第49話〈最後の特攻隊〉前半

 僕は医務室に運ばれ、しばらくして気が付いたが……

 出撃前の別盃式には「邪魔をするかもしれないから」と看護員に見張られて参加させてもらえなかった。

 篠田の強烈な右パンチをくらった左目の上は腫れ、手当てと眼帯をされながら旅立ちの準備を遠くから右目で見ている事しかできなかった。


 しかし午前10時半頃、ヒロが「彗星」に乗り込む前……何とかして見張りの目を欺いて僕は走り出した。


 走りながら見送りの人達が見えたが、その中に平井くんは見当たらなかった……どうやら手紙は届かなかったようだ。

 そして僕は、ヒロが「彗星」に乗り込むギリギリの時間に間に合った。


「ヒロー! やっぱり僕が代わる! だから乗るのは待ってくれ~」


「アホ~そんな目じゃ飛べへんやろが~っ、ヨイショっと……ホレ……ごめんな源次……お詫びにコレ、お前にやるわ……」


 ヒロは乗り込もうとした機体を降りて、自分がつけていた紫のマフラーを僕に巻いてくれた。


「あと…………やっぱりコレは純子に返しといてくれ……写真とウサギの人形……一緒に連れてくのは、なんやかわいそうで……もし打ち所が悪かったら可愛らしいウサギが真っ赤に染まってしまうかもしれんしな」


「だから僕が代わりに!」


「それは絶対にアカン言うたやろ! でも最後にお前に会えてよかったわ~渡したかったもんも渡せたし……まあ、すでに手垢で汚れてもうてるけど、純子に似てるこいつには真っ白なまんまでいて欲しいんや……だからこれは返して?」


 ヒロがポケットの中から出した写真とウサギの人形を渡そうとしてきた時、僕を見る真剣な眼差しや今まで見たことない表情から強い意志と決意が伝わってきて……それ以上何も言えなくなった。


 僕は泣きながら写真とウサギの人形を受け取って飛行服のポケットに大切にしまい、ヒロに最後の敬礼をした。


 そしてヒロが乗り込む前に、僕達は「これが最後の抱擁だ」と固く強く抱き締め合った。


「今日は一段とキレイな空じゃのう……どこまでも純粋で……純子みたいに透き通った、キレイな空じゃ……」 


 空を見上げるヒロの横顔は、今まで見た中で一番カッコよくて……

 本当に空を飛ぶのが好きなんだと思った。


「篠田少尉、時間です!」 


「おうよ! ほな、ちょっくら行ってくる!」


 後ろの偵察員の声に僕は邪魔にならない位置まで後ずさり、手と帽を振ることしかできなかった。

 ヒロはこっちを見て頷いた後にエンジンをかけ、ゆっくり滑走路を進んだ。


 その時だった……


「源次さ~ん」


 忘れもしない純子ちゃんの声……

 基地に来るはずのない純子ちゃんが走ってきた。


「純子ちゃん!? なんで?」


「源次さんがいよいよ出撃するって光ちゃんの手紙に書いてあったから、居ても立ってもいられなくて……」


「ヒロが!?」


 息を弾ませ、一心不乱な状態で駆け寄ってきた。


「純子ちゃんごめん! 本当は僕が行くはずだったんだけど、ヒロに目を殴られて出れなくなって……あいつが行くことになって、あの飛行機に乗ってるんだ! でも腫れも引いてきたし今なら交代が間に合うかもしれない……急ごう!」


「そ、んな……光ちゃんが? 交代ってどういうこと?」


「伝えたいことがあったんだろ! 駅で何も言えなかったんだろ! 早くしないと間に合わない! いいから行くぞ!」


 僕は純子ちゃんの手を引いて、全速力で滑走路を走った。

 出撃が一番最後の順番だったヒロは、飛び立つために加速の準備を始めている……


「ヒローーー待ってくれーーー! 純子ちゃんが、来てくれたんだーーー!!」


 離陸する前の助走のスピードが段々早くなっていく……

 僕は眼帯に視界が遮られて転んでしまった。


「クソッ何でこんな時に……」


 間に合わないかと思ったその時……滑走路に純子ちゃんの大声が響き渡った。


「光ちゃーーん! 大好きだよーーー!! 私もずっと……ずーっと! 大好きだよーーー!!!」


 透き通ったいつもの声とは違う、魂の叫びだった。


「お願いだ……届いてくれ……ヒロ!!」


 スピードが上がり伝わらずに飛び立ってしまったかと思ったその時……

 操縦席からヒロの左腕が伸びて、ハンドサインが見えた。


 力強くピースしたそのサインは、最後の最後まで、あいつらしかった。

 そのピースの先に五人で作った「希望の星」が見えて……僕は涙が止まらなかった。


 純子ちゃんの最後の想いは伝わったが……僕は最愛の二人を引き離してしまった罪悪感でいっぱいだった。


「ごめん純子ちゃん、約束守れなくて……本当は僕が行くはずだったのに何もできなかった……死ぬべきは僕だったのに……」

バチンッ

 全部言い終わる前に純子ちゃんにビンタされた。


「そんな事言わないで! 私は光ちゃんに生きてて欲しかった! 光ちゃんともっと一緒にいたかった! 身を引き裂かれる思いって、こういうことかって思う位つらくて悲しい……でも源次さんが生きていてくれて嬉しい! お願いだから死ぬなんて絶対言わないで!!」


 僕達は滑走路の上で泣きながら抱き締め合った。


 僕はウサギの人形を純子ちゃんに渡せなかった。

 せめてウサギの人形だけでも一緒に旅立ったと思っている純子ちゃんに返すのは、酷な気がしたから……


 正午の玉音放送は、雑音が多くてよく聞き取れなかったが……

 戦争が終わったことは理解でき、僕は絶望して人目も憚らず号泣した。


 「あと数時間早かったら、ヒロが飛び立つことはなかったのに」と思うと……

 本当に悔しくて悔しくて堪らなかった。


 『篠田弘光』……あいつは日本で最後の特攻隊員になった。


 軍の命令によるものとは別に、大分海軍から玉音放送後に「先に逝った仲間との約束だから」と飛び立った隊もいたが……


 命令を受けて出撃した特攻隊の中で、最初の特攻と最後の特攻に両方とも高知出身の若者がいたことを、知っている者は少ないだろう……

 

 紫のマフラー、それは端を結ぶと駅伝のタスキのようだった。

 あいつから受け取った紫のタスキは、何としても次へ繋がなければと強く思った。

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