序幕ー3

「四二一九よ」


 ドアの向こう側から、凛とした女の声が聴こえた。ドアに埋め込まれた電子錠の暗証番号の四桁の数字を伝えたかったようだ。四二一九。「死に逝く」か。中島警部が、女の言う通りに番号を押すと、ガチャリとドアが解錠されたことを知らせる音を立てた。広さは畳四十枚分くらいといったところだろう。四方を鼠色のコンクリート壁で囲まれた室内に窓は見当たらなかった。三か所ほど蛍光灯が据え付けられていたが、この広い空間を明るく照らすには、圧倒的に光の量が足りていなかった。この部屋の中に居続けたら、昼なのか夜なのか、晴天なのか雨天・曇天なのかを判別することは不可能だろう。おそらく、長年この部屋は使用されていなかったものと思われ、湿気を多分に吸い込んだコンクリート壁が吐き出す雨で湿った段ボール箱みたいな匂いが充満していた。血の匂いや、体液や汚物の匂い、腐乱した人間の匂いに慣れてしまったベテランの中島警部や鑑識課員たちにとっては大した匂いではなかったが、東大法学部卒のキャリアで、現場経験の少ない内海警部は、僅かに、その端正な顔を歪めていた。室内には、地上の居住空間で目にしたような、いかにも高価そうな家具や調度品の類は何ひとつなく、無駄にだだっ広い空間に置いてあるのは、通販のタイムセールで購入したような、見たからに安っぽいパイプベッドと、小さな折り畳み式の小さなガラステーブルだけだった。


「本来なら、私の方から足を運ばなければならないのに、こんなに大勢の方々にご足労をおかけすることになってしまい誠に申し訳ありません」

 ベッドに横たわっていた二人の成人女性のうち、生者の方の女性が、むくりと躰を起こしながら言った。女は、ランウェイを歩くモデルのような足取りで中島警部の方に歩み寄った。人気絶頂のカリスマネイリスト北原綾芽に間違いなかった。フランス人形のように整った顔には、赤黒い返り血やら、掻き傷が生々しく描かれており、彼女が身に纏っていた純白のワンピースは、ハロウィンのコスプレ衣装のように血塗れだった。

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