眼鏡と、猶予


  *


 ──『貴女方に拒否権はございません。強制的にゲームに参加して頂きます。ああそれと、そこの眼鏡のご令嬢。先に言っておきますが、嘘と同様に自害も出来ないようになっております。ご了承下さい』。


 ──目が覚めたのは冷たい石の床の上だった。ジェッティアはぼんやりした頭を抱えながら周囲を見回したが、その場所に見覚えは無い。さほど広くはない石造りの部屋はのっぺりとしていて、窓はおろか出入り口すらも見当たらなかった。


 ジェッティアと同様に倒れていたのは四人の令嬢達だ。平民出身の彼女にも分け隔て無く気安く接してくれている、同じ学年の令嬢達。──どうやらパーティから引き上げる際に拉致されたのだろう、抜け落ちた記憶とドレスのままの姿がその事を物語っていた。


 そうこうしている内に他の四人も次々に目を覚まし身体を起こした。未だ飲み込めない現状に、掴めない意図に、揃って困惑の表情を浮かべる。


『お目覚めのようですね、お嬢様方』


 ──そんな時だ、その人物が現れたのは。


  *


 その人物はディアマンテスと名乗った。『鋼鉄令嬢<アイアンメイデン>』という渾名で有名なアメリア嬢──アメリア・アイアン・アメーディン公爵令嬢の専属執事だと言う。


 スクリーン越しの彼は慇懃に、しかし有無を言わせぬ口調で彼女達のこれからを語る。曰く、抵抗する手段も逃げる出口も無いこの状況で、ジェッティア達に出来る事はただ言われるままにゲームに参加する事なのだ、と。


 苦渋に満ちた表情でそれでもパールがサイコロを振った。現れた一本の鞭とゲームの説明に、皆は困惑しつつも話し合い、そして──地獄が、生まれた。


  *


「げほっ、ご、ごほっ、……は、ひゅう、ひゅう……っぐ、けほっ」


 アンバーの喉からはもう悲鳴すら上がらず、ひゅうひゅうと苦しげな音と噎せ混む濁音が漏れるのみとなっていた。見開いた目からは既に涙すら流れず、渇いた眼球がうろうろと視線を宙に彷徨わせる。


「はは、どうした元気が無いなアンバー! 私より体力があると豪語したその言葉は何処へ行った!? 情け無いな、そんな根性では女騎士など将来務まらんぞ!」


 そんなアンバーを打ち据えるパールの手も、鞭を振るい過ぎたせいで皮膚がずるずると剥けて血が流れ出していた。しかしパールはそんな自らの様子を気にする事も無く、血を飛び散らせながら尚もアンバーを叩き続ける。


「や、めて、パール……本当に、アンバー……死んじゃう、よ……」


 その足許に縋り付きながら、顔をぐしゃぐしゃにしてコーラルはむせび泣く。まるでアンバーの分まで涙を流しているかのように瞳からは雫が零れ続けている。何度振り払われても諦めずに這い寄るせいで、コーラルのドレスはぼろぼろに擦り切れていた。


「……このままでは、鞭打ちが終わる前にアンバー様が命を落としてしまいかねません。何度も石の床に叩き付けられているコーラル様のお身体も心配です」


 ジェッティアは眼鏡の令嬢、シエルの身体を抱き締め髪を梳きながら呟いた。シエルはジェッティアの言葉にビクリと震え、恐る恐る伏せていた顔を上げて彼女の黒い瞳を覗き込む。


「でも、でも、どうすればいいの。パールはこの五人の中で一番力も強くて体術も凄いのよ。唯一パールに勝てそうなアンバーはあの様子だし、コーラルだって何度も投げ飛ばされてる。わたくし達ではパールを停められないわ」


 涙で眼鏡を濡らすシエルが唇を噛む。そんな彼女の眼鏡をそっと外すと、ジェッティアはハンカチを取り出し、濡れた眼鏡のレンズを丁寧に拭いながら薄く微笑んだ。


「それでは、シエル様。──一人で駄目ならば二人、いえ三人で掛かれば何とかなるのではありませんか?」


「──え」


 目をぱちくりとさせるシエルの顔に綺麗に拭いた眼鏡を掛けてやりながら、ジェッティアは小さく頷いた。


「わたくしとシエル様、それにコーラル様が同時に組み付けば……流石のパール様もきっと太刀打ち出来ませんわ。何も打ちのめす必要はございません、鞭を奪うだけなのです。きっと勝算はわたくし達にある筈です」


「そ、そうね、そうだわジェッティア! きっとそれなら上手く行く筈ですわ……!」


 シエルはジェッティアの手を握り希望に笑みを浮かべた。そして、床に突っ伏して荒い息をつくコーラルを見付けると、話をすべくその元へとにじり寄る。


 ジェッティアはちらりと壁のスクリーンを見遣り、そしてアンバーの様子を横目で伺う。


 時間にはまだ余裕があるが、この計画が上手くいったなら残りの回数は三人で賄わなければならない。何よりアンバーの容態が心配だ、余り猶予は無いだろう。


 黒髪の少女は唇を引き結ぶと、覚悟を決めて一人頷いたのだった。


  *

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