第三幕ー24

 職場がある銀座周辺だと職場の人たちと鉢合わせしてしまうかもしれないからという理由で、美咲と清花は、東京メトロ丸ノ内線で新宿へと移動した。新宿駅東南口改札を出て五分ほど歩いたところにあるダイニングバーの個室に腰を下ろした二人は、ふうっとため息を漏らした。

「とてもお洒落なお店ですね」

「そうでしょ? この店は元カレと昔よく来てた店なんよ。私の元カレデブ専だったんよ。『美咲ー、好きなだけ食えー』って言ってさ、私は家畜じゃないっちゅうに! せっかく彼好みのおデブちゃんになってあげたのにさ、私より好みなデブ女みつけたみたいで、あっけなくフラれたわ。ひどい話だと思わん?」

 清花が神妙な顔をしていると、美咲が大笑いした。

「もうっ! 松永さん、本当真面目だなあ。場を温めようと思っておもろい話したのに。元カレに未練あったら、この店選ばないって!」

「ごめんなさい……私、昔から内気な性格で、学生時代もクラスのみんなと馴染むことができない浮いた存在だったんです。だから、夫も、うじうじした私に苛々して……」


 『馬鹿! 愚図! 根暗! ブス! オマエみたいな、なんの取り柄も魅力もないような女を俺の妻にしてやったんだ! ありがたく思え!』


 悠介に浴びせられた罵声が清花の脳裏を過り、清花は口を噤んだ。

「なんか、いろいろ抱え込んでそうだね。私で良ければいくらでも話聞いちゃる! とりあえず、飲もう! 乾杯しよっ! 乾杯!」

 美咲に促され、二人はグラスを重ねた。ちりんとした硬質な音が心地良く個室に響いた。

「プライベートな悩みだったら、いくらでもオールでも聞いちゃるから、酔っぱらって記憶無くす前に、職場の話からするけど、よい?」

「はい。よろしくお願いします!」

「まずは、松永さん……めんどくさいな、『清花』って呼んでよい? 私のことも『美咲』って呼んでくれたら嬉しいわ。私、職場以外で敬語使うのいやなんよ」

「はい! 美咲……さんが好きなように呼んでください」

 悠介と綾芽以外の人を名前呼びしたことがない清花が、出逢って間もない人に対し名前呼びをするのは頑丈なコンクリートの壁をハンマーで叩き壊すくらい難しいことだった。そんな清花を見て、美咲は、また豪快に笑い、

「まあ、よいわ。『美咲さん』で。慣れたら『美咲』って呼んで。で、話の続きなんだけど、『北原紫ネイルスクール』内部には二つの派閥があるの。一つは、スクールの創始者であり取締役会長の紫先生を支持するベテラン講師陣たちとベテランスタッフたちの派閥。その中でもいちばん面倒くさいのは、講師の緑川貴美子」

 状況が読めてきた清花は、思わず「あっ!」と声を漏らした。

「そして、もう一つは、紫先生の娘の綾芽さんに強い憧れを抱き支持する若い世代の講師陣やスタッフたち。ちなみに、私も、綾芽さん派に属してる。もちろん、紫先生のことも尊敬してるし、北原親子も仲良しよ。お二人とも内部にこんな変な派閥ができてしまったことに対して心を痛めてるし、私も派閥なんてくだらないもんには関わりたくないんだけど、いちおう、自分の立ち位置を決めておかないと、それはそれで面倒なんよ。私が入社した頃はこんな派閥なくて、みんな和気あいあいとやってたんだけどね」

 そう言って、美咲は、モスコミュールで喉を潤した。

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