第三幕ー33
清花は、茫然として、ただただ、棒のように立ち尽くすだけだった。数か月前まで悠介と暮らしていたボロアパートがあった筈の場所は更地になっており、灰茶色の地面の所々には枯れ草が生えて寒風に吹きさらされていた。元・松永家の左隣に二軒建っていた同じ形のボロアパートも跡形もなく消え去り、静寂が広がっていた。どれくらいの時間、其処に立ち尽くしていたのだろうか。薄墨色の虚空から雨粒が清花の頬に堕ちてきて初めて「寒い」と清花は思った。
五百メートルほど離れた一軒家に住んでいる筈の大家のお婆さんの家を目指して、清花は無心で歩き始めた。古風で立派な門戸には「中村」という表札があり、
『月極駐車場、空きあります、中村 〇三ー〇〇〇〇ー××××』
と書かれた看板が掛けられていた。敷地内には東京二十三区内とは思えないほどの広い土地が広がっており、砂利敷きの駐車場には十台ほどの車が停められていた。玄関のチャイムを押すと、「はーい、ちょっとお待ちください」という老女の声が聴こえてきた。間違いなく大家さんの声だった。曲がった腰を押さえながら玄関先まで出て来た大家さんは、清花の顔を見て、おやっ? という表情を浮かべ、
「あら、松永さんとこの奥さんじゃないの? お久しぶりねえ。どうしたの?」
と言った。
「ご無沙汰しております。あの、『コーポ中村』が更地になっていたのですが、何かあったのでしょうか?」
「あのアパートは老朽化が酷くてねえ。実際、入居者が居たのは、お宅とお宅の左隣のアパートのご高齢の一人暮らしの爺さんだけだったんだけど、その爺さんも、千葉に住んでいる息子夫妻の世話になることになったらしくて退去したんだよ。リノベーションでもして新たに入居者募集しようか迷ったんだけどね。うちは、押上(おしあげ)駅周辺にあるマンションが人気あって満室状態だから、こっちはもう手放してもいいかなあと思ってね。って、あんたたち夫婦だろう? この話知らないのはおかしいじゃろう?」
大家さんは、訝しそうな顔をして訊いてきた。
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