第二幕ー7『追憶2』

 私は、生まれてから小学校入学前までを、父の仕事の関係で、アメリカ、ロサンゼルスの南、サウスベイエリアにある「トーランス」という町で暮らした。ロサンゼルスのダウンタウンから南南西十二キロほどの所に位置する中規模都市で、日本の有名な大手企業もここを拠点にしているため、日本人も多く、とても暮らしやすい町だった。

 私の実母である北原光希きたはら みつきは、モデルとして成功するために、高校卒業後、単身でアメリカに移住したと聞いている。渡米前もティーン向けのファッション雑誌でモデルをしており、それなりに人気もあったらしいが、本人はその程度では満足できなかったのだろう。しかし、アメリカで一流のモデルとして成功するための魅力と精神的タフさを彼女は生憎持ち合わせていなかった。次々とオーディションに落選し続け、生活に困窮していた頃出逢ったのが、私の父の北原陸斗きたはら りくとだった。彼女より十歳年上の父は同年代の日本人男性の平均年収よりもかなり収入があり、実母が一流のモデルになるという夢を実現させるための支援を惜しまなかった。その甲斐あって、彼女が大きなチャンスを掴みかけた頃、タイミング悪く妊娠が発覚した。彼女は、あとほんの数センチ手を伸ばしたところにある夢を断念しなければならなかった。

 母は、『ジキル博士とハイド氏』のように二つの面を持っていた。父が居る時の面と父が不在の時の面。あまりの変貌ぶりに、私は、優しい母と怖い母、二人の母が存在すると思っていた。父を仕事に送り出してからの母は、まるで悪魔のようだった。「はあ、しんどっ!」と大声で叫び、そのままリビングの上に横たわり眠り出し、母が動き出すのはいつも昼過ぎだった。母は自分だけ食事を済ませ、私に食事を与えなかった。私は、母の目を盗んでスナック菓子などを食べて空腹を凌いでいた。そのことがバレた時の母の目は常軌を逸していた。光のない双眸の奥は、漆黒の洞窟が掘られているのではないかと思われるほど、がらんどうだった。逃げなきゃと思いながらも恐怖で躰が動かなかった。次の瞬間、床に押し倒された。溜め込んでいた汚れた衣類を洗濯機の渦の中にぶち込むようにして、母は私を殴り続けた。

「オマエなんか産まなければ! オマエさえ居なけりゃ! 今頃私は……」

 リビングのテレビ画面には、綺麗な女の人たちが綺麗な服を身に纏って、笑顔でランウェイを歩いていた。

その夜、遅くに帰宅した父は、傷だらけになった私を見て唖然とした。

「これは、オマエがやったのか?」

 父の肩が激しい怒りで震えていた。

「知らないわよ。ちょっと目を離した隙にこの子階段から転げ落ちてたのよ」

「だったら、なぜ、病院に連れて行かない?」

「連れて行こうとしたら、この子が、病院怖いって駄々こねるもんだから。ねえ、綾芽。ママ、嘘吐いてないわよね?」

 私は、言葉を発することができず、首を縦に振るので精一杯だった。その後、父は、DCFS(Department of Children and Family Services ※日本の児童相談所にあたる機関)に相談したりしたが、母の私に対する虐待は一向に改善の兆しが見えず、私が四歳の時、両親は離婚した。

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