第二幕ー33

 よく晴れた日曜の午後だった。私はクローゼットから純白のワンピースを取り出した。ママと青山のセレクトショップで一緒に選んだ服だ。この染みひとつない純白のワンピースを身に纏っていれば、私は正気を失わないでいられるような気がしたのだ。

 休日午後の錦糸町きんしちょう駅は人々でごった返していた。人々の話し声、笑い声、赤ん坊が泣き叫ぶ声、足早に過ぎ去る人々の足音、嘆息……ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ。過敏になっていた私の神経はこれらのノイズに触れ、苛々を増幅させていた。ふと、一筋の光のような歌声が耳に飛び込んで来た。声の主は、路上ライブを行うアマチュアのミュージシャンだった。華奢な体にアコースティックギターを携えて懸命に歌う彼女の歌声は私のささくれ立った心を優しくコーティングしてくれた。しかし、彼女の歌声に足を留める人は少なく、私を含め三人しか聴衆はいなかった。私は、彼女の自主制作CDを手に取り、

「今歌っていた曲は、この中に収録されていますか?」

 と訊いた。彼女はにっこり微笑んで、

「三曲目の『淡い恋』という曲です。幼馴染に恋をした少女の切ない恋心をこの曲に込めました」

 と答えた。自覚している以上に感傷的になっている自分に対し自嘲するような薄ら笑いを浮かべた私を見て、彼女は少し怪訝な表情を浮かべた。私は、

「このCDください。とても素敵な曲なので、幼馴染にもおすすめしてみます!」

 と言った。彼女は、「ありがとう」と嬉しそうに言った。


 錦糸町駅周辺の人混みを掻き分け裏通りに足を踏み入れ十分ほど歩いたところに、清花との話し合いの場として私が指定した喫茶店が入った雑居ビルがあった。ビルの前では、インド人男性がビラを配っていた。二階のインド料理店の店員のようだ。彼が私の姿を視認するなり私の方へ歩み寄って来たので「ごめんなさい。ちょっと急いでいるの」と制止して、丁度到着したエレベーターの籠に飛び乗った。五階建ての建物の二階突き当りにある「喫茶プラハ」は、ママのお気に入りのお店で、私はここのコーヒーが好きだった。琥珀色の木のドアを開けると、ドアベルが振動し、見たことのない小太りの中年女性のウェイトレスが、

「いらっしゃいませえ。おひとり様ですかあ?」

 と決して広くない店内に響き渡る明瞭な声できいてきた。

「あっ、いえ。あとから一人来ます」

 そう伝えると、ウェイトレスはいちばん奥の席に案内してくれた。

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