第16話 想定外の流れ

 話に夢中で、状況をしっかり見ていなかった。

 床に広がった血だまり。今までマントのせいであまり目に入っていなかった。

 あの厚手のマントは、出来る限り血で床を汚さないためだったのね。

 それでも全然足りなかった……。

 彼女は最初から、彼がもう長くない事を知っていた。

 その時点で、もうこの結果を決めていたのね。

 確かに黙って見ているように言われた理由も分かったわ。生きている内に、安心させてあげたかったわけかー。

 ケルジオス騎士候も知っていた。クラウシェラならそうしてくれると。

 この頃は、まだ人望あったんだなあ。


「ジオードル・ローエス・エルダーブルグ公爵が娘、クラウシェラ・ローエス・エルダーブルグがここに宣言する。ケルジオス・ギ・マスチン騎士候は卑劣な敵の罠により非業の戦死を遂げた。しかし、それ程の窮地にあっても、少しでも多くの民を逃そうと奮戦した事は賞賛に価する名誉である。今後、彼の死を非難する者、名誉を気付付ける者はこのわたくしが許さぬと知れ!」


 宣言を受け、元々跪いていた弓のサリウス以外のオーキスや衛兵も一斉に跪く。

 あたしも一瞬、平伏しそうになった。これが本物の貴族として生まれ育った威厳ってやつかー。

 オーキスと対等に接する様に言った時に、貴族と平民の壁に関して説教された。

 確かに、彼女はずっと高い所にいるんだわ。身も心も、生きざまも。

 もう降りて来る事なんて、許されない高さに。


 少なくとも、これでケルジオス騎士候の敗戦を咎めるものはいない。

 確かに失敗したかもしれない。彼女の叱責通り、多くのミスがあったことは事実だと思う。

 誰かが責任は取らなければいけない。だから彼女は、死にゆく騎士候にそれを被せた。

 同時に騎士候もまた、それを望んでいた。自分だけが責任を負うように。

 これでもう他には誰も責任を問われる事は無いし、敗戦の責任を被せながらも名誉も守っている。

 だからペルム騎士領も安泰だと思う。だってゲームに登場したもの。


「至急早馬を出しなさい。近隣の町、村、城塞。そこから更に領地中に出すのよ。それと、ペルム騎士領とその周辺から可能な限り兵を集めて。当然、この近辺もよ。急ぎなさい!」


「了解いたしました!」


 近習のオーキス以外の兵は、急いで他の兵たちにその命令を伝えに出ていった。


『え、どうするの?』


 ――ここは旧アゾール王国領に近いとはいえ、それでも間にはいくつもの町があるわ。でもそこが襲撃されたという報告はない。最初から協力していたか、それとも最初から聖槌ホーリーハンマーボジャルカイスの入手が目的で目立たないように長い時間をかけて準備してきたか。


『ふむふむ』


 ――でもそうだとしても、たかだか聖槌1本の為にやる動きじゃないわね。あれより強力な槌なら、公爵家の宝物殿や各地の城砦にまだ何本もあるわ。


『山でも吹き飛ばすと言われているんですけど』


 ――あら、詳しいじゃない。確かに彼ならその程までに使いこなすかもね。

 でも結局はそこが変なのよ。もちろん、出身は元アゾール王国だけど、武器一つ奪うためにこんなバカな事をする? 彼は未だ5武行典ごぶぎょうてんなのよ。


『そう言われると返事に困っちゃうわね』


 5武行典。剣、槍、斧、槌、弓。その5つの武器の求道者にして至高の存在。

 実力はもちろん世界最高。更にはその生き方は、武芸を極めんとする者の生ける指針。

 ううん、ここは素直に経典と呼んじゃった方が良いわね。

 だからその生き方は誰が見ても正しく、憧れの存在。

 そんな人を誰が決めるって? それは神様よ。

 この世界の神が定めて世界中の人に天啓を下すの。

 それで世界中の人が知る事になるのよ。


 今いるのは槍、槌、弓の3人。剣と斧はこの時点だと不在ね。

 そして亡くなるか、その資格を失うと再び天啓がもたらされるの。

 引退して自らその地位を退いた人はともかく、失態から資格を失ったと託宣を受けた人の多くは自害するって言うから、神様も残酷ね。

 でも逆に、槌のトゼルバッシュは未だに5武行典の資格を得ている事になる。

 だって天啓が無いのだもの。


 ――精霊でも少しは5武行典の事を知っている様だけど、彼らは求道者にして神に認められた存在。貴方はサリウスを知らなかったようだけど、彼もそうよ。槌のトゼルバッシュと戦って生存者がいるのは、間違いなく彼の功績ね。

 だから軍を率いて町を焼き、武器を奪うなんて野盗まがいの事は絶対にしない。

 弓のサリウスが騎士軍にいたのも、あくまで食客としてだわ。

 仕えているわけでもないし、まして命令で付いて行ったわけではないの。

 つまりは、トゼルバッシュもまた指揮官じゃない。


 そうなんだよね。

 もちろん武芸の道を征くのだから、戦いに参加する事もある……というか当然。

 それが個人戦でも集団戦でも、当然戦争でも道を究めるためなら参加する。

 でも、それぞれは孤高の存在。

 神に認められた存在だけに、その行動にはそんな大国の王でも、或いは皇帝でも命令できない。

 そしてまた、彼らもその力を私利私欲のために使えば、その資格は神によって剝奪される。


『言われてみればそうよね』


「でもこれで連中も終わりよ。死ぬまで隠れて潜み続けていれば長生きできたでしょうに、これ程の事をしたら公爵軍全てが動くわ。例え1万の兵がいようとも、彼らの国は8万の兵を擁していながら1ヵ月と経たずに敗北したのよ。固まってしまったのが運の尽き。逆に良い機会だわ」


「どうかしましたか?」


「な、何でもないわよ!」


「これは失礼を」


『口に出しちゃってたかー』


 ――あんたが色々と話しかけるからでしょうが!


『でもさ、それが分かっているのなら、何でこんな事をしたのかな? 目標は武器じゃないんでしょ?』


 ――そうね。確かにリリゼットの町に立て籠もったって、主力に包囲されたら1日だってもたないわ。


 なら目的は全く別。聖槌は囮? ううん、槌のトゼルバッシュがいる以上は欲しかったでしょうけど、彼がいる事は誰も知らなかった。

 だからあくまで普通に町を守る以上の事はしなかったし、これから動員する兵士も武器1本取り戻すために動くわけじゃない。


 示威行為?

 アゾール王国いまだ健在であると喧伝するため?

 だとしたら、向こうの指揮官はとてつもなく無謀で愚かだわ。

 確かにここまでの戦果で士気は上がる。

 でもこんなところでペルム騎士団長を倒したとしても、元々あそこは騎兵だけで3000人。それに歩兵まで含めれば1万人を超す兵力を有する領土よ。

 だからこそ、あたしの館もその近くにある。


 でもおかしいわ。

 わたくしの記憶に、こんな大規模な戦乱の記憶はない。

 すべて同じ流れに沿って歴史は動いていた。100回全部ね。

 わたくしが記憶を取り戻したから、変わってしまったのかしら。


 ――まあいいわ。目的はわたくしの首かしらね?

 取れるものなら取ってみろよ。


『そういのうって、フラグって言うのよ』

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