第7話 神性信用師―暴動—(前編)

「いただきます」

「宗教ですね」

 コンビニで買ったドリアに手を合わせると、目の前に座っていた新田ちゃんがにっこりと笑って言った。新田ちゃんの前には唐揚げ弁当が湯気を立てている。

 私は何のことかわからず目線で説明を求めた。

「その手を合わせる動作、お祈りのそれですよ」

 言われて自分の手を見ると、たしかに、初詣などでする祈りのポーズだった。

「別に宗教ってわけじゃ」

 実家は浄土宗に属する寺の檀家だが、私個人は強く何かの教えを意識して暮らしているわけではない。食事の前に手を合わせる動作だって、そうするよう親からしつけられたからやっているだけだ。行ってきます、の挨拶に近い。

 これは宗教なのか?

 私の疑問を察するように、新田ちゃんは唐揚げを口に放り込んで言う。いただきますは言わなかった。

「いただきますという言葉は、食べ物に宿っていた命をいただきます、という意味ですよ。ご馳走様は、生産者や料理人など、食品に関わった方々への感謝の挨拶です。どちらも宗教的行為です」

 私はプラスチックスプーンでドリアを口に運びながら、年下の先輩が言うことを咀嚼した。

 この度、私は架空物信用局神性信用部へ配属となった。といっても、国家信用部との兼部である。神性信用部職員は、そのほとんどが他部署との兼任で、部長の廣瀬だけが専任の職員となっている。

「それは宗教というより、常識に属するものじゃないの。小学校の給食時間でも言わされたんだけど、これが宗教なら、学校で宗教を教えているってことになっちゃわない?」

 新田ちゃんは愉快そうに目を細めた。

「なっちゃうんですね、それが。三輪さんの世代も私の世代も、多分、もっと前からそうだったはずです」

「新田ちゃん、何歳だっけ」

「二十九歳です。三輪さんは三十四歳ですよね」

「よく知っているね」

「遠藤さんと同期だと聞いていましたから」

「ああ、そっか。遠藤と同じ部署なんだ」

 遠藤俊介は国土信用部の職員で、同い年、同期入局にあたる。新田ちゃんは国土信用部と神性信用部の兼部だと言っていた。あまりにも狭い業界だ。繋がっていても驚かない。

「それで、何の話だっけ。そうそう、学校で宗教を教えているのかって話だった」

「そうでしたね」

 今朝は国家信用部の方のミーティングに出て、昼前に神性信用部へ顔を出した。今日から私は、神性信用師としてのトレーニングを受けることになっている。なぜか朝一ではなく昼前を指定されたので、今日の講師である新田ちゃんとはお昼ご飯を一緒にすることで挨拶になってしまった。

 神性信用部が何をする部署なのか、それは外部に漏れ出て来ない。だが今交わしている会話が、既に講義を兼ねているのだとは勘づいていた。

 神性と宗教、いかにも関係ありそうだ。

「日本人に聞くと、大抵の方が、自分は無宗教だとか、強く信仰している宗教はないと答えます。三輪さんもそうじゃないですか?」

「そうだね。一応浄土宗って答えるけど、正直、教義もよくわかっていないくらい。他の宗教との差なんて、さっぱりわからない」

「だいたいの日本人はそういう感覚です。私も、自分の実家が仏教だということしかわかっていません。でも不思議なことに、命は大事にするもの、食べるときは感謝を込めて祈ることという常識は、国中に染みついているんですよね。ここで問題です。英語には、いただきます、にあたる言葉が無いのはなぜでしょうか?」

 無いのか? と悪戯心が湧き、自分の少ない英語の語彙を探してみた。食べるはeatだから、と思いついたところで思考が止まる。

「本当だ。聞いたことがない。なんでだろう」

「そういう宗教が無いからですよ」

 また宗教、だ。

 新田ちゃんの説明は続く。

「いただきますという言葉は、食べ物に宿った命、極端に言えば八百万の神様ですね、そういった存在に向けた言葉です。だから、唯一神を信仰するキリスト教にはいただきますと言う教義がありません。日本の神教がベースになって生まれた風習なんですよ」

「じゃあ私は、浄土宗を信じながら神教の行為をしていたってこと?」

「そうなりますね。まあ、それはいいじゃないですか。クリスマスだってハロウィンだってバレンタインだって、他国の宗教行事が元になっているんですから。宗教というと、実在しないものを信仰するとか、それで金集めをしている胡散臭いものとか、そういう印象を日本人は持ちがちですが、宗教行事が無くなると、随分味気ない日々になってしまうわけです。そういう意味では、日本人の宗教に対する寛容さは、色んな行事をしたがるお祭り好きな国民性を表しているのかもしれませんね」

「そう聞くと、日本っていう国は宗教の坩堝みたいに思えるんだけど」

「思えるんじゃなく、そうなんです。実は日本は宗教大国なんですよ」

 新田ちゃんは喋りながらもひょいひょいと箸を動かし、お弁当がみるみる減っていく。器用な子だ。そして胃袋が若い。

 あっという間に平らげ、マイ箸をしまった。

「年上を敬うこと。命を大事にすること。家族を大事にすること。勿体ないの精神。どれも古くからの宗教によって形作られた文化です」

 そんな風に文化や風習を捉えたことがなかった。そして、ここまで話を聞けば、これまで通貨信用師、国土信用師、国家信用師として働いてきた私にはピンと来るものがある。

「その文化、ある意味日本人の根底に流れる精神性が生まれた背景に、神性信用部の仕事が関係しているってわけね」

 新田ちゃんはにやりと笑った。

「さすがオールラウンダーと名高い三輪さん。そういうことです」

 この国の架空物は、いつの間にか私たちの手で信じさせられている。これまでずっとやってきたことだ。


「世界各国に架空物信用局はありますが、神性信用部という部署がある国は非常に珍しいんです」

 昼休みを終えて、私たちの間にあったお昼ご飯は無くなった。ここから本格的に神性信用師としてのトレーニングが始まる。

「どうして」

「神や精霊、そういったものを信じさせるのは、民話や眠り話を語る親、宣教師や神父、僧侶、そういった方々の役割だからです。宣教師なんかはわかりやすいですね。自分たちの神を信じてもらおうと必死でしょ」

 学生時代、歴史はそれほど得意ではなかったが、フランシスコ・ザビエルが来日したことは覚えている。ルックスが特徴的すぎて忘れられない。

「基本的には、さも神や神霊がいて当然のように振舞うことで神性信用は蓄積されていきます。国土信用師は記憶にタグ付けしますが、神性信用は行動にタグ付けされるんですね。祈る、踊る、語る、説教をする、そうした行動それぞれに「神」がタグ付けされることで神性信用が増していきます。ですが、我々が具体的にやることは、そうした教義を信じてもらうことではありません。ちょっとこっちに来てください」

 新田ちゃんが立ち上がって手招きするので、私も立ち上がって近寄る。すると、ぽん、と肩に手を置かれた。

「三輪さんに適性があることはわかっていますので、お見せしますね」

 これまで、通貨信用師として通貨の来歴の根を、国土信用師として人の記憶を、国家信用師として国家意識の地層を目の当たりにしてきた。だが、見せられたものはそのどれとも違っていた。

「うわ、何これ。ハルキゲニア?」

「何ですって?」

「昔の生物」

 新田ちゃんの肩から前腕にかけてしがみついているソレは、細長い胴体に四対の足が付いたモノだった。頭と尾なのか、何の突起も凹みもないのっぺりとした表面で両端に延びている部分もある。片方が短いので、そちらが頭だろうか。

「似た生物がいるんですね。でも、コレは神です。八百万の神様の一柱。私たちは、信用の神と呼んでいます。少なくともここ日本では、神は架空物ではないんですよ」

 架空物信用局を名乗っていますけどね、と悪戯っぽく笑う新田ちゃんの声が、ずいぶん嘘っぽく聞こえた。

「私たちの仕事は、この信用の神の依り代になることです。三日交代で、年中この神を顕現させます。それだけで、この神の力が国中に広がり、神性信用が高まります」

 疑わしかった。信用処理は目に見えにくいし、国家信用処理はその成果もわかりにくい。だが、だからこそ、地味な作業を継続することが必要なはずだった。それが、こんな正体不明の神とやらの力で信用処理を行えるなんて。

「その神とやらは、どういう由来のモノなの」

「最初の最初はわかりません。地下の書庫には関連書物やその写しがありますが、天皇に仕える家が代々管理してきた存在のようです」

「天皇……」

「はい。始まりは神武天皇よりも前にあるとかないとか、はっきりしたことはわかりません。ですが、古事記にもあるように、この国は始まりから戦時中まで、天皇を神格化することで国を治めてきました」

「そのためには、より強力な神性信用が必要だったというわけね。いや、信用の神を手に入れられたから、今の天皇一族があると考えることもできるのか」

 新田ちゃんは私の肩から手を離した。それで信用の神の姿は見えなくなる。

「どちらが先なのか、それはわかりません。ただ、長年に渡って天皇家を神格化できたのは信用の神のお陰ですし、日本が世界的にも珍しい多宗教国になったのは、神性に対して親和性が高められていたからでしょう。

 敗戦後、GHQがこの国を占領して作り直そうとしたときも、あまりに架空物信用局の出来が良すぎて手を付けなかったのは有名な話ですよね。でも実際はこの、信用の神という存在を彼らが持て余したからという理由もあるんですよ」

 新田ちゃんは神性信用部の執務室を出て歩き出す。ついていくと、下へ下へ、地下の書庫に連れて行かれた。

「そんな得体の知れないモノに頼って大丈夫なのか、と思いますよね。我々は膨大な資料を先人たちから引き継いできました。それこそ、文字が導入された飛鳥時代のものから近代まで。廣瀬部長の主な仕事は、それらの文書管理と、現代語訳です」

 書庫の片隅を手で差された。

「ここに、それらの資料が保存されています。これをお読みになれば、私たちが決して勘頼みで運用しているわけではないということが分かっていただけると思います」

 そのエリアには大量の木箱が置かれ、プラスチック製表紙の分厚いバインダーが十冊以上差さっていた。

「木箱の方は原本なので取り扱いには特に注意してください。バインダーの方は部長特製の現代語訳版です。こちらを見る方がいいですね。ちなみに、部の共有フォルダにはこれらの電子データもあります」

 私は唸って腕を組んだ。

 何かがおかしい。神ってそんな気楽に管理していいものなのだろうか。何をしでかすかわからないから怖いもの、畏怖すべき相手なのではないのか。

 不協和音が鳴り響いたように眉根が寄ってしまう。

「習うより慣れろなので、神を三輪さんに移しますね」

「え、今から?」

「ええ」

 新田ちゃんは握手するように右手を差し出してきた。躊躇してしまう。あの、ハルキゲニアのような得体の知れないものの依り代になると言っていたか?

 新田ちゃんはじっと私を見つめ、右手を差し出したまま待っている。その表情に先ほどまでのにこやかさはなく、それどころか何の表情も貼り付いていなかった。

 肩が重くなるような視線に打たれ、脇にじわりと汗が滲んだ。やるしかないのか。

 思い切って手を取ると、新田ちゃんはようやく微笑んでくれた。そしてまた、信用の神と呼ばれるソレが見えるようになる。

「慣れれば、依り代に触れなくても見えるようになりますよ」

「素直に喜ぶのが難しいね」

「そこは神性信用部として喜んでもらわないと困ります」

 信用の神は四対八本の足を動かして私たちの腕を渡る。その動きにぞわぞわと鳥肌が立ったが、私の腕に来た時、感触はなかった。浮いているかのように腕を伝い、私の肩まで来て、止まった。

 重みもなく、音もない。感触もないのに、そこにいることははっきりとわかる。その曖昧で、わかる人にしかわからない感覚は、まさに信用師が日常的に感じているものだった。ようやく、今までの仕事と同系統であると認識できた。

「三日間、このままってこと?」

「今日は最初なので、明日の朝になったら私に戻しましょう」

「寝てもいいの?」

「どうぞ。食事でも運動でも旦那さんと楽しいことでも、普通に過ごしていただいて構いません」

 いやらしい笑みと共に言われ、新田ちゃんは書庫の出口に向かって歩き出した。そして、あ、と声を上げて振り返る。

「言っておきますけど、四日以上は絶対に降ろし続けないようにしてください」

 新田ちゃんの顔から表情が消えた。この子は真剣になると無表情になるタイプのようだ。

「何が起こるかわかりませんから」

 薄暗い地下の書庫、私は肩から感じる得体の知れない神の気配と正面の怖い同僚から感じるプレッシャーに、カクカクと頷くことしかできなかった。


   ◇


 翌朝、肩凝りが酷かった。

 新田ちゃんはそんな私の様子を見て笑い、信用の神を引き取ってくれた。

「慣れるまでは辛いですよね。四日以上は駄目だっていうのは、そういうことです。それ以上は、体への負担が大きいんですよ」

 再び握手をすると、信用の神はするすると動いて新田ちゃんの肩にしがみついた。意外と、寝苦しいとか動きにくいとかの感覚はなかったが、引き取られると明らかに体が軽くなった。

 思わず大きく息をついて体を解してしまう。意識していなかったが、相当緊張していたようだ。

 そんな私の様子を見て、新田ちゃんはケラケラと笑う。昨日から驚き続きで、むっとする気力も湧かない。

「信用の神っていうけどさ、それ、依り代の生命力を吸っているってことじゃないの」

 神ではなく悪魔なのではないか、という気持ちを込めて言うと、新田ちゃんは肩をひょいと竦めた。

「ただで信用処理をしてくれるような便利な存在がいたら、その方が不安じゃないですか? 何かを支払うくらいがちょうどいいと、私は思いますけどね」

「それはそうだけど」

「これまで多くの、本当に多くの人たちが信用の神の依り代になってきましたが、無茶をしなければ、寿命が縮むようなことはありません」

「無茶というのは、昨日言っていた三日の制約のこと?」

「そうです。四日か、五日くらいまではぎりぎり問題ないと思いますが、一週間降ろし続けたら異常が出ますよ」

 神性信用部の執務室には廣瀬ひろせ部長と新田ちゃん、そして私の三人だけがいる。持ち回りの日以外はそれぞれが別の部で仕事をすることになっていると聞いた。

「その、神を降ろしている間は何をすればいいの?」

「神性信用処理の意味では、自動的にやってくれるので何もする必要はありません。ただまあ、それも暇なので、廣瀬部長が翻訳した資料を読んだり校正したりするのが仕事ですね。最初の半年間は勉強して、信用の神に対して理解を深めてください」

 新田ちゃんは廣瀬部長の後ろを指さした。そこには神棚が低い位置に取り付けられている。

「もしも途中で依り代が解けてしまっても、あの神棚に戻ってくるようになっています。縛ってあると言ってもいいですね。ですので、あまりに辛くなったら依り代は解いてしまって構いません。解き方を覚えられたらの話ですが」

「ああ、そう」

 まるで犬の躾のように話す新田ちゃんに、激しい違和感を覚える。いずれ慣れるのだろうか。早く廣瀬部長が現代語訳したという資料を読みたい。一体この部署が飼っているモノは何なのか知りたい。

「新田さん」

 低い男性の声にはっとして目線を向けると、廣瀬部長がいつの間にか顔を上げていた。

「何でしょうか」

 廣瀬部長は中肉中背で、どこにも個性が見当たらないタイプの人間だった。だがしかし、その声は低く落ち着いていてとても魅力がある。見た目の冴えなさとのギャップに、高得点が付いた。

「急で悪いけど、明日、遠出してもらえるかな。三輪さんも連れて」

「どこにですか」

 新田ちゃんと廣瀬部長は私の意思を聞かずに話を進めていく。まあ、仕事ならば行くしかない。この部署では新人である私には割って入る言葉もない。

 廣瀬部長はデスクの引き出しから地図を取り出した。執務室の大テーブルに広げる。首都とその近郊を記した大きなものだった。

「ちょうどいいから、三輪さんに見せよう」

 いつの間にか、廣瀬部長の手には、私の手でも充分に握り込めるような、小さな金属の輪が乗っていた。その輪には糸が結びつけてある。

「振り子ですか」

「そう。ダウジングって聞いたことあるかな。L字の金属棒やこうした振り子で、水道管の破損や水脈を見つける技術なんだけど」

 廣瀬部長は新田ちゃんに右手を差し出す。新田ちゃんは勝手知ったる様子でその手を握った。今の私には見えないが、神が移動したのだろうことは察せられた。

 廣瀬部長は椅子に座り、振り子の先の糸を摘まんでだらりと地図の上にぶら下げた。

「神の力を借りれば、神性信用処理の応用でこういうことができる」

 廣瀬部長はゆっくりと振り子を地図上で移動させていく。

 急に感覚が研ぎ澄まされていくのがわかった。廣瀬部長が集中しているため、それに引っ張られて私や新田ちゃんも振り子に意識を引っ張り込まれている。信用師たちはこういうことがある。お互いの感覚に影響を与え合って共感しあう。

執務室は静寂に包まれ、廊下を歩く職員の声がやけに大きく聞こえた。振り子の動きは非常にゆっくりとしているが、不思議とじれったさは感じなかった。それどころか、研ぎ澄まされた空気にひりつく。

急に、首都の東端付近で振り子が円を描き始めた。廣瀬部長の指は全く力が入っていないように見えるのに、振り子は意思を持っているかのごとく激しくその場を回り続ける。

「三輪さん、ここに神性信用が低いスポットが発生している。神を連れて行ってきてくれ」

「承知しました」

 廣瀬部長は、用は済んだとばかりにさっさと地図を片付けて新田ちゃんに神を返した。あまりにあっさりしている。もう少し見たかったし、質問攻めにしたい。どうすれば可能なのか問い詰めたい。

「新田ちゃんも、ダウジングできるの?」

 廣瀬部長は既に自席に座ってしまったので、代わりに新田ちゃんに聞いた。

「できません。部長と神の相性がいいからできることなんですよ。ダウジング自体も適性があるものらしいですし。神性信用師としての適性、ダウジングの適性、部長は両方あるからできる芸当なんです」

 感心しながら、試したくてうずうずしてきた。神性信用に限らず、国家信用や国土信用でも応用できそうな技術だ。庁舎にいながらにして、遠方の信用処理の具合を調べられれば非常に効率がいい。

 おそらく、通常よりもさらに鋭敏な感覚が求められるのだろうけれど。

 私の考えを察したように新田ちゃんが苦笑する。

「焦らなくても、慣れた頃に部長が試させてくれますよ。部長、ずっとダウジングの後継者を探して新人全員にトライさせているんですから。まあ、適性がある人は滅多にいないので、期待しない方がいいですけどね」

「昨日から思っていたんだけどさ、新田ちゃんって一言多くない?」

「後で落胆しないように予防線を張っておいてあげているんじゃないですか」

「それは俗に言う、余計なお世話ってやつかもよ」

「余計でもお世話しているんですから、いいでしょう。それでは三輪さん、明日は現地集合しましょう。今日の午後はみっちりトレーニングしますからね」

 私は力なく笑った。これは仕事で、この子はトレーナー。

 受け入れるのが、社会人。


 神性信用低下スポットに降り立った私は、新田ちゃんを待っている間に、せめてそれを感じようと努力してみた。だが、一向にその気配を掴めない。新しい部署に行く度、まずはその感覚を得る努力をするところから始まる。

 全くわからないなりに感覚を尖らせていると、思考と集中力があさっての思考に流れていった。神性信用が無くなったらどうなるのだろう。言葉通り考えると、神様の存在を信じなくなるのだろうか。とはいえ、ほとんどの国民は神の存在を半信半疑か、ほとんど信じていないと思う。

 戦時中や戦前と違って、現代は天皇も人間であると公言している時代だ。神性信用が落ちることによる悪影響が想像できない。

 私より二本遅い電車で来た新田ちゃんに聞いてみると、彼女も腕を組んで悩んだ。

「基本的に神性信用の仕事って、信用が無くなる前に対応しちゃうので、無くなったらどうなるか検証する機会がとても少ないんですよね」

 その辺りは国家信用と似ている。信用が低下したら何が起こるのか、データが少ない。逆に通貨信用が低下したときの影響はわかりやすく、貨幣や紙幣が雑に扱われたり、流通せずに仕舞い込まれたりする。国土信用も、人が住みたがらなくなるなど、比較的情報が多い。

 神性信用はどうなのだろうか。

 新田ちゃんはどこへとも告げず歩き出し、私は小走りに追う。

「神というと大げさですけど、人智を超えたものの存在って、案外みんな信じていると思うんですよね。験を担ぐ、奇跡を祈る、運気や風水を信じる、みたいな。もしもそれらを何も信じなくなったとしたら、それは日本人らしさというか、人間らしさの喪失と言えるかもしれません」

 どこか楽しそうに、でも真面目な内容を口にする。

「そうなると、きっと良くないことになるんですよね。少なくとも、日本人の勿体ない精神については、私は結構好きなんですよ。それがなくなるのは、嫌ですねえ」

「私の夫がそうなんだけど」

「何ですか?」

「重いことほど冗談みたいに話すのね」

 今日は雨が降ったから、折り畳み傘があって良かった、そんな調子で重大なことを言う。そんな人たちがいる。

「新田ちゃんもそのタイプかなって思って」

 新田ちゃんはちらりと私を見た。

「なるほど」

 口元に笑みを浮かべ、そのまま黙ってしまう。不機嫌になっているわけではなさそうなので、そのまま隣を歩く。

 オールラウンダーと呼ばれるだけあって、これまで色々な信用師を見てきた。信用師は基本的に繊細な人が多い。新田ちゃんは少し口が悪いが、それはきっと露悪的なポーズだ。この二日間のトレーニングを受けて、基本は胸に熱い想いを秘めた真面目な信用師であることはわかっている。

 重いことを重いまま話すことは誰でもやるし、誰でもできる。でも彼女はきっと、そのまま話すには重すぎるほどの強い想いを抱えている。だから笑って、重要なことを口にする。

 人間らしさの喪失。

 それが本当だとしたら、神性信用とは、たしかに失ってはいけない重要なものだ。

「それで私たちは、ここで具体的に何をすればいいの」

 新田ちゃんは駅前の商店街に入っていく。昔ながらのアーケードといった様子で、平日の昼間にも関わらず人通りが多い。

「神を降ろしていれば、いるだけで神性信用処理が進みますので、実はやることってほとんど無いんですよね。まあ、この土地の神性信用が低下していると感じた部長のダウジングの、答え合わせくらいでしょうか。あ、あそこのアイス屋行きましょう」

 新田ちゃんは商店街の一角でアイスクリームを購入した。紙のカップに入ったバニラアイスに、イチゴのシロップがたっぷりとかかっている。

「三輪さん、レモンシロップの方、食べませんか? 分けっこしましょうよ」

「いいけど」

 二人で店の前に用意された小さなテーブルと椅子を使い、アイスクリームを食べた。美味しい。

「ここの神性信用はたしかに下がっています。致命的ではありませんが、だいたい50%減ってところですね」

「大ごとじゃないの」

「部長が急な遠出を命じた理由もわかろうというものです」

 新田ちゃんはうんうん、と頷きながらアイスクリームを食べ進める。舌鼓を打っているのか、部長の指示に頷いているのかわかり辛い。

「そんな急に失われるものなの?」

「どうでしょうね。でも、最近こういうことが多い気がします」

 普通、信用処理が50%減と言われると緊急で対応を迫られるような事態だ。何かの対策を取っているのか気になるところ。

「新田ちゃん、ここに来たことあるの?」

 アイスクリームを食べる手が止まった。こちらの顔を覗き込んでくる。

「どうしてですか?」

「駅で待ち合わせてからここまで、スマホも地図も何も見ずに真っすぐ来たから。美味しいアイスクリーム屋があるって知っていたみたいだなって思って」

 一瞬の無表情を挟んで、新田ちゃんはじろじろと私の顔を覗き込んだ。

「何?」

 気味悪さに身を引いてしまう。

「よく気づいたな、と思いまして。実は、古田君と来たことがあるんです」

 古田君とは、国家信用部に所属する新田ちゃんの恋人だ。二人の関係は周知の事実で、気が早い彼らの上司は今から結婚式のスピーチを考えているらしい。

「そのときにここに来たんですけど、気になるアイスを全部食べられなかったんですよ。だから今日は三輪さんを巻き込んで食べようと思いまして。駄目でしたか?」

「いや、いいけど」

 古田君のことを話す新田ちゃんの表情が、私に神の説明をするときと変わらないことに小さく怯んだ。

 笑っているのに、心を開かれていない。

 しかも、表面上はとてもにこやかにされている。それらが全て彼女にとってのビジネスライクだとすると、ずいぶん分厚い壁を置かれている。

「三輪さんはまだ神性信用を感じることができないかもしれませんが、神を降ろしていればすぐにわかるようになります」

 話題が急に仕事に戻った。私もそれ以上プライベートには踏み込まず、ふんふんと聞く。

 年齢でいえば新田ちゃんの歳上なので、私はつい余計な口を出したくなってしまう。

 あなた、そんなに周りに気を張っていて、疲れない? と。


 架空物信用局は、基本的にカレンダー通りの休みだ。だが、神性信用部だけは微妙に土日祝日も仕事がある。

 神性信用部と国家信用部の兼部を始めて三か月。私は初めて、神を降ろしたまま週末を過ごした。

「どうでした」

 廣瀬部長が右手を差し出しながら聞いてくる。今日から三日間は廣瀬部長が依り代の担当だ。

「意外と違和感なく過ごせました。お酒も飲みましたけど、依り代が解けることもありませんでしたし」

「よかったです。たまに、神を降ろしていると眠りが浅くなる人もいるので」

 廣瀬部長は訥々と話す。その声がいちいち心地よいものだから、私は神性信用部の担当日が楽しみになって来つつあった。

 右手を握り返すと、神が滑るように歩き、廣瀬部長の肩に憑いた。

 思いついたことがあるので聞いてみる。

「そういえば、最初に来た時、神性信用が落ちている場所があって遠出したじゃないですか。新田ちゃんが最近多いって言っていたんですけど、本当ですか」

 あれから、神を連れて遠出するように命じられたことはなく、大人しく資料を読むばかりだった。

 廣瀬部長は顎に触れ、少し考えた後で言う。

「二か月に一度くらいです。多い、と言えるのでしょうね。ここ一年のことですから」

「それまでは無かったんですか」

「記録には何件かあります。ですが、この頻度はたしかに異常です」

 廣瀬部長は執務室のキャビネットを開けると、迷わず一冊のバインダーを取り出して捲り始めた。間もなく目的のページが見つかる。どこに何が書いてあるのか把握しているようだ。

「局所的な信用低下は、何度も確認されていますが、直近一年間を除けば、一番近くて三十年前に一度起きています。それが、この一年間で五度確認されている。これは多いと言って差し支えないでしょう」

「理由はわかっているんですか」

「いえ。はっきりとはわかりません。ダウジングで見つけて、信用を回復させるしかないのが現状です。ですが、私のダウジングは決して百発百中ではありません。見逃しがあって、自然に回復したケースがあった可能性もあります」

 この三か月トレーニングを受けたので知っている。日本ほど宗教的土壌が整っている場合、神性信用が一時的に落ち込んでも復元力を持っていて、じきに回復する。

「あのダウジング、便利ですよね」

 そう言うと、廣瀬部長は顔を綻ばせた。

「便利ですよ。テレビのリモコンがどこかへ行ってしまったときとか、見つけるのに使えます」

「そういう使い方もできるんですか」

「本来はそういうものです。私は神性信用師としての感覚と併せて使うので、ああいう探知になっているんです。国土信用師が使えば、また違うことができるでしょうね」

 廣瀬部長がテレビのリモコンを探して振り子をぶらぶらさせている様子を想像すると、笑えた。リターンに対してやっていることが立派すぎる。

「少し、面白いものをお見せしましょうか」

 廣瀬部長はジャケットのポケットから例の振り子を取り出した。糸を摘まみ、垂れ下げる。振り子はピタリと止まった。手の震えなど全くないかのように微動だにしない。

「何か、自分だけが真偽を知っていることを言ってみてください。例えば、そうだな、今日の朝食はパンでしたか、ご飯でしたか」

「パンです」

 まさか、と振り子を凝視する。廣瀬部長の手は静止しているように見えるのに、振り子が旋回し始めた。

「嘘つきですね」

 微笑みながらいい声で言われて、背筋がぞくぞくした。

「正しくはご飯でしたか」

「いえ、食べていないだけです」

 振り子の動きが急激に小さくなった。時間をかけて旋回半径を小さくし、やがて止まった。

「今度は正直ですね」

「噓発見器にもなるんですか」

 思わず、小さく拍手してしまった。

 部長は照れた様子で大きく息をつき、振り子を持っていた右手を振って解す。

「今日は上手くいきました。間違えるときもありますし、何より疲れます。ダウジングは、振り子を意図的に揺らさないように集中しないといけないので。

朝食の内容くらいならいいですが、普通は先入観が入ってしまって、それが邪魔になることもありますしね」

 制限はあるし疲れるとしても、嘘を見抜けるとしたら便利だと思う。保険の営業に「本当にベストな提案をしていると言えますか?」とでも聞いたら騙されることを防げそうだ。

「先ほどまで話していた信用低下の件ですが、月曜日に見つかることが多いんですよね。土日の間に生まれているというか。だから、今日はダウジングデーです。疲れることをやります」

 首をぐるぐる回す部長に「お疲れ様です」と言って持っていたお菓子を渡し、私は自分の本業である国家信用部の執務室へ向かった。


   ◇


 聖徳太子のような帽子を被り、袖の大きい着物に身を包み、静かな足取りで木製の廊下を進んでいく。

 名前も知らない服装をしている天皇陛下は、国家信用処理の観点から見ると非常に重要な存在だ。

 国旗や国歌、そういった国の象徴として、天皇陛下の存在はとてもわかりやすい。だから年中行事としての儀式を執り行うことは、国家信用処理に直結している。私は国家信用師として、今日の儀式の場に居合わせることを命じられた。国家信用師が同席することで信用処理を効率よく進められることはわかっている。

 警察の警備の中、首都内の神社で厳かに儀式は進む。私はタイトスカートのスーツを着てできるだけ気配を消して立っていた。こういう空気は得意ではない。

 手持無沙汰になって周りを見ていると、意外な知り合いの顔があった。新田ちゃんだ。向こうはこちらに気付いていたようで、驚いた様子もなく小さく手を振ってきた。

 軽く頭を下げた後、自分の方が年上なのだからへりくだり過ぎたか、と疑問が頭をもたげた。今日は神性信用部の後輩ではなく、国家信用部の職員として来ているわけだし。

 新田ちゃんが来た理由はなんとなくわかる。おそらく神性信用部の担当日だろう。

 天皇を神格化していたのは戦時中までの価値観だが、今でも天皇家は特殊な地位にある。この儀式だって宗教行事だ。ある意味、神の世とこの世を繋ぐ儀式の場は、神性信用を強める。じっと目を凝らすと、右肩に信用の神が憑いているのがわかった。

 このところ、神性信用を感じる感覚も徐々に身についてきた。神社内だからなのか、ここの神性信用は非常に強い。国家信用師の目に切り替えても、ここは非常に安定している。さすが天皇のお膝元。

 重要なことは、この神社の外まで信用処理が広がっていってくれることなのだが、それは後で確認する。

 さて、今は儀式を見届けよう、と目線を戻すと、肩を突かれた。驚いて振り向くと、新田ちゃんがすぐ近くに来ていた。足音が聞こえなかった。何この子、怖い。

 新田ちゃんはハンドジェスチャーで私を外に誘った。断ろうかと思ったが、その目が思いのほか真剣だったので、悩み、渋々その場を離れた。

「何? 一応仕事中なんだけど」

 新田ちゃんはずんずんと歩く。私は勝手に持ち場を離れてしまったことが気がかりで話を急かすが、彼女は歩みを止めず、とうとう神社の敷地を出てしまった。

 そして急に振り返る。

「何か妙な気配を感じませんか」

「何かって?」

「神性信用師の感覚を使ってください」

 言われるがまま、感覚を切り替える。

「特に何も感じないけど。強いて言えば、神社の外も信用が強いな、てことくらい。ごめんね。私はまだそんなに感覚が鋭くなくてさ」

 苦笑交じりに言ってみたが、新田ちゃんは遠くに目をやって反応も返さない。少し傷つく。

「絶対、何か変です。神を降ろしているからわかるのかな」

「そうかもね」

 私は早く仕事に戻りたくてそぞろだった。一回サボった程度でこの国の国家信用は揺るがないが、それでも仕事に対するプライドがある。

「私、調べてきます」

「あ、そう。私は国家信用処理に戻るよ」

「ええ」

 短く返事をして、新田ちゃんは小走りに駆け出した。あっという間に見えなくなる。

「なんだあれ」

 私は腑に落ちないながらも本来の仕事に戻った。国家信用処理は順調にできたと思う。


 始まりを告げる火が上がったのはその日の夜だった。

 西笹原市。首都でも知名度が低いその市で、大火事が一晩に三件発生した。

 消火に向かった消防隊、調査に向かった警察官、全員と連絡が途絶。

 後の世で「暴動」と呼ばれる事件が始まったのだ。

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