ってくれて、ありがとう」

 

 

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