第三幕ー13

 一通りの話を聞いた綾芽は、暫し何かを思案しているようだった。そして、数分後、「ちょっと待っててくれる?」と言って、席を外した。綾芽が席を立って数分後、綾芽のスマートフォンから、ミニー・リパートンの『Lovin’ you』が流れてきた。甘く美しいメロディーを聴いた清花は、昔の優しかった頃の悠介に思いを馳せ、辛い現実から目を背け、妄想にふけた。そして、ふらりと立ち上がり、サイドボードの上の入学式の写真をまじまじと見つめた。「阿佐美高等学校」の入学式に撮ってもらった写真で間違いない。この写真を撮ったのはいったい誰であったか? 記憶の糸を手繰っていると、背後から綾芽の声が聴こえてきた。

「この写真を撮ってくれたのはね、学校側が契約を交わしていたプロのカメラマンさんよ。卒業アルバムに載せたいって言ってたわ。『この写真、記念に欲しいなっ』て言ったら、彼、名刺をくれて、『スタジオに用意しておくからいつでも取りに来てね』って言ったの。ちょっと私を見る目が怪しかったんで、パパと取りに行ったの。二人にはあげなかったかしら?」

「ええ、たぶん」

「思い出したっ! あのカメラマン、私の分しか用意していなかったんだわっ! 友達の分も欲しいって言ったら露骨に嫌な顔されたの。ごめんね」

「いいのよ。気にしないで。それより、少し前に、綾芽のスマホに着信があったみたいよ」

「ほんと? 教えてくれてありがと」

 そう言いながら、綾芽はスマートフォンの着信履歴を確認して嬉しそうな顔をした。

「ごめん。旦那からだわ。ちょっと掛け直してもいい?」

「もちろんよ」

 綾芽はカウンターで仕切られたリビングダイニングのダイニングスペースの方に行って、楽しそうに旦那さんと話を弾ませていた。

「どう? 新規取引先とは契約できそう? うん、うん。そうなの? それじゃあ、帰国したらお祝いしなくちゃね! 大智だいちはいい子にしてるわ。パパに会えなくて寂しそうだけど。 そうね。そうしてあげて。きっとあの子喜ぶわ」

 綾芽の凛とした声は清花に筒抜けだった。絵に描いたような幸せ家族。綾芽の幸せそうな様子をまざまざと見せつけられて、清花は心底自分を惨めに思った。

「何度も席外しちゃってごめんね。旦那、商社マンで、今、シンガポールに出張中なの。いつか、清花にも紹介したいわ。そうそう! 私、これ用意しに行ってたんだったわ! 忘れるところだった」

 そう言って、綾芽は、茶封筒を清花に手渡した。

「えっ? これ何?」

「五百万入っているわ。それで借金返済できる?」

 悠介が作った借金額は、四百八十万円。一括返済しても少しお釣りがくる金額だった。

「えっ? そんな? ここまでしてもらったら、私、どうしたらいいか……」

「なにも差し上げるわけじゃないのよ。『北原銀行』からの借入金だと思ってちょうだい。ただし、無利息。支払い期限は設けないわ。毎月、少しずつ返済してくれればいいから。ね? ただで五百万貰ったんじゃ逆に怖いでしょうけど、これなら怖くないでしょ?」

 茶封筒を握りしめる清花の手が震えていた。清花は、過去に自分が綾芽にしたことを猛省した。とめどなく涙が零れ堕ちた。

「あ、ありがとう。私、頑張って働いて、きっと全額返済するから。本当にありがとう、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 清花の口から、感謝と謝罪の言葉がとめどなく溢れた。

「いいのよ。もう、昔の蟠りは捨てましょう! 困ったことがあったら、いつでも頼ってくれていいのよ」

 綾芽の慈愛に満ちた言葉が、清花の凝り固まった心をゆっくりと解きほぐしていった。再会の約束を交わし、清花は北原邸を後にした。

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