第三幕ー45『第十場』
清花が北原邸の地下室に監禁されてから、おそらく十日ほどの時が経過した。おそらくというのは、この部屋には一切の光が射し込むことがなく、時計もなかったからだ。パソコン、スマートフォンは勿論のこと、テレビや雑誌などの外界の情報はすべて遮断されており、独房か閉鎖病棟のようだった。拘束具がつけられていないのはせめてもの情けなのかもしれない。しかし、美咲と、「ミヤマ」と名乗る綾芽の旦那役を演じていた男が交替で清花を監視していたので、この部屋から脱出するのは事実上不可能だった。美咲とミヤマは、この部屋に入室するときに腕時計やスマートフォンなどを持ち込まない。綾芽の指示だろう、と清花は思った。しかし、一度だけ、美咲がうっかりしたのか、腕時計をしたまま入室してしまったことがあった。数分後に気付いた美咲がハッとした表情をして腕時計を外しポケットに仕舞ったが、清花はこれを見逃さなかった。
「二月七日。十九時十分」
清花が監禁された日は「北原 紫ネイルスクール創立十周年祝賀パーティー」が開催された一月三十一日だから、その日から約一週間が経過したことになる。美咲の失態のお陰で、清花は、美咲とミヤマの交替の時間などから日にちと時間をおよそではあるが把握することができるようになった。
スクールの勤務時間は九時から十八時。スクールの所在地である銀座駅から成城学園前駅までは約三十五分。成城学園前駅から北原邸まで徒歩でおよそ十分。乗り換えに要する時間もあるし、受付事務は、来客対応などで多少残業が発生してしまう日もあった。それらを全部ひっくるめて考えても、美咲が監視役としてここに入室する時間は、およそ十九時くらいであることが予想できる。二月七日に美咲が失態をやらかした日、清花は、十九時十分から、頭の中で好きなドラマを再生した。民放の五十四分ドラマの場合、CM約六分をカットした実質上の長さは四十八分であるということを、清花は仕事の休憩時間にスマートフォンで調べたことがあった。十九時十分から脳内ドラマは第四回まで放映された。その後ほどなくして、ミヤマが美咲と交替で入室してきたことから、美咲の平日の監視時間は十九時から二十二時三十分から二十三時の間であると仮定した。対して、ミヤマの監視時間は、二十三時頃から翌日十九時と長時間に渡るため、ミヤマは、二十四時くらいになると、地下室を出て、北原邸の地上の部屋のどこかで翌朝六時か七時くらいまでモニターで清花を監視している筈だ。なぜなら、部屋の四隅には四台のボックス型の監視カメラ、中央の天井にはドーム型の監視カメラが、これみよがしに設置されていたからだ。唯一カメラが取り付けられていないのはトイレだけだったが、清花が五分以上トイレから出てこないと、直ぐにミヤマが地下へと駆けつけて来る。清花は、決して優秀とはいえない脳を最大限に使って、ここから脱出する方法を考えてみたが、正攻法では不可能であるという結論に至った。この光も自由もない闇の中で自分は消耗し発狂し、誰にも知られることなく、虫けらのように死んでいくのだろうか? そう思ったら悲しくて虚しくて悔しくて、とめどなく涙が流れた。なぜ、自分はこんな酷い目に遭わなければならないのだろう? ただ、一人の男を愛しただけなのに。
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。
清花の心に火が点いた。どうせ、こんなところで野垂れ死ぬのなら、あの女に一矢報いて死んでやろうじゃないか。小さな火種はやがて、烈火の如く猛々しく、清花の中で渦巻いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます