第一章 ◆バンドマンの日常 1
「以上の、五曲でいこうと思います」
侑は、昨夜出来立てほやほやの新曲をメンバーに披露し終えると凝った身体をほぐすように伸びをして立ち上がった。
最近侑らは、天馬さんのスタジオにかなりの頻度で入り浸っている。お尻に火がつくまで行動しないタイプというわけではないが、気が付くとバンドバトル初戦まで残り一ヵ月を切っていた。ライブ前はなぜかいつもそんな感じだ。
「すげー耳に残る」
それまで眉間にしわを寄せて新曲を聴いていた陽翔が言うと、となりの隣も頷く。
「覚えてもらえるように、今回はキャッチーに仕上げてみましたっ!」
むずがゆさを誤魔化すためについ、わざとらしい敬礼ポーズをしてしまう。自分の作った楽曲を人に聴いてもらうという行為は、毎回緊張して慣れない。侑はメンバーの表情を確認する前に、昨日起こしたベースのTAB譜をカバンから取り出す。
TAB譜とは楽器の指板を譜面化したもの。譜面の横線と実際の弦がリンクしているので、どのフレットを押さえればいいのかが一目で分かるようになっている。要するに、音が分からなくても簡単に楽器を弾くことができる優れものだ。
「ほい、毎度のごとく字が汚くてすまないね弟よ」
隣が受け取った譜面を、陽翔も後ろから一緒に覗き込むと、分かりやすく顔をしかめる。
「すっげーな。もはやアートじゃん」
「どうもありがとう」
「褒めてねーよ?」
その間にも隣はベースを取り出し、音源と譜面を照らし合わせながら弦に指を滑らせていく。その指が止まると、侑は暗黙の了解でベースを受け取り、隣が手こずっていたフレーズを弾く。
「ここはこんな感じ」
「練習しとく」
「難しかったらルートでもいいよ」
「それは絶対しない」
実際、隣ならそういうだろうなという確信があった上でのさっきの発言でもあったが、正直ベースを弾くこと自体が隣の負担になってしまうのだけは避けたかった。
隣のベースはメトロノームのように正確だ。
性格をそのまま反映するような正しさに、安心感を覚える。ライブ中でも、音やリズムに奏者の感情が一切のらないので、むしろ侑の歌に安定を与えてくれた。
本来なら、このままだと平坦でのっぺりとした音楽になってしまいがちなのだが、そこは陽翔の強弱ついたドラムでカバーしているので、全体的にいいグルーヴ感が出ている。
「隣、俺も叩くから練習しようぜ」
陽翔はそういうと、ドラムの椅子に座り、クリック音を流し始めた。
「ありがとうございます」
五回、六回、七回、と二人が繰り返し丁寧に合わせ演奏していく。
「おっけ、あとは裏拍んとこだけだな」
十二回目。
陽翔が立ち上がり、部屋の冷房の温度を下げる。ドラマーは全身を使って演奏するので、特に動いていない侑や隣と違ってかなり暑いのだろう。そのまま隣の傍に座ると、再び付きっきりでリズムの確認を続ける。
「なんか焦ってねえ?」
たしかに、隣にしては珍しく、音が前に前に競ってしまっているため、裏拍に切り替わる部分が上手くいかないのだろう。
「そこ、ン!って、大げさに止めるといいかも」
ずっと黙っていた侑も、ついつい口出ししてしまう。すると隣は、今度は一発で習得する。
「おーおーそんな感じだな。んじゃちょっと一回くらい、合わせてみますか」
◇ ◇ ◇
「俺、メロンパフェ」
「僕はドリンクバーでお願いします」
「隣と同じのー」
天馬さんが備え付けのタブレットで注文を済ませる。
「ファミレスでごめんな」
これがちょっとな、と親指と人差し指で丸を作り、侑たちに一応申し訳なさそうな顔を向けてくる。スタジオ経営はこのご時世やっぱり厳しいのだろうか。
真っ先に首を振り、小声でそんなことないです、と言い、早々と教科書を広げて自分の世界に入っていく隣を見届けると、天馬さんが問う。
「で? 順調?」
先ほど練習終わりに会計をしていると、天馬さんは、ちょうどタイミングよく出勤してきたアルバイトの子に受付を任せ、侑たちをファミレスに誘ってきた。こうしてちょくちょく気にかけてくれるのはありがたい。
侑は無根拠に自分たちの可能性を信じているが、実際こうやってバンド活動を続けられているのは、応援してくれる人がいるからであって、こうしたバックアップがなければ、才能溢れる人だらけの大海原には乗り出せなかっただろう。
もともと評価されることが苦手なのだ。
だからかSNSでも滅多にエゴサしない。というよりも怖くてできない。バンドアカウントに寄せられるコメントを読むだけで精一杯。
その点、そんなことはお構いなしにエゴサしまくってはバシバシ報告してくる陽翔がいてくれてよかったとつくづく実感する。
「勝ちますよ」
「眩しー」
天馬さんがふざけて手をかざしながら天井を仰ぐと、ちょうどパフェを運んできた女性店員と目が合う。その目は明らかな好意を示していた。侑だったら絶対に動揺してしまうが、天馬さんはありがとう、と慣れた様子で優しく微笑む。
なんだかいけないシーンを見てしまったような気持ちになって陽翔に助けを求めようとすると、彼は待っていましたとばかりに大きな口を開けて、一番上にのっている丸くくり抜かれたメロンの果実から食べ始めていた。
……この人たち、マイペースすぎないか。
「天馬さん、俺もモテてーっす」
パフェの容器とスプーンから手を離すことなく陽翔はそう言って、去りゆく店員の後ろ姿を振り返った。なるほど、そういうことには鈍感なのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
「いいか? バンドマンがモテるなんて迷信だからな」
「えーっ、そうなんすか?」
「ステージ上で魔法にかかってるだけだ」
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