第三幕ー23『第五場』

 九月下旬。


 空は高く、綿あめを小さく一口サイズにちぎったみたいなうろこ雲が列をなしてぷかぷかと浮いていた。澄み渡る秋空とは裏腹に清花の心は重く沈んでいた。「北原 紫ネイルスクール」に勤務し始めて一週間が過ぎようとしていたが、清花は一向に職場に慣れず悩んでいた。自分の生来の内向的な性格は良く知っているので、新しい環境に馴染むのに時間がかかるのは想定内だった。しかし、想定外の事が起こってしまい、清花は「北原紫ネイルスクール」で働く講師や事務スタッフたちの大半の人から反感を買ってしまったのだった。


 事の発端は、ネイルアートだった。

「松永さん、素敵なネイルしてらっしゃるわね」

 このスクール最古参の講師である緑川貴美子みどりかわ きみこに話し掛けられた清花は、彼女の言葉を額面通りに受け止めてしまった。そのネイルアートは清花の入社祝いにと綾芽が施してくれたもので、ピンクベースに白のエンボスフラワーが描かれていた。綾芽は「この花は『スノードロップ』をイメージしたの。花言葉は、希望、逆境の中の希望、慰め、もしもの時の友、楽しいお告げ、なの。どう? 今の私たちにぴったりな花言葉じゃない?」と言っていた。清花もこのデザインがとても気に入っていたので、緑川講師に褒められたのが素直に嬉しく、

「ありがとうございます。このネイルは、北原社長にしていただいたものなんです」

 と、余計なことを口走ってしまったのだ。それを聞いた緑川講師の顔が醜く歪み、近くに居た若いスタッフたちも騒めいていた。

「あら、あなた、北原社長とはどういったご関係なの?」

 不穏な雰囲気に圧し潰されそうになった清花は、言葉を失った。理由は分からないが、自分が何かをやらかしてしまったことは明らかだった。緑川講師の無言の圧の中、清花は生きた心地がしなかった。その時、凍てついた空気を溶かすような、明るい太陽のような声が事務所内に響いた。

「緑川先生、外線一番に紫先生からお電話です!」

 先輩の受付事務スタッフの、城戸美咲きど みさきだった。美咲は、清花にこっちに来るようにと手招きをした。

「あの……ありがとうございました。私、なんかまずいこと言っちゃったみたいで」

 今にも泣き出しそうな清花の表情を見て、城戸美咲は、

「ううん、もっと早くに、このスクールの内部事情を教えてあげられなくてごめんね。松永さん、今日、仕事終わった後、少し時間とれるかな? ちょっと、対策練ろう!」

と言った。

「はい。時間大丈夫です。いろいろ教えてください。よろしくお願いします」

 清花が深々と頭を下げると、美咲は、

「そんな堅くならなくていいよ。松永さんと私、タメでしょ? もっとフレンドリーでオーケーだから」

 と言って、向日葵みたいにニコッと笑った。美咲の明るさとおおらかさに清花は安堵した。

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