2 ひかりちゃんの本性悪女!
季節はもうクリスマス。わたしたち天文部のメンバーはクリスマスパーティを企画して集合した。
街の雑踏のなか歓談しながら歩いていると見覚えがある男性が視野に映る。
「あれ、護国寺先生じゃないですか」村雨さんが指をさす。
「ひかりちゃんもいるわ」
護国寺先生の隣にはスクールカウンセラーの小山ひかりちゃんがいる。長身の護国寺先生と華やかなひかりちゃんはファッション雑誌から抜けだしたみたいにお似合いだ。
「あとをつけましょう」
村雨さんがとんでもないことをいいだした。
「あとをつけるなんて人の道に外れてるよ」
わたしが忠告する。
「かまいません。わたくしは本日付けで人間をやめます!」
村雨さんの眼鏡が光った。
「やめちゃだめ!」
「お姉さまは髪を隠してください。目立つから。行きますよ!」
村雨さんは別人のよう。行きたくない……。なんだかんだいって護国寺先生は他人じゃないわたしたちは彼のクリスマスデートを見守ることにした。
駅近のレストランに入店したふたり。庶民のお小遣いでもおなかいっぱい食べられて雰囲気がいいことで知られている店だ。
テーブルのついたての死角に陣どったわたしたちは耳を大きくして会話を聞き取ろうとした。
しばらくは楽しそうに会話していた護国寺先生とひかりちゃん。護国寺先生はささやかなプレゼントとしてハンドクリームを、ひかりちゃんは入浴剤を交換した。
最初のうち、笑顔を見せていたひかりちゃんが態度を豹変させたとき、わたしたちですら驚いた。
「デートの場所がこんなレストランだなんて」
ひかりちゃんは店員さんの目も憚らず失笑した。
「護国寺先生の年収はいくらですか? 貯金はどれくらいありますか? 両親は資産家ですか?」
彼女はストロベリージュースをストローで吸いながら詰問した。
彼女の矢継ぎ早の質問は不躾であまりに礼を欠いている。
護国寺先生も彼女の豹変ぶりに目の色を白黒させている。
「なぜそんなことを訊くのですか」
「年収は男の戦闘力です。年収が高い男は一流の家庭に生まれ一流の教育を受けている。年収が低い男は親がクズだったり、しなくていい苦労ばかりしているんです。
年収はうそをつかないんです。わたしと対等に付きあいたいなら最低でも戦闘力四○○万はほしいですね。
まさかその年齢で戦闘力三○○万以下ってことはないでしょうね。二○代のとき、なにをしていたのですか?
年収が一億円の男は年収が一〇〇〇万の男の一〇倍の戦闘力を持っているんです。
わたしが優れた男の子どもを産みたいと思ってはいけませんか?」
彼女の蔑んだ視線は護国寺先生の心を凍結した。まるでヘビに睨まれたカエル、メドゥーサの顔を見たギリシャ神話の住人である。
「わたしはね。特別な体験がしたいんです。豪華客船で世界一周。ランドを一日貸し切り。ドバイで王族と一緒に競馬観戦。ウユニ塩湖で天体観測。北欧でオーロラ鑑賞。モナコのスロットで一○○万円使うこと……。このなかでどれかひとつでもわたしに体験させてくれますか?」
ひかりちゃんの希望を叶えるには護国寺先生の月収は心細すぎた。彼のプライドはズタズタだった。
「おれは……、好きな人と一緒なら街を歩いたり、映画を見るだけでも特別な体験だと思います」
内臓から絞りだした彼の言葉を彼女は一笑した。
「つまらない男。試してみようと思ったけど、ハズレだわ。護国寺先生。あなたのルックスだけは好みなので、一晩だけなら付き合ってあげても良いですけど。どうします?」
彼女の耳に心地よい高音声で毒液のような言葉が浴びせかけられる。
「お断りします」
毅然とした態度で彼女の誘いを断った護国寺先生は男である。
「ふーん。残念。指の長い男は
ひかりちゃんはゼリーのトッピングチェリーを舌で転がした。護国寺先生の長い指を見ながら舌なめずり。
「わたし、好きな人がたくさんいるので、あなたはもう大丈夫です。向上心のない男とは一緒にいられません。年収が低い男の吐く息を吸いたくないので、これで失礼します」
ひかりちゃんは伝票をひらりと手に取った。彼女が口元からテーブルに置いたチェリーの茎は結ばれていた。
捨て台詞を残して彼女は去った。護国寺先生が誘いを断った意趣がえしとして料金を女性である自分が払うのだろう。
生徒たちに慕われるスクールカウンセラーひかりちゃんは歴史に名を残すファム・ファタールだった。
ひとり残された護国寺先生。悪夢のクリスマス・イブである。琥珀に閉じ込められた昆虫のように微動だにしない様子にわたしたちもしびれを切らして飛びだした。
「うっしー、大丈夫? ひかりちゃんがあんな子だったなんてびっくり、どっきり、がっかりだね」
姫川さんが彼を気遣う。
「おまえたち、いたのか。良かったらこれ食べてくれないか。いま食欲ないから」
彼はテーブルに残った手つかずの料理を指さした。
わたしたちが尾行してデートを見学していたことも気にかけていないようだ。おかしい。
「先生。自分でとか、考えてないよね?」
「どういう意味だ? (はっ)ばかだな。そんなことするわけないじゃないか」
姫川さんに自傷行為を心配されて護国寺先生は我にかえった。
「護国寺先生にはわたくしがいます。あのような○○(差別用語)に護国寺先生の価値がわかるはずもありません」
「村雨さん、悪いけど『○○』は放送禁止用語よ。小説家目指してるんだから気をつけようね」折笠さんが指摘する。
「護国寺先生。いまこそわたくしの愛を受けとめてください。わたくしも新年で一六歳。法的に結婚できる年齢です。誰にもわたくしたちの仲を引き裂けません」
「村雨さん、法律は改正されたよ」
わたしこと鳴海千尋は彼女の誤った認識を指摘した。
「きみの誕生日は二月だったな」
「わたくしの誕生日を覚えていてくださったのですね」
「生徒の誕生日はできるだけ覚えるようにしている」
やっぱり護国寺先生は生徒想いの良い先生だ。
「すまない。きみの気持ちは嬉しいと思っている。だが職を失ってまで受け止める覚悟はおれにはない」
「先生! 護国寺牛次郎! わたくしが惚れた男はそんな意気地なしだったのですか?」
「人を見る眼がなかったんだ。すまない」
護国寺先生は夜の街へ消えていった。
「わたしはひかりちゃんの悪いうわさを知っていたの。毎晩違う男と夜の街に消えていくって。だからうっしーに彼女と関わってほしくなくて、彼氏がいるって、それとなく伝えていたのよ」
折笠さんは失意の護国寺先生を目の当たりにして罪悪感を隠しきれない。
みんな家族のお通夜みたいにしーんとしている。わたしは残された食事が気になって仕方なかった。外食なんてめったにできないし。
「わたし、これ食べます!」
「え? ああ……」
わたしは夢中であさりのスパゲティをむさぼった。
「これ、美味しいです!」
「よく噛んでね」
みんなの視線がやけに冷たかったのは気のせいだろうか。
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