第三幕ー20『第四場』

「チッ! 激アツじゃなかったのかよっ! 散々期待させやがって!」

 怒りが爆発した悠介は台をガンガン拳で叩いた。周りの客たちは眉間に皺を寄せ迷惑そうな顔をしている。他の客が通報したのか、がたいの良い店員が悠介の方に一歩足を踏み出した瞬間、悠介の左隣の台に、艶のある亜麻色のロングヘアの女がすっと座り、右隣の台の現金投入口に一万円札を入れた。

「また負けてるの? 苛々する気持ちは分からなくもないけど、台を破壊して良いことなんかひとつもないわよ? 警察呼ばれて何百万もする台の弁償をさせられて、出禁にされるだけ。どう? それでもやめない?」

 女は小さな子供を諭すように言って、悠介の耳元に艶のある形の良い唇を当て、

「店員にマークされてるわよ。台パンはやめた方がいいわ」

 と甘い声で囁いた。女は、がたいの良い店員の方に向かって、丁寧に頭を下げた。店員は顔を上げた女の顔を見て頬を赤らめ、そそくさとその場を去って行った。

「サンキュー、綾芽! オマエが来るのがもう少し遅かったら、俺、完全に出禁になってたな」

「悠介、カッとなると、周りが見えなくなるんですもの。少し気を付けた方がいいわ」

 綾芽はそう言いながらも、自分も悠介と同類の人間であることを分かっていた。苛々を貯蓄する容器のサイズが悠介と自分では違い過ぎるだけなのだ。悠介の容器は小さくすぐ満タンになって溢れ出すのに対し、綾芽の容器は大きく満タンになるまで時間はかかるが、溢れ出した苛々の量は悠介の比ではない。我を失い、狂気に支配され、何をしでかすか分からない自分に、綾芽は常に怯えていた。

 綾芽は悠介が打っている台のデータランプを見てため息を吐いた。千回転を超えていたからだ。

「ねえ、ちょっと、その台、ハマり台なんじゃない?」

 綾芽は、悠介のセブンスターのボックスから一本拝借し、紫煙を燻らせながら言った。

「いやっ! この台はきっとくる! 俺の勝負勘がそう告げてる!」

 悠介の勝負勘は致命的だ。いい加減ギャンブルに向いてないって気付けばいいのに、と思いながら、綾芽は暇つぶしに自分が座った台を打ち始めた。二十二回転で大当たりを引いた。悠介が目を丸くして、綾芽の台を見ていた。

「うわっ! なんだよ、それ? ずっりいなあ」

「あら、こんなこともあるのね。良かったら、交換してあげましょうか?」

 綾芽は悠介を揶揄うように微笑んだ。

「バカ言うなよっ! ここまできて今更辞められるかよっ」

「私、これから、雑誌のインタビューのお仕事が入ってるの。せっかく確変入ったのになあ。誰か私の代わりに打ってくれる人いないかなあ? 困ったなあ」

 綾芽はいたずらっ子みたいな笑みを浮かべて、悠介を上目遣いで見つめた。

「うーん。そういうことならしょうがねえなあ。俺が代わりに打ってやってもいいぜ」

「本当? ありがと」

 綾芽が立ち上がり、悠介が左隣の台にスライドしてきた。綾芽は、悠介の耳元に唇を当て、

「ねえ。新しいマンション契約したの。今晩、空いてる?」

「訊くまでもねえだろ? 俺は、ご覧のとおり、毎日が夏休みだよ」

「そう。じゃあ、待ってるわ」

 そう言って、綾芽は「ソワレ」を後にした。

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