第二幕ー38
「聖アガタ女学院」の制服は黒を基調としたシンプルなセーラー服で、下手に意匠を凝らしていないところが名門校ならではの品の良さを醸し出していた。大半の生徒は、上流階級の家庭で英才教育を施された躾の行き届いた犬みたいに、従順でおっとりとしていた。「ごきげんよう」と、真面目に挨拶された時は思わず吹き出しそうになった。敷地内には修道院も併設されていて、朝の祈りと夕べの祈りが毎日の日課になっていた。まるで不思議の国に迷い込んでしまったアリスにでもなったような気分だった。スクールカーストは生徒自身の評価ではなく、生徒の親の職業や出身大学などをもとにピラミッドが築き上げられており、まるで、中世ヨーロッパの宮廷舞踏会さながらの権威・権力の誇示が横行していた。自分自身の能力が低い子ほど、親の権力を振りかざしていた。何もかもが、鬱陶しくて、くだらなくて、私は、以前のように、皆と仲良くなる努力をする気力すらなく、気付けば、空気のような存在になっていた。
『綾芽は皆がどんなに努力しても手に入れることができないものを生まれながらに持っているの。優秀な頭脳、抜群の運動神経、美しい容姿、皆と仲良くできるコミュニケーション力、カリスマ性……私は、その中のひとつも持っていない! 綾芽はすべてを持っている。私には悠介しかいないっ! だから、私から悠介を取り上げないでっ! お願いっ!』
中二の時清花に言われた言葉が頭を過った。
「なにも……なにももってないよ、わたしだって。だから、ゆうすけをかえして」
虚空に向けて呟いた言葉は、そのまま悲しみの塊となって私の中に入ってきて、私を酷く苦しめた。私は、悠介のことしか考えることができない、ただのビッチに成り下がっていた。
パパとママは、いつになっても新しい環境に馴染もうとせず、無気力になってしまった私を心配し、腫れ物に触るように私に接した。ある日、担任教師からママに「綾芽さんが、いつになっても『進路希望調査票』を提出しなくて困っている」という連絡が入った。激怒したママは珍しく声を荒げた。
「何が気に入らないのか知らないけど、いつまでそうやって不貞腐れているつもりなの? パパとママは、ずっと、あなたの意志を尊重してきた。本当は公立の学校なんかに通ってほしくなかったの! あの子たちと付き合うのもやめてほしかった! それでも、あなたが楽しそうに過ごしていたから黙って見守っていたの! 何があったのか知らないけど、私立に編入したいって言ったのはあなたでしょう? どうして、そんな風になっちゃったのよっ?」
ママが言うことは正論だった。百パーセント私に非があるのは分かっていた。それでも、私は、私を責め立てるママの金切り声が耳障りで、いっそ、耳を切り落としたい衝動に駆られた。
「うるせえなっ! 出しゃいいんだろっ! 出しゃっ!」
そう言って、カバンの奥底でくしゃくしゃになった「進路希望調査票」を取り出し、テーブルの上に叩きつけた。今まで見たこともないような乱暴な私を目の当たりにしたママの目には恐怖の色が浮かんでいた。私の中に流れるあの女の忌々しい血が熱を帯びながら躰中を駆け巡った。飼い慣らしていた筈の「闇」が檻を突き破って濁流のごとく喉元まで迫り上がってきた。清くいたい。美しくいたい。清く、痛い。美しく、痛い。僅かに残っていた理性がなんとかして狂気の暴走を食い止めようとしていた。刹那、私の目に飛び込んできたのは、ママのキラキラ光ったネイルだった。私が好きないちごみるく色のネイルに星の欠片みたいなラインストーンが散りばめられていた。
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