復讐と、疑問
*
「……ゴールディ様、お目覚めになりましたか」
ゴールディが目を開けると、シルヴィアの心配そうな顔が視界に映った。ぼんやりとした意識で周囲を窺うと、スティールとブラスの顔も確認出来る。ゆっくりと身を起こすと、ゴールディはズキリと痛む頭と既視感に眉をしかめた。
「……我は、一体」
じくじくと鈍く痛む右手に目を遣ると、皮が剥けて血が滲んでいた手には、何かの布を裂いた包帯代わりの茶色い布切れが巻かれていた。色から察するに、ブラスの服から作ったものだろう。溜息を吐く王子にスティールが語り掛ける。
「眠っていたのはほんの僅かな時間です。殿下、ご気分は如何ですか。その、──記憶はございますか」
スティールの探るような灰色の瞳を見返し、王子は軽く頷く。忘れたくとも忘れられない、先程までの自らの蛮行が脳裏に浮かぶ。
「憶えている。その、……皆には、迷惑を掛けた。それでその、……ブロンゼは」
「大丈夫、僕が確認した時には辛うじて息はあったよ。でもアメリアが現れて魔法で何処かへ連れ去ったんだ」
「そうか……生きていたか。良かった……」
ブラスの言葉にゴールディは安堵の息を吐いた。自分は親友を殺した訳ではないのだと、背中にのし掛かっていた重い罪の意識が幾分か軽くなる。
見渡すと、冷たい石の床はまた綺麗で無機質な状態へと戻っていた。聞くと、ブロンゼを回収する際にアメリアが【洗浄】の魔法を掛けていったのだと言う。
飛び散った血の痕跡も、その前に王子が嘔吐した痕すらも残ってはいない。しかしゴールディの服に散った赤黒い染みと右手の痛みが、さっきの出来事は夢では無いのだと事実を冷酷に突き付けた。
「それで、我々はこれからどうなるんだ」
ぽつり漏らした王子の呟きに、スティールが困惑の色を浮かべながら応じた。
「その、次のゲームが始まるまでしばし休んでいろと、アメリア嬢が」
「……まだ、次があるのだな」
「そのようです」
重い沈黙が石牢に満ちる。衣擦れの音と溜息だけが時折響く部屋で、しばらく黙っていたゴールディは何も無い壁を見詰めながら言葉を零した。
「アメリアの目的は、一体何なのだろうな」
誰も何も答えない。また重い静寂が四人を支配する。
しかし、震える声でそれを打ち破ったのは、ゴールディに寄り添う令嬢、シルヴィアだった。彼女は未だにブロンゼのフロックコートを羽織ったままで、伏した睫毛が暗い影を蒼白い肌に落としていた。
「もしかして、──復讐、なのでしょうか」
その言葉の意味をはかりかね、三人は戸惑いに視線を彷徨わせる。身体が震えるのは、石床の冷たさだけが原因ではないだろう。
覚悟を決めて言葉の意味を飲み込んだスティールが、床に視線を落としたままで問う。
「シルヴィア嬢。それは、婚約破棄をした殿下に対して、という事でしょうか」
「ゴールディ様だけではありませんわ。もし原因がそこにあるならば、私に対しても……、でしょう?」
「それは……」
シルヴィアのもっともな意見にスティールは口籠もった。もし動機が復讐であるのならば、その標的は王子だけに留まらないだろう。婚約破棄の原因を作ったシルヴィアも対象となるのは当然の流れだ。
しかし、と眼鏡を押し上げながらスティールは考える。──何か、引っ掛かりを覚えるのだ。
あの冷め切ったアメリアが、婚約破棄を言い渡したからと言ってこんな大規模な復讐計画を行うものだろうか、と。
確かに公衆の面前でのあの断罪劇は衝撃的で、プライドを破壊された事に腹を立てたというのならば分からなくもない。が──少なくとも、アメリアの態度は冷静で、そのような激情に駆られたという風には見えなかった。
何より、この石牢に拉致されて来てからのアメリアの様子からは、怒りや憎しみといった復讐に纏わる感情が見られないのだ。あの鉄面皮で有名なアメリアの事だから感情を隠し通しているのだろう、と言われればそれまでだが──。
更に、婚約破棄が行われてから計画の実行までの時間が短すぎるのも気になった。状況から察するに、五人はパーティの終了後の帰路で拉致された筈だ。こんな大規模な仕掛けを用意する時間は無いだろう。
それならば、アメリアは婚約破棄をされる前から、既に準備を整えていた、という事になる。──何の為に? 理由が解らない。もしそうならば、アメリアは婚約者たる王子をこのようなゲームに参加させるつもりであったというのか。
幾ら頭を悩ませても、思考は堂々巡りをするだけだ。スティールはヒントすら与えられない難解な問いに、一人奥歯を噛んだ。
身を寄せ合って震えているゴールディとシルヴィアを眺めながら、スティールは軽く溜息をつく。
しかしスティールは思考の海に溺れるあまり、気付けないでいた。──瞳に暗い陰を落とすもう一人の仲間、ブラスの様子に、その一人で思い詰める表情に……。
しんと重く澱む空気の中、時間は酷く緩慢に過ぎてゆく。ぼんやりと仄暗い壁はただ無慈悲に、行き場の無いそれぞれの感情を、嘲笑っていた。
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