4 折笠さん、恋ちゃんを叱る
いつも愛嬌たっぷりの恋ちゃんの様子がおかしい。恋ちゃんは震えだした。
「なにがはっぴぃ体操だよ! ボクは全然はっぴぃじゃない。こんな子ども騙しの歌が流行するなんておかしいんじゃないの!」
「恋ちゃんなに怒ってるの?」
姫川さんが彼女を気遣った。
「拗ねてるの」
恋ちゃんは幼児のようにほほを膨らませた。
「拗ねてるの? どうして」
「ボクのイベントに来てくれたの、九条さんだけじゃん」
恋ちゃんは芸能人として、歌のお姉さんとしてさまざまなイベントに参加していた。だけど平日開催が多く、わたしたちは参加できなかったのだ。
「恋ちゃん……」姫川さんも申し訳なさそう。
「ボクはお姫さまのお嫁さんじゃなかったのかよ!」
恋ちゃんは蒸気がでそうなほど怒っている。
「恋ちゃん、こっち向いて」
「いやだ」
姫川さんは恋ちゃんを後ろから抱きしめた。身長差で恋ちゃんの頭が姫川さんの乳房に埋もれた。
「恋ちゃん、寂しがり屋だもんね。ごめんね。ごめんね」
姫川さんの声色は甘く切ない乙女色だった。彼女はいともたやすく人の心に侵入する『聖少女暴君』その人だった。
彼女の肩が震えだした。きっと泣いている。
「はっぴぃ体操とか、ボクのやりたいこととは違うし、もう芸能人辞める。印税もぱあっと使っちゃおうかな」
恋ちゃんのヴォイスは調和と旋律が乱れ、不協和音だらけ。泣きながらえずいている。
「二ノ宮さん」
折笠さんが鬼気迫る表情で彼女に近づいた。そして彼女の二の腕を持ち上げるとつねった。
「いたっ! つねったね。生まれてから一度もつねられたことないのに!」
恋ちゃんは痛みとともに声を張りあげた。
生まれてから一度もつねられたことがないってある意味すごいな。
「甘やかされすぎよ! 二ノ宮さん、いまのままじゃ神さまに見捨てられるわよ」
折笠さんのその言葉は怜悧なナイフより鋭く彼女を引き裂いた。
「ヒットした幸運を大切にしなければつぎのチャンスをもらえない。一発ヒットした芸能人が自分の力だと勘違いして世間に忘れられるのと一緒。二ノ宮さんはいま夢に一番近いところにいる。その幸運をどぶに捨てるつもりなの」
「ボクがそんな安っぽい芸能人と同じだっていうのかよ!」
「印税もぱあっと使っちゃおうかな~が安っぽくなくてなんなの?」
折笠さんは恋ちゃんを責めたてる。
恋ちゃんは反論の言葉を失ってしまった。精一杯視線を逸らさないのが彼女の抵抗だった。涙目の恋ちゃんが痛ましい。
「折笠さん、それくらいで」
わたしは思わず仲裁に入った。
だが折笠さんのつぎの言葉はその場にいる誰もが予想できないものだった。
「わたしが二ノ宮さんならチャリティーをやる」
「チャリティー?」
そう訊き返したのは恋ちゃんじゃなくてわたしだった。
「二ノ宮さんはいま注目を浴びている。その彼女がチャリティーイベントに参加したらどうなると思う? 好感度爆上がりよ。あなたを見捨てない固定ファンがつくわ。
必ずTVや雑誌社のインタビューが来る。チャリティーイベントは新曲を発表する絶好の場所となる。そのとき夢がシンガーソングライターであることを語ればスポンサーがついて仕事をもらえる。
そして格闘ゲームやっていることも公にしなさい。週末に一本ゲーム実況動画を投稿してネットユーザーを味方につけるの」
恋ちゃんの顔色が変わった。まるで悪夢から目覚めた顔。
「そんなことマネージャーでも言ってくれない」
「わたしを甘く見ないで。わたしは未成年口座で投資もやっているんだから。金のたまごの育て方を知っているの」
「ボクはやるぞ! 夢を叶えるために! ありがとう
恋ちゃんの顔色に希望が現れる。
「そんなに親しい仲になった覚えはないんですけど」
折笠さんは照れ隠しに三つ編みの房をくるくると揉む。
「お姫さまがボクの旦那さんなら詩乃っちは不倫相手だ!」
恋ちゃんの発言は彼女らしい明るさを取り戻したよう。
「淫乱か!」折笠さんが困り眉で指摘した。
「お姉さまはわたくしのものですのに、ずるい」
村雨さんが爪を噛む。ややこしいことになっている……。
「宴もたけなわでは御座いますが、歌いませんか?」
九条さんがカラオケボックス所有のタブレットをひらひらさせた。
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