第三幕ー21

 東京メトロ南北線なんぼくせん 六本木一丁目ろっぽんぎいっちょうめ駅で下車した悠介は、綾芽が契約をしたという高級タワーマンションの前で立ち止まった。地上二十五階の建物の最上階は今にも天に届きそうで、まるで「バベルの塔」のようだった。もしかしたら、今ふたりがしていることは、神の怒りに触れるかもしれないな、と悠介は思った。高級マンションはセキュリティも厳重で、綾芽が居る二十三階に辿り着くまでに、かなりの時間を要した。高級ホテルのフロントのような煌びやかなエントランスホールには、フロントコンシェルジュが常駐していた。綾芽が、「きちんとした身なりで来てね」と言った意味を悠介は身をもって理解した。

 ようやく綾芽の元へ辿り着いた悠介は、ふうっとため息を吐いた。

「高級マンションっていうのは、こうも面倒臭いものかねえ? フロントの姉ちゃんが、俺のこと不審者見るみたいな目で見てたぜ。これでも小綺麗にしてきたつもりなんだけどな」

「このマンションには、政治家や芸能人、会社社長とか、経済的にゆとりのある人たちが多く暮らしているのよ。だから、セキュリティはどうしても厳重になってしまうの。悠介も直ぐに慣れるわ」

「俺みたいな社会の底辺を這いずり回って生きてる奴からすりゃ、ここは異世界だぜ。そいつらと肩並べてるオマエも大概すげえけどな」

 約二年ぶりにワイシャツを着た悠介は、面倒くさそうにボタンを外しながら、両手両足を伸ばして、ふかふかのソファの上にどすんと腰掛けた。

「着替える?」

「ああ」

 綾芽は、悠介の背後に回りワイシャツを脱がせ、ハンガーに掛けた。箪笥の底から引っ張り出してきたのだろう。安い防虫剤の強い臭いが綾芽の鼻をかすめた。綾芽は、悠介の隣に寄り添うようにして腰掛けた。悠介の体臭が綾芽の中の女を刺激し、下着を汚した。

「清花、家を飛び出してからあなたに一度も会ってないって言ってたけど、本当なの?」

「ああ。俺が不在の時を狙って来てる可能性はゼロじゃねえけど、一度も会ってないっていうのは嘘じゃねえよ」

「彼女、あなたに会ったら殺されるかもって言ってたわ。ちょっとやり過ぎたんじゃないの?」

「ああ。最初は手加減してたつもりだったんだけどな。アイツ、うじうじ、じめじめしてるだろ? 『私は悲劇のヒロイン。耐えるしかないの』みたいな面見ると、ついカッときちまうんだよな。俺の躰ん中にはクソ親父と同じ汚ねえ血が流れてるんだ。所詮抗うなんて無理だったんだよ。もしもアイツの分の血だけまっとうな男の血と入れ替えることができたら、俺はまともな人間に成れるのかね?」

 悠介はそう言って、ウイスキーを喉に流し込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る