あおのこえがきこえる
@hitujinonamida
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それはごくごく最近の話し。
まだコンビニのレジ袋が無料だった頃。
都内の一角のコンビニエンスストア『メアリーマート』で働くひとりのアラサー女子がいた。
声優志望のその子〝
彼女はこのまま、フリーターを続けながら、声優を目指すべきか、それとも、全部すっぱり諦めて、正社員として働くべきか、ずっと悩んでいた。
週5でコンビニアルバイト、それに加え、空いた日は、声優やアニメ、吹き替え映画の講座などに行くので、大きい時は一日で二万円も使ってしまう。
なので、自分を休ませる時間も、贅沢する余裕もなかった。
28歳を超え、徹夜も中々出来なくなり、先週もバイトの時間を削ってもらったばかりだ。
誰よりもシフトに入って、品出しも誰よりも早く、接客対応も良いのに、そういったシフト変更などが多いせいか、時給も中々上がらないまま、下っぱのままだった。
もしかしたら、そうやって良いように安く使われているんじゃないかと思うほど、コンビニの店長の態度は辛辣だった。
青子が新商品の情報をレジで読んでポイントを押さえていた時など、「暇なら、たまってる商品だせよ」と言ってきた。
青子としては一定の商品を出した後で、レジ待ちをしながら、新しい情報を頭にインプットしていたつもりなのだが、店長にはサボっているように見えたらしかった。
人からどう思われても仕方ないと青子は思う。
それぞれに、それぞれの視点があるからだ。
しかし、やってるにも関わらず、給料も増えず、叱咤も増える一方で、なんの変化も起こらないのなら、それはそれが行き止まりなのではと、一年前くらいから感じていた。
それでちょっとそのことを口に出すと「自分だけが大変と思うな」と言われてしまう。
まだプロでは無いものの、自分は声優という、なにかを演じる者なのだから、どう思われるかより、どう見せるかが大事だと思ってきたけれど、自分が一番大変だと思ってて、他者の意見を聞き入れることを拒否している人間ほど「自分だけが大変と思いやがって」と言うし、そういうやっきになってる人間には、自分は酷く高慢に、簡単に言えば偉そうに見えているのだとは青子は理解していた。それでいて、人によっては引き釣り落としてやりたい気持ちになるんだろうなと、三十路近づいて、その感情を抱いた当人にも、分からないような本音が、ありありと分かるようになってしまった。
それはもともとは青子の中に無かったはずの負の感情が、自分の内側まで侵食してきて、自分自身の一部になってしまったせいなのだと理解していた。
しかし、青子はそれを悪いこととは思わなかった。
もしかしたら、今後悪役を演じる際に役に立つ、何故だかそんな革新を持っていた。
青子自身の内側に、余り持ってこなかった負の感情を、理解出来るようになることは、逆に負の感情を凌駕する力になると信じていた。
けれど、その思いを活かすチャンスには、未だ出会えていない。
その思いや考えを、個人で、どこかで口にしても、高慢だとか宗教だとか言われるだけなので、青子はそっと、自分だけの孤独感の内側にしまっておいた。
もしかしたら、声優の団体に入ればそういう仲間も出来るのかも知れないけれど、そこにかかる費用や、つまらない小競り合いのことを考えると入る気にならなかった。
事務所も同じような理由で入っていない。しかも最近は顔出しする声優がどんどん増えているせいで、顔やスタイルのことまでとやかく言われそうで、それが青子にはとても怖かった。
青子にはコンプレックスがあった。
それは自分の顔に付いた大きな鼻だ。
だた大きいのではなく、幅が5センチほどある。
声が通るのは、この大きな鼻による呼吸の深さからだけれど、それでも青子は女の子だ。やっぱり気になるものは気になるものだ。
自分の生まれつきの肺活量を活かして、声優になってがっぽがっぽ稼ぎたかったが、やっぱりそういうチャンスは気配すらまだない。
そんな虚しいのか、普通なのか良くわからな日々のとある日、同じアルバイトのアブドルがバイトに遅刻してきた。
青子は夕方上がるはずだったのに、全く来る様子も連絡もない。
帰宅者が増え、レジが込む時間帯に勝手に上がることも出来ず、青子は行列を目の前に「うわああ、レジめっちゃ混んでる。めっちゃ混んでる! 」と言う店長の大きな声の独り言を聞き流しながら、無心でレジを打ち続けた。
店長の声にあからさまに嫌そうな顔をしているサラリーマンがいたけど、気が付かないものなんだろうか?
良く来る犬をいつも外に留めている初老の上品な女性が「大変ねえ」と優しく微笑んでくれたので、なんとか列が消えるまで頑張ってレジに立てた。
そして、問題のアブドルがやってきたのは、本来の出勤時刻より、一時間以上後だった。
アブドルは遅刻してきたというのに、青子になにも言わず、ただ普通に出勤してレジに立った。
青子はアブドルに、何ごともないように横に立たれ、下から上に、怒りが浸透した。
「どうして、遅刻したの!?」
思ったより青子は大きな声が出てしまった。
すると、裏で在庫を数えるふりをして煙草を吸っていた店長が飛んできて、「店でなんて声出してんだ!」と青子より更に大きな声でどなり、そのままのんのんとレジの前で説教を15分続けた。
青子は悲しい気持ちのまま退勤し、自宅のアパートで、枕に顔を埋め、声が響かないように一人で泣いた。
翌日はまたあのアブドルと同じシフトだった。
アブドルは青子に近づいてきて、昨日はすいませんでしたと言ってきた。
へらへら笑っていて頭も下げなかったけど、お国的な違いかも知れないと青子は気にしないことにした。
仕方ないので、なにもないように普通に仕事をした。
すると、退勤直前にまたアブドルに声をかけられた。
「昨日はすいませんでした」
「もう、良いよ」
「つ、坪倉さん凄いですね。説明も丁寧だし、いつも入ったばかりの商品とか、景品とかちゃんと、み、みじかく話すのに、わかりやすい」
そうか、アブドルはどこから話していいのか、どう発音して良いのか分からないんだ。と青子は感じ取った。それは、母国語じゃないから尚更かも知れなかった。
「昨日は何で遅刻したの?」
青子は、あっけらかんと聞けた自分の声に、自分でほっとした。
「勉強が上手く進まなくて‥‥‥、し、し試験ダメかもって思って、もっと寝れなかった」
「そっか」
「森さん、わたしがどもってイライラしないか」
「気がついて無いわけじゃないけど、わたしもセリフでとちることはあるから」
「セリフ?」
「ああ、わたし声優してるんだよ」
言ってしまってから、青子はあっと思った。
まだデビューもしていないのに「声優をしている」と断定的に言ってしまったからだ。
それは日本語が分かりずらいかも知れない、アブドルのために放った言葉で、別段それはそれ以上の意味を持たなかったけれど、青子は自分で言葉にしてから「自分なんかが」と思い、小さく項垂れた。
「そうだったか! わたし日本のアニメ好きでこっち来たよ!」
しかし、アブドルは青子の気持ちとは裏腹に心底嬉しそうに声を上げた。
なんだかそれからアブドルは偉く青子になつき、それからどんどんアブドルと同じ日本語学校の生徒が、コンビニで働くようになった。
アブドルを含め、海外から来たバイトたちは、分からないことがあると、店長でなく、全部青子に聞いた。
中には漢字にも不慣れなフィリピン人の少年がいて、とても手間がかかった。
しかも店長から青子の風当たりは何故か以前に増して、きついものになった。
「もう、なんでみんなわたしにばっか聞くの?」
「だって、青子は分かりやすい」
アブドルが申し訳なさそうに頭をかきながら笑う横で、タイの女の子が真顔で言った。
「テンチョウ、イツモイライラシテテ、ナニイッテルカワカラナイ、イツモドナッテル」
韓国美女のチョンさんがそれを聞いて、へらへら笑う。
「ニホンゴガッコウノ、センセイヨリワカリヤスイヨ」
タイ人の女の子が真顔でそういうので、青子は何でか説明が出来ないけど、コンビニのことや日本語のこと含め、教えを求められると、拒めなくなった。
そうして、いつしか楽しんで教えるようになっていた。
しかし、その楽し気な姿がコンビニの店長には気に食わなかったらしく「長く務めてるからって調子に乗んなよ。万年バイトの癖に、アホみたいにでかい鼻しやがって」と青子にある日言った。
青子は翌日、どうしても身体が重くて、その日アルバイトを直前になって休んだ。そしてその翌日も休み、結局一週間休むことになった。
青子はもうあんなバイト先いられないと思って、ハローワークに行った。
しかし、一度は新卒で、就職した経験があり、それを思い起こする、直ぐに就職する気にはならなかったし、バイトもまた一から始めるとなると億劫だった。
そんな覚束ない気持ちでハローワーク内をうろうろしていると、青子は足元に一枚チラシが落ちているのを拾った。
それは目の前のチラシ置きから落ちたものらしかった。
多分、誰かが取った際に、後ろのがつられて落ちたのだとわかった。
チラシには「日本語の先生になる勉強をしながら、お金をもらいませんか?」と書いてあった。
それは、就職訓練校の案内だった。
青子は何故か直観的に「これだ!」と思った。
それは海外の子に教え方を褒められたせいかも知れないし、働かずにお金がもらえると思ったせいかも知れなかった。
だけど、そんな簡単に、お金が入るわけがないし、自分が先生なんて出来るのか?
明るい兆しが見えた直後に、直ぐに暗い不安がやってきた。
青子がもう一度慎重にチラシを見ると、応募期日は調度今日までになっていた。
青子はどうせ応募だけなら無料だしと気持ちを仕切り直し、受付に座り、手続きをした。
それからその三か月後、就職訓練校で日本語の教え方を学びながら、コンビニでアルバイトをしつつ、たまに月に2,3回、声優のオーディションを受けるという青子の新しい日常が始まった。
その三か月経つ間に、何故か店長は青子たちのいる店舗に余り顔を出さなくなり、実質、青子が店長のような役割になった。
相変わらず時給は上がらなかったけど、国の支援で就職訓練校に通ってることで、労働時間が義務的に制限されることを周りに説明すると、周りのみんなが青子の入れない時間に、積極的にシフトに入ってくれたり、実家から送られてきた食べ物や、要らなくなった洋服を数着くれたりした。
仕事と声優関連の活動以外に、学校に行き始めただけだったが、何故か青子には、周りがみるみる変わっているように感じられた。
海外の人のお古の服は、日本にはないデザインで派手なモノが多かったが、青子は持ち合わせの服と組み合わせることで、上手く普段使いにしていた。
そんなある日、青子は同じ就職訓練校に通う50代くらいのマダムに偉く着ていたワンピースを褒められた。
その日青子が着ていたのは、日本には売っていないような、青の大きな花柄のワンピースだっだ。その上に袖なしの茶色のアウターを羽織っていた。
「あなたって、ほんと話し方も無駄がないし、着こなしも同じく花があって軽やかだわ。それなのに品があるの」
「あ、ありがとうございます」
青子は恐縮して身を縮こまらせた。
すると、後ろの方で「あんな派手な服着ちゃって。自分の鼻の方がデカいじゃない」とこそこそ話す笑い声が聞こえた。
青子は着るものが少なくてその服を選んでいたし、好意でもらったものだったので、少し派手でも気にならなかった。
しかしマダムが青子の耳元で、
「わたしああいう品のない人嫌いよ」
と言ったので、思わず笑ってしまった。
それから青子はそのマダムの富岡さんと親しくなり、連絡先を交換した。
そして、翌日、富岡さんは帰りにこっそり青子に近づき「お小遣いあげるから、一緒に海外留学者向けマンションに住んでくれない?」とまたこっそり耳打ちしてきた。
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