後
エリアマネージャーはちょくちょく青子いる店舗に顔を出しに来ては、周りに見える形で店長を注意していた。
そしてその後、いかに外回りの仕事が忙しく、自分がいかに苦労してここに足を運んでるか、懇切丁寧に説明してくれた。お客様がレジの前で待っていることにも気が付かないくらいに。
しかし、青子がそれに乗じて店長の話しを持ちかけようものなら、頭の上で大きく手をふったり、顔を背けたりして聞こうとしないのだった。
部下なら一方的に上司の愚痴を聞かなきゃいけないんだろうか?と一瞬思いつつ、それでも青子はあえて空気を呼んでいないふりをして店長の話しをした。
が、
「それは仕事なんだからちゃんとしてよ。ちゃんとコミュニケーション取れてないからそうなるんじゃないの?だいたい自分がいちいち気にするから気になるんだよ。ちゃんと休めてないんじゃないの?世の中には毎日椅子に座っているだけで、給料をもらってるやつが五万といるんだからね」
なにが言いたいのか定まらない口調だったが、問題のすり替えをしてるのは確かで、青子は真剣に良くしたいと悩んでいるのに、まるで自分の方に非があるように言われて、心を刺された思いだった。
青子が諦めの念でいっぱいになった翌日、新しいアルバイトが入った。
その人は本田さんと言って、以前から店にスーツ姿で着ていた男性だった。
歳は青子より少し上。
スーツを来ていたので、社会人だと思われていたが、就職活動をしていたらしい、中々希望のところに入れず、収入のためにアルバイトを始めようと思ったということだった。
本田さんは覚えが早く、てきぱきとしていた。
そうすると、あのゴブリン店長はお金やレジの確認作業の時に限って、彼女いないのとか、実家はどこかとは、少し思案してからじゃないと答えられないような質問をしてあからさまに足を引っ張ろうとして、作業を中断させた。
しかし、本田さんは何食わぬ顔で、そつのない返答をすると、直ぐに作業に戻っていた。
すると、自分は店長に絡まれたくないけど、気が気でない周りのスタッフは、本田さんのスマートな振る舞いに圧倒され、安心を覚えて、その流れのまま淡々と仕事をこなせるようになるのだった。
それはお客様対応も同じで、レジでずっと電話をしている人や、浮浪者のような人相手でもスタンスを変えず、相手の圧や同情を引くような話しに流されることもなく、そうですかそうですかと笑顔で返し、いつ終わるんだろうと不安になるお会計を何ごともなくこなしていた。
ある時他のスタッフが、年配のお客様がレジの前で三つも小さいを出して、震える手で指を小さな財布に突っ込み、固くなったチャックを引いた拍子に小銭をぶちまけた時などは、一番に駆け寄ってきて、拾うのを手伝ってくれた。
そんな誠意のある本田さんを、店長はやっぱり気に入らないらしく、やはりなにかとうざ絡みをしていた。
青子たち他の従業員スタッフは、本田さんがいることで、店長に絡まれる機会が減り、安心して仕事できる時間が増えたが、本田さんは平気なんだろうかと、青子はいつも気が気でならなかった。
そしてある時店長が、本田さんと並んで棚に商品を並べている時。
「こんなパン不味くて食べられねえよな、買おうと思わないよな」
と横で作業する本田さんに明るく楽し気に言った。
本田さんは一瞬俯いて、大きくため息をついてから顔を上げ、
「食べたことないんで」と返していた。
それを見た青子は、
「本田さんが近いうち辞めたら、(誰とは言わないけど)首をしめよう」と、隣のアブドルに言った。
青子は店であくせくする一方、日本語教員の学校でもやっぱりあくせくしていた。
日本語を教えるための学習自体は、今まで自分が使ってきた母国語を改めて見直す機械になり、それは声優として活動するにも必ず役立つと確信できた。
しかし、いかんせん学習量が多い。
図書館で調べ物をしていると、いつのまにか左右に本の山が連なっている。
多種多様な日本人の人生十人分くらいの日本語を、分解して、再度構築する作業の繰り返し。それを何時間も何日も続けた。
学校の年齢層は40代が平均で、青子はアラサー女子ながら20代でかなり若い部類に振り分けられ、とても可愛がられた。
中にはそれが気に食わない人もいるみたいで、店長張りにうざ絡みしてくる人もいたが、青子はそういう人がいることで、いかに普通に他人に優しくできる人が徳が高いか改めて理解し、今のままの自分でどれだけ周りに大切にされてるのかと感じられて、寧ろ感謝の念が湧いた。
勿論、それとなく距離を置いてだが。
「青ちゃん、最近楽しそうだね」
学校に通い始めて三か月経った頃、アブドルが青子に言った。
「うん、楽しいよ。たまにゴブリンの幻影が見えるけど、地縛霊だと思ってる」
青子は以前より自分の性格がひねくれたと思っていたが、そんな自分が嫌いではなかった。
アブドルは声を出して笑った。
「しかも、前より自分の考えていること口にするようになった、私はそれがとても嬉しい」
「伝わる人にはちゃんと言葉で伝えようと思ったんだよね。全然伝わんないこともあるけど」
アブドルは何故か少し悲しそうな顔で微笑んだ。
「いつまでも旧体制のままだと腐っちゃうからね」
「『旧体制』って、本当にアブドルは日本語上手になったね」
「青子ともっと話したいから」
青子が軽快な笑い声を上げると、品出しを終えた本田さんがレジに寄ってきた。
「なにを話されていたんですか?」
「青ちゃんが最近楽しそうだねって話してた」
アブドルに先に答えられて、青子は何故か気恥ずかしくなって本田から目を逸らした。
「それはとても良いことですね。青子さんがいると、みんななにがあっても助けて教えてくれる人がいるから安心出来ますし。やっぱり声のかけ方が良いんでしょうか?」
「え?」
青子は振り向いて本田さんと目を合わせた。
すると、本田さんは視線を少しずらして、自分の鼻を指さした。
「あと鼻が大きいのが良いですよね。鼻が大きい人は外からくる悪いものに影響されにくいって聞きました」
「はあ?」
青子は目を皿にして素っとんきょなん声を上げた。
持ち上げられて、ちょっと良い気分でふわふわしていたら、床に叩きつけられたような感覚だった。
その次の日から、青子はマスクを付けて過ごすようになった。
周りの人に風邪なのかと聞かれたけれど、青子は一貫して、ずっとインフルエンザの予防接種を受けていないから気を付けている。という文言で通した。
コンビニに出勤した際は、真意を知っているアブドルは口元を押さえて笑っていたけれど。
それで最悪なことに、青子が自分の鼻を気にしてマスクを付け始めたのを、店長に悟られTしまった。
店長は出勤の度に青子に、今日もマスクなの? 今日もマスクなの? とうざ絡みしてきた。
そんなことが一週間続いた後、何故か青子はコンビニメアリーマートと本社に呼ばれた。
呼ばれる覚えのない青子ははらはらする思いで客間で待っていた。
すると、穏やかそうな初老の男性と、本田さんがスーツ姿でやってきて、青子に店内放送のアナウンスをお願いしたいと頼んできた。
青子は直ぐに引き受けた。
ひょんなことから青子の声優の夢が叶い、みんながそれを喜んでくれた。
そして数か月後、青子は無事に日本語教員として就職した。
「私の名前は坪倉青子です。赤でなく、青なので間違えないでくださいね」
黒板を背に微笑む青子に、クラスの生徒たちが、一度きょとんとしてから、小さく笑い出した。
「あお」
「あおせんせい」
青子が誰でも分かる日本語を、冗談を交えて自分の自己紹介に使ったことで、全員が話しやすい空間ができた。
「ねえねえコンビニいったら、いりぐちであおのこえがきこえるの」
「青先生って呼びなさい」
そうして青子は周りに信頼される、とても良い先生になった。
あおのこえがきこえる @hitujinonamida
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