青子は富岡さんの持つシェアハウスに住むようになって、以前より衣食住にかかる費用が激減した。

 食事は富岡さんの彼氏のイタリア人のマルゲリーさんが、新鮮な食材で作った温かな手料理を作ってくれる上、衣類にかかる洗剤などの雑費は寮費に組み込まれているし、閉店したコインランドリーの乾燥機が洗濯場にあるため、仕事や勉強で洗濯が間に合わない、そんな時に限って雨ですか、この野郎。というようなハプニングも回避できるようになった。

 一緒にシェアハウスに住んでいる海外移住者の住居人たちは、富岡さんの面接を通った人たちで、しっかり挨拶の出来る良い人たちばかりだ。

 みんな日本がスキで、意欲的な思いで留学している。

 

 しかし、良いことの後には、必ず悪いことがあるものなのだろうか?

 青子が引っ越しをし、一週間くらいしてから、店長が店に戻ってきた。

 店長は早朝にこっそり打刻だけして、逃げるように出ていくのを、エリアマネージャーに捕まえられたらしい。

 何故それでクビにならないのか、青子には甚だ社会のルールと言うものがてんで分からなかった。

 店内のレジで、世間話程度にそんな話しを何ごともないことのように話すエリアマネージャーは見るからに不満たらたらで「俺がこんなにしてやってるんだから、

これ以上、反論したり、愚痴を俺にこぼしたりするな」と顔がシワを寄せて語っていた。

 だったらなんでクビにしないんだよ。と青子は言いたかったが、辞めさせられる原因を作りそうなので止めておいた。

 やっとスタッフがまとまり出して、教えるのが好きだと気が付いたのに、今止めたら、自分の方に非があると認める見たいだ。

 エリアマネージャーが切々と青子に事情を語るその後ろで、老骨のパートのおば様である花恵さんが、身体を傾けて、黒縁メガネの中から細い目を更に細めて微笑んで見守ってくれていることが救いで、なんとかエリアマネージャーという来訪者が去るまで青子は下手な反論はせずに耐えられた。

 

 そして、店長は説明もしなければ、謝りもせず、また普通に店で働き始めた。

 それでいて、以前よりあからさまに青子や他のスタッフに嫌がらせをするようになり、横柄な態度も肥大化した。

 例えば花恵さんにどうしてそんなにシフトに入れないのかと詰め寄り、花恵さんが何かしらの店内での作業をする度に近づいてきて、花恵さんのやった作業をぶつぶつ言いながらやり直すということを何度もやった。

 花恵さんは来月のシフトに入れないとみんなに謝った。理由は家庭の事情としていたが、本当のところはみんな気が付いていた。

 そんなことがあった翌日。レジに立っていた青子は、店長がレジの前の棚の後ろから、中腰になって、じっと自分を見ているのに気が付いた。

 青子の背筋にざわっと悪寒が走る。

 店長は、大柄な肥えた身体を前のめりにして、背中を丸めた状態で大きくててっぺんの薄い頭だけを上に持ち上げ、半開きになった口から前歯を出して、目を細めて、じっと青子を見つめ続けていた。

 閃光の入らない暗い瞳は、メガネのせいか?

 店長の顔の前にどろっとした黒いもやが見えた気がした。

 青子は、自分が現実世界でゴブリンのデカいのに遭遇してしまったような恐怖を感じた。

 しかし、今は仕事中。時給が発生している。気にしないふりをして、レジを打ち続けるしかない。

 青子は内心では助けを求めて叫びながら、表面は平然としてレジに立ち続けた。


 店長はその後も、店内の掃き掃除をしだしたかと思うと、青子の腰すれすれに塵取りをくっつけてきた。

 青子はまた悪寒が走ったが、それが伝わることはなく、店長はその場に座り込み、大きな頭が青子のお尻に当たりそうになった。

 レジで青子がお客様に質問をされると「そんなの十秒で答えろよ」と聞こえる声で後ろで呟いた。

 青子がトイレに入った時には外でガサガサ音を立てられ、その直後新しい宣伝ポスターを掲げて「このポスタートイレに貼ろうか!」とみんなに聞こえるように叫んでいた。

 そして、みんなに目線を合わせないようにされて、さらにイラついていた。

 どうして気が付かないし、反省できないのか。

 中にはそういう店長に優しく話しかける勇者のような優しい女性スタッフもいて「もう疲れた死にたい」と吐く店長に「限界の向こう側に行きましょう」っと言っていた。

 しかしそこでも店長は「言ってる意味わかんないですけど」と相手の目を見てディスっていた。

 その女性スタッフが帰るまで悲しそうな雰囲気を纏っていて、しかし成人してるから甘えられないと無理して笑っていて、青子は尚更もっと辛くなった。

 その晩、青子は家に帰る頃にはくたくたになって、宿題にも食事にも手を付けられなかった。

(身体が、心が重い。鉛のようで自分のモノとは思えないほど意思が効かない。後どれくらいあの店長ゴブリンの悪夢は続くんだろう?ただでさえ夢にも近づけないのに、足を引っ張られてばっかりだ)

 青子は疲れに押しつぶされる形で、いつの間にか寝入った。


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