第7話 苦手。
一睡もしないまま朝になった。
目がしょぼしょぼしているが、店は開けなくてはならない。
優は栄養ドリンクを朝食代わりにして摂取すると、着替えて店に降りた。
シャッターを開けると太陽の光が燦燦と入り込んでくる。
今日もいい天気だ。
どうせ客はこんな朝早くからは来ない。
なので、優はいつも通り箒とちりとりを持って店先に出た。
周囲を箒で掃き清めていると。
「精が出るわねー! おっはー、花蓮ちゃんだよーん!」
「またあなたですか……」
帰れ、と怒鳴りたいがその元気もない。
花蓮の存在を無視して黙々と箒を動かす。
「ん? なーんか元気ないなー。徹夜でもした?」
花蓮がじっと優を注視する。
オールバックの頭髪は乱れなく、店舗に出るためのシックな制服もきちんとアイロンがかけられており、靴もぴかぴかだ。
だが、もともと白い顔がいつもより白い。
蝋人形のようだ。
「あなたには関係ないでしょう」
優はゴミ箱にちりとりに集めたゴミを入れ、店内に戻る。
その後ろに花蓮もついてきた。
「図星って感じ? ちゃんと寝ないと駄目じゃん! しょうがないなぁ。花蓮ちゃんが店番するから寝ときな」
ウィンクしてバンッと自分の胸を叩いた花蓮に。
「再会したばかりのあなたに店を任せられるものですか。あなた、自分がそんなに信頼されてると思います?」
優はわかりやすいほどはっきりとした「嘲笑」を答えとして返した。
「んっもー!」
花蓮はふざけた様子で「ぷんぷん」なんて頬を膨らましているが、その瞳は心底優を心配しているとわかる色を宿している。
優はどこかくすぐったいような感覚がして、それを振り払うように強く「帰れ」と口にした。
「お客様でもないあなたにいられると迷惑なんですよ」
「客でしょう。婚約指輪頼んだじゃない」
花蓮は腰に両手を当て、エッヘンと胸を張る。
「もう注文は受け付けました。昨日イメージも掴みました。これ以上あなたに時間を割く意味はありません」
優は手でしっしと犬を追い払うような仕草をするが、花蓮が出ていく様子はない。
「イメージ掴んだんだ? 昨日のあの時間だけで? さっすが優秀~! でもそのせいで掴んだイメージが逃げないうちにデザイン固めたくて徹夜しちゃったんだ? ワーカーホリックかよ~」
ちゃかすような口調だが、しょうがないなぁと言いたげに表情はあたたかい。
花蓮のこういう情を感じさせる瞳や表情が優は苦手だ。
温度を感じる。
温度がある。
冷たくない。
それは取りも直さず『偽物』であるという証明なのに、優はその偽物に溺れてしまいそうになる。
それが怖かった。
怖いから、避けた。
「店番が駄目ならさ、お昼にはあたしがうどん作ってあげるよ。消化にいいしツルっとすすれるでしょ」
なおも食い下がる花蓮から視線をそらし。
「余計なお世話です」
「またまた~」
花蓮は、優がどんなに冷たい態度をとっても堪えた様子がない。
もしかしたら内心では落ち込んでいるのかもしれないが、それを表に出したことはない。
何故なのだろう。
何故、いつまでも関心を向けてくれるのだろう。
意味が分からない。
優は必死で花蓮の姿を目に映さないようにする。
「で、弘のイメージって何だったの?」
「ダイヤモンド」
優は顔をそむけたまま端的にそう答えた。
ダイヤモンドはギリシャ語の「アダマス」侵しえぬという意味から来ている。
どんな薬品にも侵されず、どんなものによっても傷つかないダイヤモンドは威厳と傲慢のイメージだ。
「高潔な弘にふさわしいわね。弘は仕事において『妥協』は一切しない。納得いくまで突き詰めるプロフェッショナルだもの。そういうところ、優にも似てるわよね」
大学を中退してから会っていなかったので、花蓮は優の仕事に望む姿勢など知る由もないはずなのに、そんなことを言う。
大学時代の優から今の優をイメージしてそう感じたのか。
まあ、当たっているのだが。
「言われてみれば、そうですね。私も仕事に妥協はしたくない。その点では、弘さんにシンパシーを覚えます。性格的な部分では気が合わなそうですけどね」
弘と花蓮はどう見てもパリピの陽キャだが、優はどちらかといえば陰キャだ。
チリンチリンと店のドアについているベルが鳴った。
お客様だ。
「いらっしゃいませ」
優は営業用の笑顔を浮かべ、愛想を振りまく。
同時に目配せして花蓮を二階の自宅に追いやった。
花蓮がいると接客に茶々を入れられそうだったからだ。
「ペアリングを作りたいんですけど……」
照れた様子でそう口にしたのは、二十代半ばと思しき茶髪の男性だ。
背が高く少しぽっちゃりしている。
右腕には少し小柄な女性が抱き着いている。
「タァくんとはまだ結婚とかはしてないけど、同棲はしてるから、なんか仲良しの証が欲しくなっちゃって。えへへ」
女性がいかにも幸せそうに微笑む。
優の顔を見てもぼぅっとしないあたり、この女性はかなり恋人に夢中だ。
たまにいるのだ、恋人を無視して優にモーションをかけてくる女性が。
そのときはさすがに優もうんざりして生来の塩対応になってしまうのだが、今回はそうでなくてよかったと胸をなでおろす。
「仲がよろしいのですね。使いたい宝石や、デザインのイメージなどはありますか?」
タァくんと呼ばれた男性が、「宝石は詳しくないし、デザインもよくわかんないけど……」と話し出す。
「こいつ、そそっかしいから傷や汚れに強い材質がいいな。あまり高級で繊細な感じだともてあましそう」
「なんですって! そんな心配いらないわよ。だって、タァくんが頑張って働いたお金で買うんだよ? 大事にするに決まってるじゃん!」
「ミーちゃん……」
タァくんが感激したようにミーちゃんと言うらしい女性の両手を包み、見つめ合う。
「アタシ、お互いの誕生石を交換して指輪にしたいなって思ってるんだけど……」
「ミーちゃんがそうしたいならそうしよう」
「えへへ、ありがと」
どうやら使う宝石は決まったようだ。
「タァくんの誕生日は二月、アタシは八月なんだけど……」
「では、彼氏さんの方の誕生石はアメシスト、彼女さんの方はペリドットですね。アメシストは暴飲暴食を防止し、悪酔いを防ぐお守りとしても知られています。ペリドットは暗闇を祓う石としてファラオの護身にも使われたことがありますよ。ああ、交換するのでしたね。でしたら彼女さんのリングにはアメシスト、彼氏さんのリングにはペリドットと……」
優は注文票に使用する宝石を記入していく。
その間にもカップルはじゃれ合っている。
「タァくんお酒もご飯も大好きでいっつも酔っぱらってるし食べ過ぎたーって胃薬飲んでるのに、誕生石のアメシストはそれを防ぐお守り……似合わないー!」
「るっせ、お前だって暗闇を祓うとか……まあお前はいつでも明るくて俺を照らしてくれる太陽だけどな!」
「タァくん……」
こいつらまた見つめ合ってる……と優はあきれながら頭の中でデザインを組み立てていく。
この様子だと、変にしゃれっ気を出すよりもハート型とか天使とかのいかにも恋人同士のペアリングですといった使い古されたデザインが好まれそうだ。
「お見積もりはこれくらいで……」
また高いとかごねられるか値切られるか……と覚悟したが。
「ふーん、まあオーダーメイドだしね」
「いいの? タァくん」
「ミーちゃんのためならこれくらい余裕さ」
たぶんかっこうつけて無理しているのだろうが、それくらいが優にとっては良いお客様だ。
それからその場で簡単なイメージを相談し合、指のサイズを測って終了となった。
「よし、さっそく仕事するぞ!」
客が退店したあと、優は意気揚々とスケッチブックを開いたのだが。
「はーい、その前にお食事しましょうね~!」
スケッチブックを奪い取られ、代わりに目の前のテーブルにどんっとどんぶりが置かれた。
湯気が立つそれは宣言通りうどんであった。
具の卵の黄色とほうれん草の緑が鮮やかだ。
「うちにこんなの作れる材料ありましたか……?」
優が首を傾げると、花蓮は端的に答える。
「買ってきたのよ」
「お代は……」
「いらない。それより冷めないうちに食べて」
優は「いただきます」と手を合わせた後食べ始めた。
「美味しい……」
麺はほどよく弾力があり、出汁の効いたつゆは旨味がたっぷりで、具の卵もちょどいい半熟具合だ。
口の中が極楽に昇天したような気さえする。
店で出しても売れるのではないだろうか。
「よかった!」
心底嬉しそうに破顔する花蓮に少しドキリとする。
その鼓動がどのような感情によるものなのかは優自身にもわからなかった。
「あなたみたいながさつな女性が料理できるなんて意外ですね」
素直に感謝すれば良いのに、そんな憎まれ口をきいてしまう。
「失礼な! 自分のことは自分でできるようにっていろいろ訓練したのよ!」
「それは殊勝な心掛けですね」
自分のことは自分でできるようにするというのは、大人なら当たり前のことだろう。
だが優はけっこう真面目に花蓮を見直した。
弘は過保護だし、社長令息の婚約者なら彼女も良い家の令嬢なのだろう。
家事などできないと思っていた。
うどんを食べながら、なんとなく弘と花蓮のことを考える。
仲は良さそうだ。
けれど……本当に結婚を前提とした恋人同士なのだろうか?
さっきペアリングを頼んできたカップルはラブラブだった。同時に、遠慮のなさも感じた。いい意味で扱いが雑というか。
あのカップルを見ていると、それに対して弘と花蓮はちょっと他人行儀のような気がするのだ。
気のせいなのかもしれないが。
「ごちそうさま」
箸をそろえて置いて、手を合わせる。
「お粗末様でした」
からのどんぶりを下げようとする花蓮に「洗い物は私がします」と取り上げる。
「花蓮、うどん本当に美味しかったです。ありがとう」
さきほどはけなすような発言をしてしまったが、一人暮らしで他人が作ってくれた料理を口にする機会はめったになく、実は感動していたのだ。
食事と言うのは身体を動かすために必要なエネルギーを摂取するだけの、味気ないものだと思い込んでいたが、そうではないのだと教えてくれた。
「どういたしまして。あたしはね、氷の貴公子だなんだって言われて塩対応が常でも、ありがとうがちゃんといえる優が大好きだよ」
不意打ちだった。
てらいのない好意。
優は沸騰しそうなほど頭が熱くなっていくのを感じる。
顔はもはや真っ赤であろう。
「だからっ、あなたのそういうところが……私は……」
苦手なんだ。
苦しいような痛いような表情をする優へ花蓮は、
「うん、知ってる。ちょっとずつ慣れてくれればいいから」
やわらかく弧を描く唇に、やさしくたわんだ目。
愛情のにじんだ微笑は聖母のよう。
大学時代から、花蓮のこんな表情を見るたびにいたたまれなくなった。
優は思う。
慣れる日など永遠に来ない、と。
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