第三幕ー29


 清花は、生まれて初めて、冬空が”青い”と思った。今まで、清花の視界に映る冬空は鉛色だった。シベリア大陸で発達した冷たい空気が、日本海を渡って来る間、海上で水蒸気を蓄え、積乱雲を発生させ日本海側に雨や雪を降らせ、水分を落とした雲は、山を越えた後、乾燥した風と成り太平洋側に吹いていくという。だから、日本海側に住む人々にとっての冬空は鉛色で正しい。そして、関東地方に住む人々にとっての冬空は「青い」。清花の目に映し出されていた鉛色の冬空は、今までの清花の心の色そのものだったのだろう。クリスマスが間近に迫っていることもあり、街はクリスマス一色で、道行く人々の顔は遠足を翌日に控えた無邪気な子供のように弾んでいた。

 北原邸のエントランスには、清花が住むアパートに置いたら居場所が無くなってしまうのではないかしら? と思うくらいの大きなクリスマスツリーが飾ってあった。リビングにも大きなツリーがあり、竜司さんと大智くんが楽しそうに飾り付けをしていた。美咲と清花に気付いた竜司さんは、いつものように優しい声で、

「いらっしゃい。ちょっとバタバタしてるけど、気にしないで寛いでいってくださいね」

 と言った。大智くんは、美咲に懐いているようで、美咲に抱っこをせがんで子ウサギのようにぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

「もうすぐ、お料理の準備ができるから、二人とも好きな場所で寛いで待っててね」

 キッチンから、綾芽の凛とした声がし、美味しそうな匂いがリビングの方に流れてきた。間もなくしてキッチンの方から、

「みんなー、ランチの準備できたから、こっちに集まってー」

 という綾芽の号令が聴こえてきた。清花がキッチンの方に足を踏み入れるのは初めてのことだった。綾芽が可動式の間仕切りドアを開けると、そこには、まるで、隠れ家的な洒落た高級レストランのような空間が広がっていた。六人掛けのダイニングセットは黒を基調としていて、天板は大理石で作られていた。対面式キッチンは奥行きが広く、向かい側には高級バーのカウンターチェアーのような脚の長いタイプの椅子が四脚並んでいた。テーブルの上には所狭しと大皿料理が並べられており、どの料理も綺麗に盛り付けられていた。

「すごいわっ! このお料理、全部、綾芽の手作りなの?」

 思わず、清花は感嘆の声をあげた。

「そっか。清花は、綾芽の手料理を振る舞われるのは初めてだっけ? 綾芽は料理も得意なんよ。本当、竜司さんや大智くんが羨ましいわあ」

 と、美咲が言った。

「やだ、そんなことないのよ。一見すごそうに見えるけど、レトルトとかを利用した簡単料理が多いの。恥ずかしいわ」

 そう言って、綾芽は照れ臭そうに笑った。

「そんなことより、清花が『北原 紫ネイルスクール』の正式な社員となったお祝いの乾杯をしましょう! 乾杯っ!」

 そう言って、グラスを交互にちりんちりんと交わした。皆が口々に、おめでとう、と清花に祝いの言葉を掛けてくれた。目頭が熱くなった。嬉しかった。こんな自分のために祝いの場を設けてくれて、皆が優しい言葉を掛けてくれることが。自分を必要としてくれる人たちがいてくれることが……しかし、嬉しい気持ちの背後には筆舌に尽くしがたい暗澹たる思いがべっとりと貼り付いていた。

「さやかおねえちゃん、おめでとうございます!」

 大智くんが清花の元に駆け寄り大人たちの見よう見まねで、オレンジジュースが注がれたコップを清花のグラスにちりんと合わせた。刹那、清花の目から涙が溢れ出た。皆の視線が清花に注がれた。

「あっ、やだっ! 私ったら、皆さんの優しさが嬉しくて、つい……今まで嬉し涙なんて流したことなくて。恥ずかしいわ」

 清花は受付事務の仕事で身に着けた自然に見える笑顔を拵えながら、

「ちょっと、大智くんと、リビングの方で遊んで来てもいいかしら?」

 と、皆にきいた。ざらついた感情を落ち着かせるため、この場を離れるための口実だった。

「ええ、勿論よ! 大智、向こうのお部屋で、さやかおねえちゃんが大智と遊んでくれるって」

「ほんとう? うれしいなっ」

 そう言って、大智は無邪気にはしゃいだ。

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