第三幕ー44
「これ、全部、あなたの仕業なの?」
怒りで震えながら、清花は綾芽を睨んだ。
「『仕業』って」
綾芽は、清花を見下すように、くすくすと嗤った。
「人聞きが悪いこと言わないでよ! 借金地獄から助けてあげた上に、就職先までお世話してあげたのに、酷い言われようね。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないと思うけど? あなたが、悠介から手渡された離婚届にサインをして、素直に役所に出してくれさえすれば、こんな、手荒な真似しないで済んだのに。本当馬鹿ね。あなたって。昔から何ひとつ変わっちゃいない! うじうじ、じめじめして、他人に依存して、自分の思い通りにならないと泣き落とし! 挙句の果てには、これ見よがしに、自殺未遂までやらかして! 本当、私たち、あなたにはいい迷惑してるのよっ!」
綾芽の瞳は憎悪に満ちていた。
「『私たち』って。悠介も、私のことが嫌いなの? 憎んでいるの? 私が邪魔なの?」
「そうよ。悠介が、私に脅迫されて『離婚届』をあなたに叩き付けた、とでも思った? そもそも、本当にあなたは、自分が悠介に愛されているんだと思った?」
「嘘よ! そんなの、大嘘だわ! だって、嫌いな女と、わざわざ結婚するわけないじゃない? それこそ、綾芽は、自分が悠介に愛されているとでも思っているの? 昔から自信過剰な女だとは思っていたけど、ここまでくると病気ね。それに、あなた、夫も子どももいるじゃない? 子持ちのくせして、まだ悠介に固執しているわけ?」
そう清花が言うと、綾芽は、気が狂ったように、けたたましく嗤った。
「やだあ。私、まだ独身なのよ? まあ、言い寄ってくる男は吐いて捨てるほどいるけどね」
「えっ? 何それ? 意味わかんないんだけど」
「勘が鋭い女だと思って用心していたけど、買い被り過ぎだったかしらね」
そう言いながら、綾芽は、美咲の方を見て目で合図をした。美咲は、ドアの方へ向かい、顔一つ分くらい開けて、ドアの向こう側にいるらしい人と何かを話していた。やがて、ぎぃと薄気味悪い音を立てて、ドアが開いた。長身の美しい顔立ちの男は、唇の間から白い歯を覗かせて、
「清花さん、騙していて申し訳ない。ちょっと訳ありでして……綾芽さんの夫の振りをさせて頂きました。息子の大智は、私の本当の息子です。血の繋がりはありませんが」
と言った。衝撃的な事実を目の前にして、清花は言葉を発することができなかった。
「私ね、今、悠介と一緒に暮らしているの。とっても幸せ。だって、私たち、子どもの頃からずっと愛し合っているんですもの。ねえ、本当はあなた、知ってたんでしょう? 悠介が同情からあなたと結婚したこと。だって、私たちが結ばれたら、あなた、また、何かやらかしそうなんだもの。私の言うことが嘘だと思うのなら、ここに、本人連れて来てもいいけど?」
清花は、綾芽に気圧されて指先すら動かすことができなかった。
「なあに? だんまりなの? さっきまでの威勢は何処に飛んで行っちゃったのかしら? ねえ、最期に、もう一回だけチャンスをあげる。私だって、できることなら、『幼馴染の親友』に酷いことしたくないもの……『離婚届』を提出してっ! 清花自身の意志で! 悠介との終止符を打つためにも、自分自身の意志で出すべきなの! そして、どこか遠い場所で、新しい人生を切り拓いた方が、清花にとって幸せだと思わない?」
長いこと沈黙が続いた。冷気がコンクリートの箱の中をしゅるりと駆け巡っていた。
「それは……それだけは……できない」
清花がやっとのことで絞り出した言葉に、その場にいた全員ががっくりと肩を落とした。
「そう……残念だわ……」
そう言って、綾芽だけ、箱の外へ消えて行った。
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