第二幕ー10『追憶3』

 私が、キンダーガーデンに入学する前、パパが会社で昇進し日本の本社に異動が決まった。私たちは住み慣れたトーランスを離れることになった。仲良くなった友達たちとの別れはとても辛かった。あまりにも遅過ぎるプリスクールデビューだったけれども、プリスクールで得た友情やコミュニケーション力は、後の私の人生に大きく役立つこととなった。

 父の実家が近いという理由から、父は足立区あだちくに一戸建ての家を建てた。隅田川すみだがわ荒川あらかわに挟まれた風光明媚な場所。下町情緒溢れるこの町の風景にまったくそぐわない純白の洋風モダンのお城みたいな豪邸は、低所得者層から中流階級が大部分を占めるこの下町においては完全に悪目立ちし、近隣住民からは「白亜の城」と揶揄されていた。

 ちょうど、春休みの時期だった。近所に住む子供たちの多くは、近所の「なかよし公園」という公園に集って遊んでいた。私は、少しでも早く新しい環境に馴染みたいという思いから、「なかよし公園」に行って、日本での友達を作りたかった。この辺りの子供たちは山の手のお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちとは違って粗暴な子も多くいるという噂を聞いたママは、私が一人で公園に行くことを心配し反対した。ママも一緒に着いて行くと言い張ったが、それでは意味がなかった。この地域に住む子供たちは両親が共働きの家庭が多く、余程小さな子供でもない限り、親が付き添って公園で遊んでいる子供はいないようだった。

「大丈夫よ、ママ! プリスクールでも意地悪な子はいたけれど、私はその子とも仲良くなることができたの! もう、私は、弱い子供じゃないわ。ママ、私を信じて!」

 そう言うと、ママは、外の世界へ巣立とうとしている雛鳥を見守る親鳥のような表情をして、「無茶だけは絶対にしないって約束して」と言って、私の主張を渋々受け入れてくれた。

 そう言ってはみたものの、不慣れな土地にひとり乗り込むことは、想像以上に勇気が必要なことだった。初めて「なかよし公園」を見た時、

「Everything is the rust color(すべてが錆色だわ)」

 という言葉が口を衝いて出た。トーランスの公園で過ごしたカラフルなママとの楽しい思い出が溢れて、私は、泣きそうになるのを堪えるので精一杯だった。これからこの地で暮らしていかなければならないのだから強くならなければ! そう自分に言い聞かせ錆色の公園に足を踏み入れた。長い年月を雨風に晒されてきたのだろう。公園の隅っこにある木で作られたベンチは半分くらいが腐っていて塵芥と大差なかった。白いワンピースが汚れてしまわないように、私は、ベンチにハンカチを敷いて座った。数日間、公園に集う子供たちを観察して分かったことは、この辺の子供たちを牛耳っているのは、勝太しょうたという、とても小学校入学前の子供とは思えないほど体格の良い少年で、四人のいかにも頭の悪そうな少年たちが、勝太の金魚の糞みたいに彼に付き従っていた。勝太たちは、弱そうな子や、逆に生意気そうな子を定期的にターゲットに選んで暴力でねじ伏せることで、皆を恐怖で支配していた。

「Ridiculous!(くだらない!)」

 日本の閉塞的社会の一面を目の当たりにした私は、早くも心が折れそうだった。ママの言う通り、この公園に通うのは止めにして、パパやママが付き合いのあるファミリーの子たちと仲良くして、小学校はインターナショナルスクールに通えばいい。それがいいと思った。でも、すぐに諦めるのも悔しいからもう少しだけ頑張ってみよう。そう決心して間もなくして、事件は起こった。

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