第二幕ー30


 高校生に成って少しだけ「大人」の世界に近づいた私は、表面上だけ親しそうに演じる狡猾さを身に着けた。肚の底でどんなに薄汚い憎悪の感情が渦巻いていたとしても、めっきで被覆するくらいのことは可能だった。不運にも、清花と同じクラスになってしまった私は、何かにつけて「清花、清花!」と話し掛けて、クラスメイトたちに、「二人は幼馴染アピール」をした。中学時代同様、私は、あっという間にクラスメイトたちの心を掴み、清花は浮いた存在となった。「太陽」と「月」。「光」と「影」。私と清花は、まさに真逆の存在だった。成るべくして、短期間でスクールカーストというくだらないピラミッドの頂点に祭り上げられた私に、純粋に憧れる取り巻きたち、私と親しくすることでピラミッドの上層部にカテゴライズされようと私を利用する者たち、私を妬む者たち。私の周りには常に人が群がっていた。特に、クラスメイトの瑞樹みずき紗理奈さりなの私に対する忠誠心は相当なもので、私が、スクールカーストの内弱者である清花に対し気遣う様を、彼女たちが内心不快に思っていることを私は知っていた。しかし、私が、清花を蔑ろにしたならば、清花はクラスで完全に孤立し、最悪いじめのターゲットにされるかもしれない。私は、清花に対し恩を着せていたのだ。たとえ、それが、清花にとっては余計なお世話だったとしても。

 中学時代、生徒会の活動に専念していた私は、高校生になったら何か部活に入りたいと思っていた。できれば運動部。少女漫画の世界で繰り広げられるような「青春」を味わってみたかったのだ。この話を悠介にすると、彼は、

「だったら、綾芽もテニス部に入ろうぜ! 学校の部活動なら、綾芽のお母さんも反対しないだろ?」と言った。

 私は、アメリカで暮らしていた頃、二年ほどテニスのプライベートレッスンを受けたことがある。小学生の頃、私がテニス経験者であることを知った悠介は、彼が通っているテニススクールに私を誘い、私も乗り気だったのだが、にべもなくママに断られた。ママは勉強が疎かになることを理由にしていたが、本当は、悠介と私を必要以上に近づけたくなかったのだと思う。悠介にテニス部に誘われた時点で私の心は決まっていた。しかし、問題は清花だった。中学時代に彼女が起こした自殺未遂事件は悠介と私の心に重くのしかかり、私たちは腫れ物に触るように彼女に接するようになった。あの自殺未遂の原因は受験勉強と家庭環境のストレスだったという彼女の言葉を悠介は信じて疑っていないようだったが、本当の理由を知っていた私にとって、清花の存在は呪いのようなものだった。


『私は、悠介を失ったら死ぬの。他の誰でもない。あなたに悠介を奪われたら、私、本当に死ぬから!』


 私は、清花に言われたあの言葉を思い出すたび、いっそのこと、アレを殺してしまえば楽になれるのではないか? などという、とても正気の沙汰とは思えない恐ろしいことを考えてしまう自分が恐ろしかった。私の躰の中にはあの女の血が流れている。きっと、どす黒い血に違いない。いつか、穢れた女の血が私の躰全体を支配する日が来るのだとすれば、トリガーになるのは、きっと清花に違いないと確信していた。

「そうだね。今度、見学に行ってみようか?」

「そうしようぜっ! 新入生オリエンテーションの時のテニス部の部活動紹介良かったよな?」

「うん! 先輩たち優しそうだったし……ねえ、清花も誘ってみる?」

 悠介は、ちょっと困ったような顔をした。

「清花は運動苦手だからなあ。人見知りも激しいしどうだろう?」

「いちおう、声掛けてみるよ!」

「わかった! じゃあ、お願いするよっ!」

 昔から清花は、悠介と私が、彼女の知らない話で盛り上がると露骨に不機嫌になった。彼女に何も断りもなく悠介と私がテニス部に入部したことを知ったら、また、何をしでかすかわからない。清花は「弱さ」という最強の鎧を身に纏って、実質上、私たちを支配していたのだ。結局、清花は一カ月ほどでテニス部を去り、文芸部に入部した。

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