【 心を黒く塗りつぶす悪夢のような逃避行 】

第18話 迫り来る罠

 急報は、あの事件から10日後だった。


「至急の伝令です! クラウシェラ様にお目通りを!」


「入れなさい」


 こんな時でも彼女の日常にさほど変化はない。今は神学の勉学中だ。

 さすがにあの一件があったから、万が一のために教員は皆非難させている。

 だからもっぱら自習だけどね。それにこういう事もあるし。

 ただ最近は急を要するような手紙も無くなって、大体情勢は落ち着いてきたのよね。

 もうしばらくしたら、家庭教師たちも呼び戻そうか――そう考えていた時だった。


 慌てて入って来たのは、軽装の鎧を着た兵士。

 ここでの生活も長くなったからすっかり覚えたけど、彼は伝令を専門にしている兵士だわ。


「ペルム騎士領の本隊がこちらに進軍中です!」


「わたくしが要請したのですから当然でしょう」


 ただそれにしては早いわね。

 それにこちらに軍ごと来るとういうのも変な話だわ。


「そうではないのです!」


「先ずは冷静になりなさい。数は?」


「は、はい。騎兵を主体とした総勢、およそ1万。近隣の町の軍も加わっていると思われます」


 おかしいわね。

 ペルム騎士領は確かに大規模な領地。

 もし戦争となれば、最大で騎兵3000騎、歩兵7000人を揃えられる有数の土地だわ。

 ただそれは領内全軍を集めた数。通常で考えれば、一ヵ月はかかる。しかも騎士候が亡くなったばかり。まだ次の領主も決まっていないし、混乱の最中にあるはずよ。

 動員要請は出したけど、今動かせる兵は常識で考えれば2000人足らず。


 仮に数だけは傭兵で揃えたとしても、どうしてここに向かっているのかしら?

 リリゼットの町へと救援部隊が向かった時も、ここには寄らなかった。その意味もないしね。

 彼らは直接ベルナットの町に入り、補給を済ませたら橋を渡り残党狩りに参加する予定。

 挨拶にしても、軍ごと来るなんてことは――!?


「既に行動の確認に向かった隊員らは全員戦死いたしました。ペルム騎士領軍は敵です!」


『な、なんですって!』


「痛っ!」


 頭を抑え、苦悶の表情を浮かべる。


「だ、大丈夫でありますか?」


 その様子を見て兵が心配するが、手だけで制止する。


 ――大声を出さないで! 今は黙ってなさい。


 確かにそうです。すみません……。


「直ちにここを引き払うわ。全員支度なさい。それで“敵軍”は?」


「急ぎ馬を飛ばしてきましたが、それは向こうも承知済みと思われます。おそらく半日もあれば……」


「多分もっと早いわね。全ての荷物は置いて行っていいわ。30分以内に民間人と負傷兵を馬車に。兵士はその護衛よ。いい、1分でも遅れた者は容赦なく置いて行く。そう伝えなさい!」


「クラウシェラ様は?」


「当然、同行するわよ。急ぎなさい!」


「了解いたしました」


 オーキスを除く全員が慌ただしく出ていった。

 すぐさま屋敷中が、嵐でも起きたかのように慌ただしくなる。

 振動で、微弱な地震が起きているかのよう。

 多分だけど、制限時間内に重要な物は全部回収するか処分する為ね。


「オーキス」


「ここに控えております」


「今までご苦労だったわね。今現在をもって、貴方は解雇します。馬を一頭与えるわ。お父様の元へ行きなさい。但し、ベルナットの町へ行く事は許しません」


「つまりは、かの町もまた裏切ったと読んでいる――そうですね」


「定時連絡は遅くとも1時間以内に到着するわ。それにこちらからも伝令が常に行き来している。その辺りはもうじきわかるけど、わたくしが指揮官ならその程度の準備はしているわね」


「そこまで読んでいるのであれば、私が行くまでもございません。すぐに近隣へと知れ渡り、公爵様が動かれるでしょう」


「貴方、命が惜しくは無いの?」


「ご主人様より長生きするつもりはございませんので」


「そう……損な性分ね。長生き出来ないわよ」


「クラウシェラ様の盾となれるのでしたら、短い人生も悪くは無いと存じ上げます」


「分かったわ、すぐに支度なさい。1時間後に、この屋敷には火をかけるわ。無駄な事をしている連中は、さっさと馬車に放り込んで頂戴」


「了解いたしました。ですがこの状況、屋敷の中にも不心得者が紛れているかもしれません」


「わたくしをどうにか出来るほどの者がいるのであれば、わざわざこんな状況まで待つ必要は無いわ」


「はっ、それでは急ぎ屋敷を回って参ります」


 ――結局はこうなるわけね。

 まあなんとなく分かっていたけれど、想定の何倍も酷い状況になったことには呆れるわ。

 どんなに頑張っても、歴史は変わらないものなのかしらね。


『どういうことなの?』


「説明する事が大過ぎて、何処から言えばいいか悩むわね。単純に言えば、ペルム騎士領は既に裏切っていた」


『ええ! でもそんな様子は無かったわよ』


「当然、亡きケルジオス騎士候も弓のサリウスも知らない事よ。さすがにこれに加担したら、サリウスはその地位を神から剥奪されるわ。おおかた領地に残った最高権力者が、騎士領なり更なる地位や金で転がったのね。もしかしたら、急いで少数だけで行かせたのもそれが理由かもしれないけど、そんなのはただの憶測ね」


『えええー。じゃあベルナットの町の方は?』


「これはまだ憶測だけど、あちらもとっくに内通していたとみるべきね。普通なら、わたくし達はあの町に籠城するわ。そうなれば、更に後方の本隊――生粋の公爵軍が到着するまでもつもの」


『じゃあもう敵なのに、ずっと味方のふりをしていたって事? あそこは安全な街じゃなかったの?』


「当然、町自体は安全よ。籠城するにはね。それが一番早いし、誰もがそうするでしょうね」


『でもそれはできない……じゃあ、どうして裏切っているってわかるの?』


「敵軍はベルナットの町を落とせない戦力で対岸の村や町を攻めた。当然、勢いはそこまで。今は逆襲されて散り散りよ。町の強固さは近隣に知れ渡ったわ。なのにペルム騎士領は旗色を隠さずに堂々と大軍で進軍してくる。でも籠城されたら勝てない数でね。これが答えよ。どうせ対岸での敵部隊の討伐報告も、大半はがせね」


『後ろから来るのは罠に追い立てるための猟犬……』


「そういう事ね。あそこはもう狼の巣よ。さて、貴方はどうするの? 悪いけど、もう先は無いわ。でもわたくしはジオードル・ローエス・エルダーブルグ公爵の娘、クラウシェラよ。座して死ぬつもりも、辱めを受けるつもりも無いの」


『あたしは最後まで付き合うわよ。それが縁ってものでしょう』


 まあ離れられないのですとは言えないわよね。


「そう、そういえば、わたくしを破滅から救うとか言っていましたわね。ん? そういえば出られないとも言っていたような?」


 ばれたか。


『あはは。まあそういう事。今は一心同体なのよ』


「なら精々、わたくしが破滅しないように努力する事ね」


『はーい』

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