愛憎と、業火


  *


 ジェダが目覚めたそこは、幾つもの炎が灯された部屋だった。暖かなオレンジの光が揺らめき、四角い部屋の中を照らし出している。


 ……ここは、何処だ。


 自分は激昂しあのいけすかない執事を撃とうとして、逆にアメリアに返り討ちに遭った筈だと記憶している。そのまま首を落とされ、恐らく死んだのではなかっただろうか。分からない事だらけだ。ジェダは頭を振りながらゆっくりと立ち上がる。


 周囲を見回したが、さほど広くない部屋には窓も扉も無さそうだ。家具や調度品は殆ど無く、目に留まるのは炎の灯る無数の燭台と、簡素なベッド、そしてそこそこ大きな壺だけだ。


「アメリアは確か、地獄と言った。ルチルが待っているとも……」


「──その通りですわ。お待ちしておりました、ジェダ様」


「……ルチル!? ルチル! ああルチル……!」


 突然の声に驚き慌てて振り向く。そこに佇んでいたのは、愛しき婚約者の姿。ジェダは急いでルチルティアナの元へと駆け寄ると、その華奢な身体を抱き締めた。


「ああ、愛しきルチル、再び君に逢えたならば、もう怖い事は無い。俺は君だけがいればいい。君と一緒ならば、どんな地獄だろうと怖くはない……!」


 ジェダが歓喜の声を漏らす。腕の中の愛しき女性の髪を梳き、その綺麗な髪にくちづける。そして、腕の中でルチルティアナがくすくすと笑い出す。


「どうしたんだルチル、何がそんなに可笑しいんだ?」


「だって、ジェダ様、そんなに無邪気にお喜びになって──何も気付かない、何もお疑いにならないんですもの。ねえ、く、ふふふふふ!」


 腕の中の女が奇怪な笑いを漏らし続ける。ジェダの背筋に寒気が駆ける。違和感に、うなじの毛が逆立つ。一歩、二歩、後ずさる。


「お、前は、……本当にルチルなのか……!? なあ、おい、ルチル、ああ、……」


「嫌ですわ、ジェダ様。ジェダ様が私の事間違える筈無いですよね? ホラ見て下さいよ、私ルチルですよ、ジェダ様の愛しのルチルティアナですよ……?」


 ルチルティアナが愛らしく笑い小首を傾げながら両腕を広げる。その姿はジェダがルチルティアナに初めて会ったばかりの頃、傷一つ無い美しかった頃のルチルティアナの姿そのままだ。


 ──しかし、次の瞬間。


 ぐちゅり、とルチルティアナの肌が崩れる。腰回りを中心に、全身に近いほぼ全ての部分が、その美しかった肌がぐずりと撚れ、じゅくじゅくと膿み血を滲ませ汁にまみれた姿を現す。襤褸布のように皮膚は垂れ下がり、ぼろぼろと崩れ落ちてゆく。


「ほら、ジェダ様、貴方の為にこんな身体になったんですよ。貴方の好きな火傷で傷んだ肌、ぐずぐずの汁まみれの引き攣った肌。中も貴方好みの、皮膚が火傷で粟立ちそれが潰れた崩れきった、爛れ焼け焦げ胎まで無残に、嫁の責務を果たせなくなった肉の筒。ねえ、ねえ、こんな私を好きだったのでしょう? こんな火傷まみれの、皮膚のずる剥けた、肉塊でしかないようなこんな私を……!!」


「ち、ちが……」


「何が違うのです!? 私をこんな風にしておいて、何が違うというのです!? それとも再生治療の失敗した私は、再度美しい肌を貴方の手で汚せない隅から隅まで使い果たした私はもう要らないと……!」


 ルチルティアナが、ルチルティアナだったぐずぐずに皮膚の剥けた肉塊のような女が、ジェダの肩を掴む。その力は異様なまでに強く、ジェダは身を捩るが逃れる事が出来ない。


「愛してた。愛してた、でも、何処かおかしいと分かっていた。貴方が愛だと言うから信じた振りをした。貴方に嫌われるのが嫌だったし、家の事を思うと従うしか選択肢は無かった。治るなら、それで良かった。良いと思っていた」


 ルチルティアナがベッドにジェダを押し倒す。体重を掛けのしかかる。ジェダは恐怖に、そして驚愕に目を見開き、ガチガチと歯を鳴らしている。


「治療院に入院してから、貴方は一度も私の元を訪れなかった。分かった、分かっていた、もう飽きたんだって、遊び尽くした人形は捨てられるんだって」


「ル、チル、ちが、お、れは、」


「違わないんでしょ。違うというのなら、ねえ、私を愛してよ、ジェダ様。あの頃のように、くちづけて、髪を撫でて、ねえ、二人で生み出した炎を混ぜ会うように、深く愛し合って、私の中で果てて、抱き合って眠りましょう?」


 ルチルティアナの狂気に揺れる瞳から一粒、涙が零れる。


「私、愛してた、愛してたのに」


 魔力が迸り、ルチルティアナの全身から炎が燃え上がる。涙が一瞬で蒸発する。


 火が、ジェダに燃え移る。じりじりと服が焦げ、徐々に燃え広がるさまに、ジェダが恐怖の悲鳴を上げる。


「ねえジェダ様。ジェダ様は、火傷って殆どした事無いでしょ。熱さ、痛み、疼き、痒み、ちりちりと苛む、ひりひりと、じくじくと、ずくずくと痛みが沁みて行く感覚、知らないでしょう。ねえ私を愛しているなら、私と同じ痛みを、同じ感覚を味わって、二人で燃え上がりましょう?」


 ルチルティアナが手を伸ばし、傍らにあった壺の蓋を外す。ふわ、と立ち上る匂いは、ジェダもよく知ったものだった。ルチルティアナは備え付けてあった小さな柄杓で中身を掬い、そのとろりとした琥珀色の液体をジェダの身体の上に翳す。


「や、やめ、ルチル……やめて、ああ、あああ」


「──愛してます、永遠に」


 柄杓が傾けられ、とろり、香油が炎の上に零れる。一気に、炎が強さを増し燃え上がる。


「ああ、あああ、あああああ!?」


 ジェダの絶叫にも構わず、自身の手が燃える事も厭わず、ルチルティアナが炎ごと香油を塗り広げる。二人が炎に包まれる。


「愛し合いましょう、ジェダ様。誰にも邪魔される事の無いこの地獄で、二人きり永遠に──」


 ジェダの身体を燃える手がまさぐる。炙られる男の上、全身火だるまの女が腰を振り始める。絶叫を上げる男の唇に燃えるキスを落とし、指を絡め。


 そして女は──幸せそうに、笑った。


  *



  ▼


 ここまでお読み頂きありがとうございます。


 第三章はここで終幕となります。次は登場人物紹介を経て、第四章へと物語は進みます。


 次はいよいよクリスタリオ達のゲームが描かれ、そして残る最後のグループも登場します。


 お気に召しましたら、☆、ハート、コメントやレビューなどで応援して頂けると執筆の励みと鳴ります。


 どうぞ宜しくお願いいたします。


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