第3話 国家信用師―革命の歌—(前編)

「古田先輩、お久しぶりです」

 ショートカットを揺らしながら駆け寄ってきたその後輩は、ほんの一か月で発散する空気が変わっていた。

「真白ちゃん、何か、見違えたね」

「そうですか?」

「腕を上げたように見える」

「あらあら。褒めても何も出ませんよ。最近昇級したからかもしれません。ブレイクスルーってやつをぶちかましましたので」

 まんざらでもなさそうな、真白という名字の彼女は、大学の三年後輩で、架空局通貨信用部に配属された。機を見て様子を聞いていたのだが、どうにも伸び悩んでいる様子だったので心配していたのだ。この度昇級試験に合格したというし、自信をつけたのならいいことだ。

「ブレイクスルーね。たしかに、なんていうか、発散している雰囲気が強くなったと思う」

「それって褒めています?」

「もちろん。通貨信用師としてはいい性質だよ」

「気の強い女になったって意味なら、素直に喜べないんですけど」

「えらい邪推だな」

 僕は、信用処理はほどほどの腕だが、他人の信用師としての素質を見抜く目には自信がある。現在は国家信用部で働いているが、いずれ採用担当なんかをやってみたい。

 さて、局内にあるカフェにわざわざ呼び出したのは、報告しておくべき話があるからだった。彼女も暇な身ではない。さっさと済ませてしまおう。

「来月からしばらく、海外赴任が決まった」

「海外? え、ウチって海外赴任があるんですか?」

「僕も初耳だった。中東と中央アジアの境界みたいな場所に、最近国ができた。革命で国の名前が変わったと言った方が正確かな。そこは国家信用処理を進める部署がまだできたてで、現地から支援要請が来た。そして、僕が行って来い、と命じられたわけ。現地で体制とか、人材育成だね」

「言葉、大丈夫ですか?」

「それがね、大学時代に専攻していた言語がそこの公用語なんだよ。一年だけだけど、留学経験もある」

「あちゃあ」

 そう。僕が選ばれた理由はただそれだけだ。通訳が必要ないから。こちとら、忘れていることも多いというのに。やるからには言葉の勉強もし直す必要がある。

「来月から、ですか」

「うん。年単位になると思う」

「寂しくなりますね」

「また戻って来るさ」

 そんな報告と、彼女の昇級試験にまつわる不思議な縁の話を聞いて、僕たちはコーヒー一杯分の時間を共に過ごした。

 また戻ってくる。本当に、そうなればいいと祈りながら自分の執務室に戻っていく。

 革命。

 日本にいればそれは縁遠い言葉だが、要するに国家転覆したということを示している。一度転んだ国は再び転ぶリスクが高い。前政権の支持者たちは再革命を狙っているだろうし、現政権の防衛力はそれほど整っていない。行くだけでもリスクがあるのに、そこに数年間滞在するのだ。危険が無いとは、とても言えない。

 それでも仕事だ。行かねばならない。それに、そんな場所にこそ国家信用師が必要なのだから。


   ◇


 ラゲッジクレームで荷物をピックアップし、日本ならば地方レベルの小さな空港のロビーに出ると、すぐに短い黒髪で、眼鏡をかけた男が歩み寄ってきた。日本人はさぞかし目立ったことだろう。

「アジュール架空物信用局、局長のパドレです」

 スラックスにノーネクタイの半袖ワイシャツ。そのレベルがこの国のビジネスカジュアルということか。

「日本の架空物信用局国家信用部から来ました、古田鋼です。コーとでも呼んでください」

 握手を交わし、僕は新興国、アジュールの首都に降り立った。当然ながら、日本とは全く気候が違う。日本の息苦しさすら覚えるような湿度とは反対に、乾燥と砂っぽさを感じた。呼吸器が心配になる。

 パドレが運転する車で宿舎に向かい、軽く周辺の案内をされてから、明日の九時に登庁するよう言われて解放された。パドレは壮年で落ち着いており、軽く話しただけでも信用処理について一般的な知識があることを感じさせた。だが、僕には彼の弱点もまた、よくわかってしまった。

 街をぶらつけば、日本にもある大手コンビニ、地元の食堂、呉服店、マンション、銀行。そして急に現れる高層ビルなど、これから成長することを窺わせるアンバランスさが満ちている。一通り必要になりそうな店は見つけられたので、生活に困りはしなさそうだった。ひとまず、目についたコンビニで水と食料、トイレットペーパーなどの必需品を買い込んだ。電気や水道といったインフラの不便は、これから感じていくのだろう。

 実際に歩いてみたときも、三階にあてがわれた部屋から見下ろす景色にも、革命の痕跡はない。武力衝突があったはずだし、少なからず人が死んだと聞いている。真白でも連れてきてお金の来歴を調べさせたら、凄惨なものが見えるかもしれない。僕も道や建物といったものの記憶や痕跡を辿ることができないわけではないが、あまり得意ではない。

 学生時代に来たときは、今回ほどいい部屋ではなかったし、革命前の国名だった。見た目には同じ国に見えるが、国家信用師の目で見れば、当時よりも国家意識がかなり希薄で不安定になっていることがわかる。

 建物に、土地に、インフラに、人々の心に、新しい国家、「アジュール」が馴染んでいない。なんなら、前の国家に引っ張られている気すらする。日本という遠い国に援助を求めてきたのも頷ける。この国は、見た目以上に危うい。

 六年前、日本では原因不明の大規模暴動が発生した。死者一万人ともいわれる大事件が首都で起きたものだから、当然僕たち国家信用部も陰で動いていた。その暴動によって国家が崩れないよう、立ち回り、調査していたのだ。当時ペーペーの新人だった僕は駆り出されたものの、右も左もわからずうろうろした。

 色々なものを見たし、聞いたし、経験した。それは僕の中に消えようのない傷となって残っている。おそらく、死ぬ時まで忘れられないものになるだろう。それを財産だと言う人もいるかもしれないが、僕にとっては肉を削り取られたような感覚だ。決して、僕を強くした経験ではない。

 喪ってしまったものも、ある。

 散々な目に遭って、結局、原因ははっきりわからなかった。国家信用部の人数は今ほど多くなかったし、詳細な調査も早々に打ち切られた。ただ、何らかの原因で局所的に架空物への信用が失われたスポットが発生したのだと、僕たち国家信用部は推測している。

 当時、暴動の中心地からネットに上げられた、紙幣を引き裂く動画が目に焼き付いて離れない。あれはまさに、通貨への信用を失った者の行動だった。通貨を信用しなくなれば、紙幣はただの紙切れと化す。国家を信用しなくなれば、連鎖的に法律を遵守しなくなる。法だって架空物なのだから。

 警察という組織も同様だ。警察官は実物でも、警察という括り、警察官という職業は架空物だ。だから、スポット内の治安維持は機能しなかった。

 ここ、アジュールで同じことは起こさせない。国家を信用させ、治安を維持し、平穏な生活を送らせることが僕の使命だ。

 短いながらも僕の青春を彩った国は、もう、ないけれど。


   ◇


 パドレに言われた時刻に登庁すると、庁舎の玄関にパドレが立っていた。

 そのまま中を案内されながら連れて来られた部屋は、十人程度が収まれるような部屋だった。局長の部屋にしては雑多というか、広すぎて物が多い。

「皆さん、これくらいの時間に出勤されるのですか」

「そうだね。だいたいは。もうすぐ来るんじゃないかな。とりあえず座っていてくれ」

 そう言って上着をハンガーに掛け、パドレはパソコンを起動した。

 何を聞いたものかわからず、黙って待つことにした。必要なことは説明されるだろう。

 パドレの言葉通り、直後に二人、男女一人ずつが続けて部屋へ入ってきた。それを見てパドレは立ち上がる。

「さて、コー。まずは我が国の架空物信用局のメンバーを紹介しよう。まず、私が局長のパドレ。彼が副局長のドミー。最後に彼女が一般職員のミラ」

 パドレはこれといって特徴のない中肉中背の男だったが、ドミーと呼ばれた男は、背が高く腹が出て、動きにくそうな体をしていた。目元は温和で、小さな目が優しそうな印象を醸し出している。

 ミラと呼ばれた女性は、僕よりずっと年下に見える。外国人の年齢はよくわからないが、少なくとも二十代後半よりは下だろう。

「この三人が架空物信用局のメンバーだ」

 パドレは後頭部を掻きながら、申し訳なさそうに言う。

 僕は耳を疑った。

「失礼。この三人で全員、ですか」

「ああ。隠し立てすることでもないから正直に言うが、少ないだろう」

「ええと、そうですね。日本では少なくとも三十人はいます」

 え、とミラが声を上げた。ちらりと見て、頷く。自分たちの立ち位置を知っておくことは重要だ。

「遅れました。僕は古田鋼です。日本から来ました。昨日街を見て回りましたが、まだまだこの国家の信用は定着していません。教わることも多いと思いますが、私からお教えできることもたくさんあると思います。よろしくお願いします」


 僕がまず見せたのは、日本から持ってきた紙幣だった。十年前に発行された千円札である。

「これは十年間、日本で使われた紙幣です。この国の紙幣と比べてみましょう」

 昨日、コンビニで手に入れた紙幣と並べて見せる。こっちは発行されて十一年。だいたい同じだ。

「日本の紙幣はずいぶん綺麗だな」

「大事にしまわれていたのでしょうか」

 ドミーとミラが感想を述べる。パドレはある程度察しているのか、黙っている。

「日本の紙幣として、これは特別丁寧に扱われていたわけではありません。和紙という伝統的で頑丈な紙が使われているという理由もありますが、何よりも違うのが、通貨信用処理です。日本では、通貨信用部が十数名います。流通する紙幣、硬貨、全てに信用処理をするのです」

 今度はパドレも含めて驚きの表情を浮かべた。ミラが言う。

「全てですか? 本当に?」

「本当に。全てです。僕も一度は疑いましたが、彼らは工夫を凝らして本当に全ての通貨に信用処理を施していました。もちろん、この国ですぐに同じことができるとは思っていません。ただ知っておいてもらいたいのは、信用処理の有無によってこれだけの差が生まれる、ということです」

 三人の視線は改めてテーブルに並べられた二枚の紙幣に注がれる。アジュールの紙幣はボロボロで、日本基準であればすぐに銀行で交換すべきほどだ。

「お金ならば、乱暴に扱われる程度で済むでしょう。しかし国家の信用が失われた場合、革命や、外部の圧力に屈する国家が生まれます。そこまでいかずとも、治安が悪化することはよく知られています」

 革命、という言葉を口にした瞬間、パドレとドミーの眉がピクリと動いた。ミラの表情も露骨に暗くなる。この国は、まだ傷が癒えていない。

 国家信用処理が甘く、国家の存在を認められなくなると、国民のアイデンティティが揺らぎ始める。そして、安定したアイデンティティを求め、リーダーや、ときには新しい国を求める。独裁者が信じられるのは、わかりやすく国家のシンボルを定義してくれるからだ。

「まずは、国民にアジュールという国があり、彼らがその国民であることを信用してもらいましょう。できることはたくさんあります」

 僕は頭の中で、この人数をどう動かすか考えていた。そして同時に、ミラについて観察していた。

 彼女をどう使うか、僕の役割は、端的に言ってそれに尽きることになるだろう。


   ◇


 まず取り掛かったことは、政府庁舎に国旗を掲揚することだった。雨天時以外は国旗を掲げる。幸いというべきか、この国は晴天率が高いらしく、ほとんどの日で掲げていられそうだった。

 そもそも、常時屋外に掲揚するための国旗が無かったので、その発注から始まった。ドミーが電話を掛けまくって手配してくれた。気が回る大男。

「どうして国旗を?」

 出来上がった国旗をミラと一緒に庁舎に掲げていた。力がある男性がやるべき、などと言えるほど人材に余裕は無い。申し訳ないが力仕事もやってもらう。そして、この国旗はできるだけミラが扱う方がいい。

「重要なことはシンボルだ。国家自体は非実在のものだから、人の信用を集めるシンボルが必要なんだ。国旗や国歌といった国の象徴になるものを国民の目に触れされることは、国家信用処理の基本なんだよ」

 王や天皇といった、国家の象徴として人が配されるケースもある。あれはいい。旗よりも人の心を向けやすい。独裁者も、国家信用処理の観点から見れば効率的だ。

「戦場で、征服した土地に自国の旗を立てるのは象徴的な意味合いだけじゃない。その土地や、住んでいる住民の意識に、ここの所属は変わったのだと教える、一種の国家信用処理なんだ。元の国家の信用を揺るがして、自国に信用を引き込むんだよ」

「そうだったんですか。国旗って大切なんですね。知りませんでした」

「知らない方が当たり前というか、あまり公に知られない方がいいんだ。いつの間にか、国民の間に浸透しているのが一番いい。とにかく、公式なイベントには国旗がつきもの、まずはそう刷り込むことで、ここがアジュールなんだって国民に信じてもらう」

 今、パドレとドミーは全国の学校や地方自治体に、行事のたびに国旗を掲揚するよう指示を出している。また、国営放送には国旗を表示してもらい、大統領の会見時には国旗を背後に立ててもらうよう交渉中だ。

「日本ではそうなのですか」

「まあ、だいたいね。国旗掲揚は運動会でもやるよ」

「運動会?」

「学校でやる、スポーツフェスティバルみたいなものかな。短距離走とか、障害物競走とか。学校を二チームに分けてポイントを競うんだ」

「へえ、楽しそうですね」

「僕は運動が苦手だから、そんなに楽しい思い出じゃなかったけどね。日本の教育はどちらかというと軍隊式だったし」

「軍隊式?」

「大勢が規律に従って行動するための練習って側面が強かったんだよ。僕は嫌いだったね」

 そう言うと、ミラが黙ってしまった。嫌い、という強い言葉が良くなかったかもしれない。言葉のニュアンスは、さすがにネイティブほどはわからない。留学していた土地とは、文化圏が違う可能性もある。

 嫌い、ではなく、好きじゃない、と言うべきだったか。

「通貨信用処理を全て行っているというのは驚きでした」

 ミラが話を変えた。僕たちは庁舎に国旗を掲揚しながら話を続ける。

「この国も必要、ですよね」

「必要だね。今は前の国の信用を引き継いでいるから、紙幣が多少雑に扱われている程度で済んでいるけど、このまま放置していたら、新しく印刷される紙幣がどんどん手荒に扱われるし、そもそも使われないかもしれない。下手したら、為替にも影響が出たり、デフレの原因にもなったりする」

「でも、どうしたらいいのでしょう」

 僕たちはえっちらおっちら国旗の掲揚を終えた。しばらくは、僕とミラがこの作業をやっていくことになっている。

「今すぐはどうしようもないな。そこは割り切ろう。まずは国家信用に専念すべきだ。国家がないと通貨も意味がないからね。そして、通貨信用処理については、ミラ、君に頑張ってもらう必要がある」

「私に?」

 この国の架空物信用局には、人手の面で致命的な弱点がある。パドレと会ったときから感じていたことだ。

「早速だけど、日本に電話を掛けよう」

 

「こっち、もう夜の十一時なんですけど」

「ごめんって」

 不機嫌そうな真白の声に、平謝りで頼み込む。

「お願いします」

 ミラも現地の言葉で頼む。

 意味はわからなくても意図は通じたのか、真白が画面越しに大欠伸をして目を擦りながら話し出した。

「通貨信用処理は、文字通り成型された通貨に信用を付与することです。一番手っ取り早くて簡単なのは、複数人でおままごとすることですね。できるだけ実際の金額に合わせたおままごと。それで結構信用処理は進みますから。あとは個人の素質の問題になるんですけど、古田先輩、その子には素質があるんですか?」

 ミラはなんと十九歳だった。真白から見ても「その子」と呼ばれる歳だ。

「ある。というか、僕とこの子しかない。残りの二人は通貨信用処理の素質がない」

「四人だけ?」

「そう。全員で四人だ」

 真白の眉が歪んだ。

「思ったより大変な現場ですね」

 ことの重大さを理解したのか、真白が居住まいを正し、ミラに語りかける。僕は同時通訳に回る。

「まずは、硬貨でも紙幣でも、何年くらい使われたものか、どんな人が使ってきたのか、その来歴を読み取るの」

「読み取るって、どうやって?」

「触ったり、眺めたりして。一年くらいするとわかるようになるよ。素質によってはもっと早い」

 ミラは呆気に取られていたが、僕にはわかる。僕も同じくらいの期間をかけて国家信用度を測れるようになった。こればかりは、感覚を磨いて、ある日突然コツを掴む類の技術だ。言葉だけで説明できはしない。

「そんなにかかるのですね」

「まあね。できる人がいないのなら、二人でなんとかするしかないよ。古田先輩はそれを何とかするために行ったんだから、ちゃんと頼ってさ。先輩、国家信用の方は順調なんですか?」

 話が僕に振られた。

「今は国旗掲揚をあちこちに打診しているところ。その次は国歌斉唱だね」

「うわあ、学校でやったなあ」

 日本では当たり前になっている行為が、実は国家信用処理の一環だったりする。国際試合で国家を斉唱するのも同様の理由だ。国の代表が戦う試合は国家を意識しやすい。そうした場で歌わせると、歌う人間に信用師の素質がなくても効率的に信用処理が進む。

「アメリカや中国みたいな、ある程度歴史がある国ならそこまでがっつりやる必要はないんだけど、生まれたばかりの新興国で国家信用処理を行おうとすると、どうしても泥臭くなってしまうね」

「まあ、仕方ないですよね。国家が再転覆する危険はないんですか」

「残念ながらあるよ。僕の今の上司にあたる人が言うには、武装勢力の動きは活発らしい。でも、実を言うと、国家信用処理的には悪くない」

「へえ。それはまたどうして」

「アジュールっていう国に対する不満を持っているということは、ある意味アジュールという国の存在を認め、前提としているってことだからだ。国家が存在することを信用しないとテロは行えない。それがないと、ただの破壊行為だ」

 もちろん、テロ行為はやめてほしいが、アウトローを使って国家信用度を上げる方法は世界各地で見られる。メジャーな方法としては、軍や警察の力を国民に見せつけることで、国家の規律を印象付ける、といった具合に。

「先輩、思ったより危ない場所にいるんですね」

「そうなんだよ」

「ところで、どうして私なんですか。篠崎部長の方がよっぽど熟練ですよ。三輪さんだって昔同じ部で働いていましたよね」

「通貨信用部でこんな深夜に電話できる相手なんてお前くらいのものだろ」

 舌打ちとともにガチャ切りされた。

 ミラは不安そうにこっちを見ていたが、僕は肩を竦めて笑ってみせる。アジュールの現状を知ってしまった以上、協力しないことはできないと思う。

 不満げな様子を見せていても、なんだかんだ真白は情に篤い。でないと頼らない。


 その日から、ミラの通貨信用師訓練も並行して行うことになった。僕も、通貨信用処理は専門ではないが訓練に参加する。時折、真白に指導を仰いで、ミラと二人で少しずつ上達していった。

 国家信用処理は、パドレとドミーがアイデアを出しながら進めている。聞けば、革命前からこの二人は架空物信用局で仕事をしていたらしい。上が変わっても、下がやることは変わらないというわけだ。

 国家、通貨、その他にも様々な信用処理が必要なのだが、何よりも、素質ある人手が足りない。というわけで、採用活動を開始する。

「だがな、コー。信用処理を施せる人間を見分けることが、我々にはできない」

 パドレが言い、ドミーが寡黙に俯く。

「僕は見分けられます。というか、それが一番得意なんですよ」

 今回のアサインだって、言葉が通じるという理由よりもむしろ、素質を見極める能力を買って欲しかった。

 パドレが信用処理を行えないことは一目でわかった。ドミーも同様。そしてミラには国家信用師、通貨信用師、そして国土信用師の才能があることがこの一か月でわかった。僕とミラで国旗を掲揚していたのは、ミラが無意識に行う国家信用処理を僕の処理に上乗せするためだ。

「僕がいるうちは面接官をしますし、それに、スタンダードな試験方法があります。例えば通貨信用師であれば、古いお金と新しいお金を見分けさせて正解したら素質ありだとか、国土信用師であれば、州境を跨いだ瞬間を感じ取れるか、とかね」

 信用処理に必要なものは、何をおいても鋭敏な感覚だ。感覚だけあって信用処理は苦手という人はいるが、その逆はない。

 パドレには、信用処理一般の知識はあっても、信用師としての技術が全くと言っていいほど欠けている。ドミーは、こちらが指示すれば気を回して動いてくれるが、信用処理に関しては基本的に黙っていて、自分の意見を出さない。

「コー、募集要項は俺が作るよ」

「頼むよ、ドミー」

 こんな風に、やる気がないわけではないのだが、やや消極的だ。信用師の素質が無いから、動きたくても動けない、と言った方が正しいだろう。

 その一方で、ミラはメキメキと実力を伸ばし始めている。名実ともにアジュール架空物信用局のエースにならなければならない彼女を育てるのは、僕の最重要業務といえる。真白の指導もあって、わずか三か月で通貨信用カテゴリーが見分けられるようになった。真白が言うには、自分の三倍成長が早いとのことだった。頼もしい限り。

 国家信用度を測るには街を見て回るのが一番いい。僕とミラは暇を見つけては町を歩き、国家信用師としての指導を行った。

「国家信用度は、通貨ほどはっきりしていない。紙幣一枚一枚をカテゴリー分けするというよりも、街、人、物、群体に対して判断を下すことになる」

 僕たちは昼飯がてら、サンドウィッチ風の食べ物を公園で食べながら街を眺める。トルティーヤやケバブのような、一枚の小麦のシートに食材を挟む系統の料理だ。

 僕の語彙も成長したが、固有名詞はまだまだ苦手。特に料理の名前が覚えられない。

「一か月前よりも安定している気がします。こっちも」

 ミラは地面を踏んだ。僕は頷く。

 国旗を掲揚してから、首都の、特に庁舎付近の国家信用度は改善されつつある。同時に、国土信用度も上がっている。ここはアジュールの首都であると、土地が受け入れ始めているのだ。本格的な国土信用処理は行っていないが、それでも良い影響は感じられる。

「思った通り、ミラは素質の塊だな。いい信用師になれるよ」

 僕の言葉に、ミラは顔を赤くしながら笑った。照れながら笑うその表情に、唐突に胸が痛んだ。

「コーさん、どうしたんですか」

 手を突き出して首を振る。

「なんでもないよ」

 ミラの鋭敏な感覚は、僕の異常も察してしまった。不覚。

 ミラを、今は亡きあの人と重ねてはならない。二人は違う。顔も、国籍も、仕事も仕草も、何もかも。

 ただ、笑顔に隠した責任感だけはよく似ていて、僕は目を擦って出て来かけた涙を止めた。日本を離れて、実は心細いのかもしれなかった。


   ◇


 採用活動は難航していた。架空物信用局の存在は秘するのが定石であるため、他の官庁と併せて採用活動をすることになる。そして、はっきり言って架空物信用局の立場は弱かった。応募してきた人材を次々取られ、そもそもごく僅かな人間しか面接できない。

「せめてもう少し先に面接させてもらえないかな」

 ミラとドミーが不在の執務室で、パドレに思わず愚痴ってしまった。

「済まないな」

「いや、パドレを責めているわけじゃないんだ」

「だが、気持ちはわかる」

 信用師の素質を持っている人間は約2%といわれている。単純に考えて、百人程度は面接しないと、素質がある人材を掘り当てられない。採用活動を開始して一か月、まだ十人ちょっとしか面接できていないのが実情だった。

 素質があっても人間性に問題があってはならないし、最低限の教養も必要だ。日本でも採用活動は楽ではない。いわんやアジュールをや。

「ミラにはまだまだ、苦労をかけるな」

 パドレがポツリと零す。薄くなりかけた頭を垂れて、首を振った。

 僕はいい機会だと思い、パドレの傍の、誰の席でもないスツールに座る。パドレは怪訝な表情で僕を見た。僕はどんな顔で聞いたものか少し考えたが、わからないのだから普段通りにしようと決めた。

「パドレ、どうしてあなたが局長をやっているんだ。ドミーだってそうだ。信用師の素質はない。ミラがいなければ完全に機能不全に陥っていた。革命前からこんな体制だったのか」

 ならば革命を起こされたこともわかるけれど、と思ったが、パドレは否定した。

「国の名前が変わる前は違ったよ。私は旧体制時代、架空物信用局の総務部長だった」

「総務? 道理で信用師としての技術がないわけだ」

 技師ではなく事務屋だったのか。

「私以上の立場の人間たちは、革命派によって殺されたんだよ」

「なんだと」

 パドレは椅子に深く座り、目頭を揉んだ。

 大きく息を吐き、何度も口を開くことをためらった。だが、僕の姿を見、姿勢を正し、逡巡してから喋り始めた。

「日本は世界的に見ても最も長く国家と国土を維持している国の一つと聞いている。こういうのは経験がないだろうな。革命とは、そういうものなんだよ。議員を皆殺しか投獄。官僚たちも上の者ほど殺される。

 私たちは政治を動かす職業ではなく、国の現状を守るのが仕事だ。信用師を何人殺したって革命には何の影響もないし、革命後の国が良くなるわけじゃない。そう主張はしてみたが、革命派にとっては関係無かった。破るべき体制の構成員だそうだ。まあ、公務員だからな、間違いではない」

 パドレはスラックスの裾を上げた。膝まで上げると、両膝下を横切るように傷痕があった。

「それは?」

「拷問の痕だよ」

 日本語に変換される一瞬の間をおいて、ぞわりと背中が総毛だった。

「錆びた金属棒で皮を擦り取られたんだ。私とドミーは一度投獄されている。当時、私たちは総務部長と部長補佐だった。私たちより上の立場の者たちは殺され、下の立場の者たちはなんとか逃げ果せた。私たち二人が囮になったことで、総務部の死者は最小限に抑えられたと思っている」

「他の部は?」

「大勢死んだ。私にはわからないが、優秀な信用師がたくさんいたことだろう。彼らの技術が失われてしまったことは残念でならない。革命派に存在を知られていなかったからな。どれだけ価値がある、国家にとってかえがえのない人材なのか、革命派にはわからなかったのさ。

 しばらく獄中で過ごした後、解放された私とドミーは、半ば強制的に架空物信用局を立ち上げさせられた。私もドミーも正直に話したから、架空物信用局の必要性がわかってもらえたのだと思う。国家が安定しないことにも気づいたのかもしれない。連絡先がわかる限りの信用師たちに電話を掛け、架空物信用局のメンバーを集めようとした結果、採用通知だけ出して、まだ正式に所属していなかったミラだけが掴まった。そうして今の三人が集まったのさ。他の者は、きっともう……」

 僕は何を言えばいいのかわからなかった。慰めを求められているわけではない。拷問された痛みを分かち合うことなんてできない。パドレの気持ちが察せられるなどとは口が裂けても言えない。言える言葉は一つだけしかなかった。

「知っている人が死ぬのは、辛いな」

 パドレの涙ぐんだ目と合った。

「そうだな」

 一時、男の嗚咽が部屋に流れた。

「辛い」

「済まない。話したくないことを話させてしまった」

 パドレは首を振る。

「コーには、いずれは話さなければならなかったことだ。私はすぐにでも局長の座なんて、ふさわしい人物に譲りたい気持ちなんだがね。君がやらないか」

「勘弁してくれよ。僕はいずれ日本に帰る身なんだ」

「こっちで結婚したらいい。君ほど優秀な人間なら、国籍も簡単に取得できるはずだ。便宜を図ってもいいぞ」

 パドレの顔が綻んだ。どこまで本気なのかわからないが、笑顔が戻ったことに安堵する。

 心ではまだ泣いているのかもしれない。それでも、笑顔の仮面が作れるのであれば、僕たち大人には十分だった。

 ミラの、まだ幼ささえ残る屈託のない笑顔が頭によぎった。パドレもドミーも思っている。ミラに、次の世代に、同じ思いはさせないと。

「僕は日本にまだ用があるんでね。採用活動、頑張ろう」


   ◇


 六年前の暴動で死んだ仲間がいた。新田恵。二年先輩の国土信用師兼、神性信用師で、僕の恋人だった。

 あの日、僕たち国家信用部は通常通りの勤務を行っていた。当時国家信用部にいた三輪はその日、天皇、皇后陛下の行事を現地でモニターしていた。

 日本において、天皇の存在は国家信用度を上げるための重要なファクターだ。街頭に出れば珍しがって国民が見に来る。その行為一つ一つによって、日本という国家の存在に信用が与えられる。

 国民の目がないときでも、天皇は年中儀式を行っている。その儀式そのものも、僕たちから見れば国家信用処理の一環だ。

 神武天皇の時代から、日本が蓄積してきた天皇の系譜。それは国民にも浸透し、親から子へと語り継がれていく。日本が先の大戦で負けた後、GHQが天皇制を残したのは、その国家信用処理が非常に洗練されていたためでもあった。

 三輪は国家信用師として、その日の天皇陛下の儀式を現地で見守っていた。国家信用師がその場に同席することで信用処理がより効率的に進む。よくある仕事の一つだ。

 そこに、恵もいたことまではわかっている。

 神性信用部の業務は特殊らしく、恋人だった僕にも詳細を話してくれたことはない。ただ、国家信用師とよく同じ現場になることは知っている。だから、その日も通常業務だったのだろう。

 異常があったのはそのときだ。恵は三輪に、何かの異変を感じた旨を言い残し、持ち場を離れて調査に向かった。後から思えば、暴動の兆候を感じ取っていたのだと思う。そしてそのまま、暴動に巻き込まれた。

 恵が調査に向かった約二時間後、僕の端末にメッセージが届いた。

『ここには国家が無いみたい』

 それが、恵が僕に残した最後のメッセージになった。

 暴動発生後、僕たちは調査と同時に、恵の捜索も行った。そして、部長から暴動に踏み込まないように指示が出たことで足を止めさせられ、恵の行方はわからないまま調査は切り上げられた。

 泣いて叫んで、暴動が収まった跡地を探し回ったが、何の手がかりも残されていなかった。暴動跡地は死体だらけの巨大廃墟群となって、暴動の内部のことを知っている者はいなかった。ただでさえ、巻き込まれたほぼ全員が死亡か廃人化した事件だ。行方不明になった一人を探し出すのは不可能に近い。

 あれから六年経つ。七年経てば、法的には死亡した扱いができるようになるし、恵の家族もそうするつもりだと聞いた。僕も今さら、彼女が生きていると思ってはいない。

 だが、それでも、なぜ彼女が死んだのか、明らかになってほしかった。

 謎だらけの事件だが、今も調査している部署があると噂に聞いた。調査結果が出るときアジュールにいては、情報は漏れ出てこないだろう。僕は日本に戻り、その調査結果を知りたい。だから、この出向が終われば帰国する。

 そう、決めている。


   ◇


 フランシスの姿を見たのは偶然だった。そのとき、僕とミラは首都の外、アジュール第二の都市に出張していた。僕たち国家信用師は、歩くだけで調査ができる。日本でもしょっちゅう出張して、国家信用度をチェックして回った。特に離島や国境近くは、気を抜くと国家信用度が薄れたり、隣国の意識が入って来たりして危険な状態になる。

 北海道の東端、北方領土に近づいたときは、二国が奇妙に混ざった国家意識に気分が悪くなった。あの場所では、日本の国家信用の層の上に、ロシアの国家信用の層が乗っている。それ自体は歴史的によくあることなのだが、下にある日本の意識は強く、上にあるロシアの意識は弱かった。

 ロシアにとって、樺太や択捉島といった極東は田舎の極みである。人口も少なく、不便を強いられ、労働力も産業も乏しい。

 国家信用処理も、ほとんど施されていないことがうかがえた。

 一方で、日本の国家信用処理は生きていて、今もなお、日本であると強く想い続けている人々の存在が感じられた。

 おそらく、あと数十年もすればそうした人々は死に絶え、日本の国家信用処理は効かなくなる。実効支配されているうちに、あの場所が日本だと信じる人がいなくなるのだ。その後はロシアの希薄な信用処理が時間をかけて北方領土の島々をロシアと信じさせていくのだろう。戦争と征服ではよくあることだと教わった。

 アジュールもまた、人々の想いはまだ前の国に向いていて、その層の上に我々が新しい国の信用を置いている。

 広場に面した店のテラス席で昼食を摂りながら、ミラと二人で街と、道行く人々を眺めた。

「どう思う?」

 ミラは真剣な様子で、でも焦点を目の前の物に合わせないように、広場を見ていた。

 あまり一つのものに注目しても国家信用度はわからない。僕が教えたことの一つだ。

「首都よりも、ずっと薄いです。ここはまだ前の国です」

 正解ですか、と言いたげな目で僕を窺ってくる。時折妙に子供っぽいところがあった恵の面影が重なり、心臓が小さく跳ねた。

 そんなことはおくびにも出さないけれど。

「その通りだ。これから何度も何度も訪れて、この場所にアジュールを信じてもらうんだよ」

 それは厳密には国土信用師の仕事であるが、相互に影響しあう部分でもある。国土信用師は土地に根付く記憶と対話しながら歩き、アジュールという国に所属する土地であることを覚えてもらう。

 国土信用師がいない今、僕たちがやるしかない。しかし参ったことに、僕に国土信用師の素質はほとんどない。ミラがやるしかないのだが、まだそれを覚えさせるのは無理だ。国家と通貨でいっぱいいっぱいなのは見てわかる。

 ミラが掲揚する国旗は日を追うごとに信用を増している。ここで国土信用師の技術まで押し込んで無理をさせたくない。ミラの性格であれば、やると言うだろうから、僕は簡単に提案できない。まずは国家と通貨信用処理を身につけてもらう。そして、採用活動だ。

「あれ。あれあれあれ。コーさん、あの人」

 そのとき急に、ミラがはしゃいだ声を上げて人の群れを指さした。

「あの人、フランシスさんじゃないですか」

「誰?」

「今度の建国記念祭で国歌を歌う人です」

 そう言われて思い出した。一か月後、アジュールは建国一年を迎える。その式典の中で、歌手による国歌の独唱が行われることになっている。この国の名前らしくない響きだと思ったが、歌手としての芸名か。

 段々と現地人の顔を見分けられるようになってはきたが、そもそも知らないので見つけられない。

「ミラ、ちょっと話し掛けてきてよ」

「え、いいんですか、仕事中に」

 そう言いながらも既に立ち上がっている。

「これも仕事だよ。後で説明するから」

 ミラは意味が分かっていなかったが、ミーハー魂の方が勝ったのか、残りの食事をかき込み、すぐに駆け出した。動きが若い。

 革命からもうすぐ一年経つが、著名人の多くはその際の悪化した治安を避けて海外へ逃げたと聞く。だんだんと戻って来てはいるようだが、俳優や歌手は人材不足だ。

 人込みを避けながら後を追うと、ミラは広場の中で、大柄な女性と話をしていた。あれがフランシスらしい。いい声が出そうな体格をしている。歌うことは体を楽器として使う行為なわけだから、大柄な方が有利だろう。頼もしい限りだ。

 僕は二人の会話がギリギリ聞こえる距離に立つ。会話の内容まではわからなくてもいい。ミラが口ずさむように歌い、フランシスが笑い、何かを言った。知らなかったが、ミラはフランシスのファンなのかもしれない。

 数分間話させて、僕はミラの肩をつついた。

「あ、上司が来ちゃいました。すいません、お引止めして」

 ミラは笑顔で別れを告げ、フランシスは黙って手を振った。広場中からチラチラと目線を感じる。気づいていた人は他にもいるようだった。

 有名人なんだな。

 僕は満足し、ミラを引っ張って広場を離れる。人だかりができても面倒だ。

「コーさん、ありがとうございます。一生の思い出です」

 よく見るとミラが涙目になっていた。胸に手を当て、うっとりと中空に視線が浮かんでいる。

「そんなに好きなら、言ってくれればよかったのに。ちょっと話をするくらい、咎めないって」

「あれ? じゃあ、どうして私に話させたんですか。知っていて言ってくれたんじゃ?」

「いや、そういうわけじゃない。ミラが話をしたそうだったから」

「それは当たっていますけど。すごくありがたかったですけど」

「ファンなの?」

「ファンというか、ええ、そうですね。憧れというか、天使というか、神がかった存在というか」

 神がかったときましたか。

「フランシスは革命の最中でも国を離れなかったことで有名なんです。インターネット上で情報を発信したり、小さいけれどライブを開いたりして私たちを安心させてくれたんです」

「へえ」

 僕は歩きながら顎に手を当て、考える。そんな彼女が建国記念祭で歌うのか。

「いい加減教えてくださいよ。フランシスがどうしたんですか」

 焦れたミラが語気を強めた。少々引っ張り過ぎたか。

「ごめん、ごめん。あの手の、自分を魅せる職業には、信用師としての素質がある人が多い傾向があるんだ。彼女、フランシスには国家信用師としての素質がある」

「本当ですか」

「本当。僕はそういうのを見抜くのが得意なんだ。喋っている声を聞けばだいたいわかるよ」

 彼女は、聞く者に自分を信用させる、いわば「フランシス」という偶像を信じさせる才能がある。それは通貨信用処理や国家信用処理と本質的には同じことだ。

「彼女が国歌を歌えば、それは強力な国家信用処理になる。誰が指名したのか知らないが、その人のお手柄だな」

「さすがフランシスですね。一緒に仕事ができるなんて光栄です」

「向こうはそんなつもりないだろうけどね」

 意地悪く言うと、ミラが小さく睨んできた。笑って返すとミラも笑った。

 架空物信用局が秘される部署である以上、僕たちの仕事をフランシスが知ることはない。ただの国歌に僕たちがそれほどの意味を見出していることだって、知る由もない。それでいいし、そうしなければならない。

 だがたしかに、僕らとフランシスは同じ仕事をする。誰も知らぬ間に、アジュールという国家を安定させるために貢献する。ミラの言う通り、一緒に仕事をする。

 本当は国家信用処理が手薄な各地の都市を巡回したいところだけれど、記念すべき第一回建国記念祭だ。まずは首都で開催するしかない。「首都」という架空物に信用を付与するには、それもまた必然だ。

「たくさんの人が見て、聞いてくれればいいな」

「そうですね」

 ふと足を止めて振り返ると、フランシスの姿はもう見えなかった。

「どうしたんですか」

「いや……行こう」

 言いようのない胸騒ぎを広場から感じ、僕は足早にその場を去った。


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