第二幕ー34
十二時四十五分。
清花との待ち合わせの時間までには、あと十五分ほどあった。私は、アイスコーヒーをひとつ注文して、
『予定より早く着いちゃった。先に入って待ってるね』
とLINEをした。清花が店に到着したのは、時計の針が十三時十五分をちょうど指し示した時だった。店内を見遣りおどおどしている清花に私は手を振った。
「ごめん。ちょっと道に迷っちゃって」
清花は不貞腐れたような声でぼそぼそと言い訳をした。呼び出しをされた上に待たされたのは私の方なのに、なぜ、そんなに不機嫌でいることができるのか? この女の傲慢さに私はほとほと呆れた。清花は、小太りのウェイトレスにアイスティーを注文しながら、左腕で額の汗を拭った。腕を上げた拍子にヨレヨレになったパーカーの袖口がストンと上がり、清花の細い手首に刻まれた痛々しい自傷跡が露わになった。私は、あらためて彼女に楔を刺されたような不快な気持ちになった。
「今日は、なんだか暑いね」「そうだね」
「こうして会うのは久しぶりだね」「そうだね」
何を言っても彼女から返ってくる言葉は「そうだね」だけだった。九官鳥と話をした方がよっぽど楽しいだろうにと思った。アイスティーがテーブルの上に置かれると、清花は、ステンレス製のシロップポットに入ったガムシロップを躊躇することなく注いだ。琥珀色のアイスティーに靄が掛かったみたいにガムシロップがゆらゆらと揺蕩う様子を見て、私は思わず目を丸くした。
「そんなにガムシロ入れたら、紅茶の風味無くなっちゃわない?」
そう言うと、
「私、『解離性味覚障害』なんだ。味覚障害にもいろいろあるの。私の場合は『甘味』だけを感じとることができないの。だから、これだけガムシロ入れてもまだ甘さを感じないの」
と言った。
「そう……なんだ」
私は、できるだけ、気の毒そうに言った。
「中二の冬からなの」
突然切り出された「本題」に驚いた私の心臓はバクバクと音を立てた。
私は知っていたのだ。何もかも。
「えっ? そうなんだ。その頃何かあったの?」
まんまと彼女の思惑通りの台詞を吐いている自分がいた。
「綾芽って、もうちょっとクールかと思ってたけど、そうでもないみたいね。ちょっと安心したわ。その演技力じゃ女優にはなれないね」
彼女は口元に気味の悪い薄笑いを浮かべながら言葉を繋いだ。
「気付いていたんでしょう? あの日、私が、保健室でずっと悠介と綾芽のことを見ていたことに」
そうだ。私は、気付いていた。あの日、保健室でずっと清花に監視されていたことに。
「ねえ、どんな気分だった? 私が悠介のこと死ぬほど好きなこと知っておいて、彼とキスするところを私に見せつけるって、どんな気分なの? 興奮した? 楽しかった? ねえ、教えてよっ!」
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