第6話 遭遇。

 電車から降りて数分歩くとテレビ局に着く。

 花蓮は慣れた様子で許可証を首から下げて中に入っていくが、優はといえばわずかに緊張していた。

 このような場所に来るのは初めてだから仕方がない。


「十八階の奥にいるはずよ」


 花蓮がすたすたと迷いなく複雑怪奇に折れ曲がる廊下を進んでいくのを、慌てて追いかけたのだが……。


「きゃ!」

「申し訳ありません!」


 女性にぶつかってしまった。

 女性は尻もちをつき、優は手に持っていた鞄を落として中をぶちまけてしまう。


「大丈……」

「綺麗……」


 尻もちをついた女性は、差し出した優の手をよそに床に散らばった見本のジュエリーに見入っていた。

 いつでも営業ができるよう見本を鞄に入れているのは優の癖といってもいい。


 優はこれはチャンスかもしれないと名刺入れから一枚取り出し女性に渡す。

 愛想が良く見える完璧な笑みも添えている。


「オーダーメイドのジュエリーをお求めの際はわたくしの店までご連絡ください」

「は、はい……」


 優の声に驚いたように上げられた顔は……テレビでよく見るものだった。

 小さな顔に大きなとび色の瞳が印象的な……。


「虹川七奈美!」


 思わず名前を大声で叫んでしまった優に、七奈美はびくっと身体を震わせる。

 怯えさせてしまった。

 雷に怯える子ウサギのような七奈美に、大声を上げたことを後悔して謝ろうとしたが。


「なに転んでるの。とろくさい。さっさとしなさい!」


 マネージャーだろうか、七奈美にそんな叱責を浴びせると、大股で近寄り優をひと睨みしたあと彼女の腕をつかんでずんずんと歩いて行ってしまった。

 呆然とその背を見送っていると、先を歩いていた花蓮が戻ってくる。


「ちょっと。はぐれないでよ」

「すみません」


 優は反省して次からぴったり花蓮に寄り添って歩いたのだが。


「ふふ、優ってば迷子にならないように必死でお母さんについていく子供みたい」


 花蓮の台詞に、優はかあっと頬に血が上っていくのを感じた。

 反論したいがその通りなので口をぱくぱくするだけで終わってしまう。

 エレベーターに乗り、やがて十八階についた。


「こっちよ」


 花蓮は迷いのない足取りで奥へと歩んでいく。

 果たしてそこに、弘はいた。


「このカーディガンはヒロインのお気に入りのおしゃれアイテムとして使おう。普段は真ん中のボタンだけ閉めて胸と腹をチラ見せ、夜はボタンを閉めずにショール扱い、オフィスでは太めのベルトで絞めて凛々しく」


 真剣な表情でそんなふうにスタッフに語っている弘は真剣そのものだ。

 そこにヒロインだろう女優が衣装を着て現れた。


 ヒロインだとわかるのは、名前は知らないが優でも見覚えのある顔だったからだ。

 衣装だとわかったのも、季節外れの格好だったからである。


「弘先生、実際に着た姿を見たいとおっしゃったので来ましたよ。どうかしら?」


 ヒロインが弘の前でくるりと回る。


「ああ、やっぱり夏はブラックドレスが一番だ! このウエストの綺麗なカーブ! カッティングが最高に良い! シルクはやっぱり揺れ具合が上品だ。ん~でも……スカートのすそ……あと一ミリ短くできるか?」


 これには聞いていた優も驚いたが、何よりスタッフが目を丸くした。


「一ミリ……ですか?」

「ああ」


 スタッフは聞き間違いでないことを確認すると眉をハの字にし、説得しようとしてか口を開いて閉じるのを繰り返す。


 だが、弘にじろりと視線を向けられると「わかりました!」とヒロインと一緒に下がっていく。


「あいかわらずね、弘!」

「花蓮、来ていたのか! ここは衣装はたくさんあるが、椅子はないんだ。ああ、ないなら持ってくればいいのか。今スタッフに用意させるから……」

「気を使わなくていいわ」


 花蓮は苦笑して弘に気にするなと言うが、弘は椅子と飲み物をスタッフに頼んでしまう。

 優はずいぶん過保護だなとあきれてしまう。


 ちなみに弘は優の存在には気づいていないようだ。

 優も初めて会ったとき、花蓮にばかり注目して弘に気づかなかったのでお相子だろう。


 やがてスタッフが椅子を二脚と飲み物を二杯持ってきた。

 そこで弘はやっと優の存在に気が付いた。


「貴様も来ていたのか。というか、貴様に見せるために花蓮が連れて来たのか」

「そのとーり!」


 花蓮は明るく答えてさっそく椅子に座り飲み物に口をつける。

 優もそれに倣う。


 飲み物はマンゴージュースだった。

 新鮮な果物の味がする。

 美味しい。


「それにしても、弘ったらまたスタッフに嫌われちゃうだろーね」

「そうだな。陰では七光りとかさんざん言われている」


 優は『七光り、ということは親が大物なのか?』と疑問を抱いた。

 だが例え親の名前を聞いたとて、業界に詳しくない自分にはわかるまいと無心でジュースを味わった。


 無関心そのものの態度だが、花蓮は優が一瞬困惑に眉をぴくりとさせたのを察知していたらしい。


「ああ、弘はね、このテレビ局の社長の息子なの。それで身びいきでドラマの仕事もあっせんしてもらってるんだろうって」


 花蓮の説明に優は「なるほど」と頷く。

 社長令息か。

 どうりで偉そうなオーラが出ていると優は納得した。


「ふん。確かに最初の仕事は親からのあっせんだったかもしれん。だが、今は違う。実力で仕事を取っている。だいたい、七光りが通用するのは最初だけだ。それ以降は実力がものをいう」


 陰口を知りながらここまで自信満々なのはすごいなと優は感心した。

 この不屈の精神は金剛石を思わせる。


 定番だからつまらないとダイヤモンド以外で考えていたが、弘の性質を活かすのなら定番でもダイヤモンドがいいかもしれない。


 宝石が定番でも、デザインを斬新なものにすればいいのだ。

 ふいに花蓮がくしゃみをした。


 ここは少し埃っぽいので、鼻でもむずむずしたのだろう。

 優はそう判断したのだが、弘は違った。


「花蓮、大丈夫か? 寒かったんだな。今スタッフに毛布を持ってこさせる」


 弘は血の気の引いた青い顔でスタッフを呼び寄せる。


「スタッフさんに悪いわ。それに、別に寒いわけじゃないから」


 花蓮はさすがに慌てた様子で説明するが、弘は聞く耳持たない。

 優からすればグレーがかった顔色の弘のほうが具合が悪そうだったのだが。


「スタッフに多少迷惑をかけたところで問題はない。花蓮の体調を整えることが一番大事だ」


 弘の尋常じゃない心配ぶりに、スタッフも急いで毛布を取ってくる。

 弘は「ご苦労」とだけ告げて花蓮の身体を毛布で包んだ。


「ああ、念のために血圧と熱も計った方がいいな。おい」


 スタッフは弘に恐れをなして、体温計などを調達しに駆け足で出ていく。

 優は無表情の下でその様子を「恐怖政治……」と恐れおののきながら観察していた。


「弘、あたしがちょっとくしゃみをしたくらいで毛布だの体温計だのスタッフさんに調達させるのは止めて。あたしはそんなにやわじゃないんだから」


 優は『そうだろう』と同意を表すために控えめに頷く。

 花蓮はちょっとやそっと乱暴に扱っても壊れないような頑丈さがある。

 だが、弘は違う印象を持っているらしい。


「なにを言う。花蓮ほど繊細な女性はいないだろう」


 優は、弘には花蓮がどう見えているのかと心底不思議に感じた。


「体温計持ってきました!」

「血圧計るのも持ってきました!」


 スタッフが肩で息をしながら駆け足で戻ってきた。


「ご苦労。さあ、花蓮」


 弘に促され、花蓮は溜息をつきながら体温計をわきに挟み、血圧を測る装置を腕に巻いた。

 数分後。


「平熱ですね」

「血圧も標準です」


 数値を見たスタッフが若干拍子抜けした声を出す。

 若干イラついた表情にも見える。


 それはそうだろう。

 あれだけ大騒ぎをして異常がないなんて、はた迷惑も良いところだ。


「でも心電図やレントゲンを撮ったわけではない。まったく異常がないとも言い切れないのだから、やはり家の者に迎えに来てもらって帰った方が……」


 弘は顔色は戻ったものの、まだしきりに花蓮の体調を気遣う。

 花蓮は不機嫌そうにぷいっとそっぽを向いた。


「いやよ。今日は弘の仕事ぶりを目に収めるって決めてきたんだから」


 花蓮は次いでぷくぅっと頬を膨らます。


「しかし……」


 異常がないとわかったのに、弘は花蓮が心配でたまらないらしい。

 本当に過保護だ。

 婚約者とはそんなものなのだろうか。


 優は恋をしたことがないので婚約者どころか恋人もいたことがない。

 なので標準がわからないが、なにか異常な感じがして眉根を寄せる。


「か、花蓮……」


 弘が弱り切った声でおろおろしていると、花蓮はこれみよがしに「はぁ」と大きなため息を吐き、そむけていた顔を戻した。


「あんまり心配しないで。もう、大丈夫だから」


 優は花蓮が「しつこい!」と怒るものだと予想していたので、その「しかたがないなぁ」と言わんばかりのやわらかな苦笑に目を丸くした。


「だが……」

「弘先生、一ミリ短くしました。どうですか?」


 弘がなおも言いつのろうとしたところでスタッフとヒロインが戻ってくる。

 弘の目が婚約者を心配する目から、仕事用の鋭い目に変わった。

 ヒロインが先ほどと同じようにくるりと回る。


「うん、良くなった。さっきとは軽やかさが違う」


 弘の言葉にスタッフとヒロインが胸に手を当てあからさまに安堵する。


「では次はこのシーンの衣装の……」


 ドラマで使う予定の衣装を組み合わせていくその様子を、優と花蓮は邪魔をしないように後ろから静かに見守った。


 まあ弘がたびたび花蓮を気にするので、邪魔をしていないつもりでしていたかもしれないのだが、とにかくそんな感じでその日は過ごした。


 優は帰宅後、すぐに机に向かった。


「ダイヤモンドを使うことは決定したが、デザインだな」


 優は机に向き直り、没頭した。

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