第三幕ー43
清花はゆっくりと躰を起こした。ギシギシっという音がした。清花が眠らせられていた古いパイプベッドが軋んだ音だった。何億出したら手に入れることができるのか見当もつかない純白の豪邸。清花がこの豪邸の中に立ち入ることが許された部屋は、リビングとダイニング、そして、かつて綾芽の母の紫がネイルサロンとして使っていて、今は、綾芽の「プライベート ネイルサロン ルーム」となっている部屋。どの部屋も手入れが行き届いていて、家具や調度品はすべて高級なものだった。それなのに、この部屋にあるのは、通販で購入したような安っぽいパイプベッドと小さな折り畳み式のテーブルだけで、まるで、独房のようだった。
ならば、一体この部屋は何だというのだ? 四方は薄墨色のコンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれ、窓はない。光が入ってこないため昼と夜の区別もつかず、天候もわからない。そして、水分を吸い込みやすいコンクリート壁の所為か、部屋全体がじめじめとしていてかび臭い。
「ねえ、美咲、ここは何処なの? 美咲のお家?」
美咲は困惑した表情をして、答えて良いものかどうか逡巡しているようだった。その時、丁度、ドアがぎぃと開く音がした。壁の一部分が長方形に切り取られたのかと思うほど、ドアの部分は周囲の壁と同化していて、其処にドアがあるということに、清花はまったく気付かなかった。
「ここはね、私の家の地下室よ。昔は、パパとママのお友達をお招きして、ここでクラシックパーティーをしたりしていたのよ。少し床が高くなっているところがあるでしょう? あそこにはグランドピアノが置いてあったの。私は、そんなに音楽好きじゃなかったから、パパとママが広尾のマンションに引っ越しする時、ピアノ好きだったママが持って行ったのよ。あれから六年。この部屋を使うのは初めてだわ。使わないで済むことを願ってたんだけどね」
今まで見たことがないような、美しい狂気を顔に浮かべながら綾芽が清花の質問に答えた。思わず、清花は身震いをした。氷河に引き摺り込まれ氷漬けにされるような恐怖を覚えた。
「眠ってしまった私をこの部屋まで運んで休ませてくれたのね。ありがとう。私、もう大丈夫だから、そろそろ家に帰るわね」
立ち上がり、ドアに向かって帰ろうとする清花を美咲が引き止めた。
「どうしたの、美咲? さっきから様子が変よ? 明日は仕事だし、多忙な綾芽のお家に長居するのも申し訳ないから、そろそろお暇しましょうよ?」
「清花、アンタは、しばらくの間ここに居てもらうことになったんよ」
「えっ? どういうこと? 私、帰る家なら、ちゃんとあるわ」
「帰すわけにはいかないんよ! 清花が悪いんよ! 私、何度も何度も忠告したじゃん!」
「『忠告』って、もしかして、悠介との離婚問題のこと?」
「そうだよ! 清花が、さっさと離婚届出してくれれば、こんなことしなくて済んだのにっ!」
美咲の頬を涙が伝った。
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