第二幕「北原 綾芽」ー1

「どうも苦手なんだよな、あの女」


 中島刑事は独り言ちながら、美し過ぎるカリスマネイリストとして一躍時の人と成り、栄華の絶頂の中、幼馴染を監禁殺害した容疑で勾留されている、北原綾芽の居室へと向かっていた。中島は、彼女が世田谷区成城せたがやくせいじょうの自宅から成島署なるしましょへ移送された時のことを思い出していた。


 ―― 笑っていたのだ。


 墨汁がぶち撒かれたような闇夜の中。妖艶に。

 

 大勢の報道陣に取り囲まれ、カメラのフラッシュを浴びせられた彼女は、まるで、舞台の千秋楽に於けるカーテンコールで舞台挨拶をする主演女優の如く、凛としており、そして、怖ろしく、美しかった。彼女を長い間蝕み苦しめ続けてきた病巣が、すうーっと雲散霧消したかのような晴れやかな表情には、後悔や罪や罰、といった類の概念を微塵も感じ取ることはできず、寧ろ、長年の夢を叶えたかのような達成感や充足感で満たされているように見えた。「死」を連想させるような彼女の幽玄の美は、多くの人々を魅了した。


『あんなに綺麗な人が殺人などする筈がない! 何かの間違いに違いない!』

 といった投書が、新聞・雑誌などのマスメディアに殺到し、SNSでは、

『俺が彼女を守る!』『結婚してくれ!』『私も、あんな素敵な女性になりたい!』などといった発言が飛び交いお祭り騒ぎになっていた。まあ、人々が彼女の虜になるのも無理からぬことだ、と中島は思った。ノンキャリアとして警察官に採用されてからというもの一心不乱で上を目指し、仕事に没頭し過ぎて家庭を顧みず妻子に逃げられた。そんな典型的な仕事人間である中島の目から見ても北原 綾芽という女は魅力的だった。彼女の美しさに毒されたのは一般人だけではなかった。成島署刑事第一課所属の刑事たちも、彼女に興味津々といった様子だった。まるで、真冬に狂い咲きした桜の花を見物するような狂躁。この光景には、さすがに中島は呆れ果てた。


「おいっ! いい加減にしやがれっ! 人ひとり死んでるんだぞっ!」


 中島のドスの効いた重低音が鳴り響き場が静まり返った。部下たちの狂躁の一部始終を無言で観察していた刑事第一課長の真山和典まやま かずのりが、中島以上にドスの効いた声で、

「おいっ、中島、オマエが、北原綾芽の取調べをやれっ!」

 と言った。

 成島署刑事第一課課長である真山は”寡黙の真山”の異名を持つ。観察力と洞察力に秀でた男で、寡黙であるが故に、彼が発した言葉はずしりとした重みを持つ。当然、彼の命令に背くことなどできる筈もなく、こうした経緯で、中島は、北原綾芽に振り回されることになったのだった。

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